Category Archives: 未分類

第二の声帯

前回説明した短母音のiは、日本語の「い」しか経験したことのない日本人にとってはめちゃめちゃ違和感があるので、はじめは心理的な抵抗が相当強いと思う。そこで、以前話した平泳ぎとバタフライの比喩を思い出してほしい。今やろうとしている声の出し方は、これまでとはまったく違う泳法(みたいなもの)なのだ。上あごと下あごの境界を水平線にたとえるなら、水平線上で泳ぐ平面的な平泳ぎが日本人の得意とするのど声。これに対し、水平線を超えて縦方向に飛び出す三次元的なバタフライが英語の声、というイメージだ。バタフライを泳ごうと思ったら、泳ぐ=手を横に掻く、という常識は捨ててかからなければならない。それと同じで、ほんとうに英語的な声を目指すなら、声を出す=のどに力を入れる、というのど声の習性(すなわちカナ縛り)を脇へ押しのける必要があるのだ。 さらに言うならば、「声帯がのどにある」という意識も捨てたほうがいい。のどを意識している限り、のどの力は抜けないからだ。だまされたと思って、声帯はのどではなく両耳の中間ぐらいの位置にある、と意識してみるといい。もちろん解剖学的にはでたらめなのだが、あくまで体感として、ほんとうに声を鳴り響かせたい場所はのどではなく、むしろこの付近なのだ。実は前回説明した「支え」の目的も、この高いポジションに発声の意識を集中させ、それ以外の部分は完全に脱力することにある。 「支え」のフォーカスとなるこの部分を、仮に第二の声帯と呼んでおこう。これは仮想的な声帯であり、同時に実質的な声帯でもある。つまり二重の意味で、virtualな声帯なのである。 以前述べたとおり、「支え」では上あご系の筋肉だけをうまく使って、口内のスペースの天井をできるだけ高く持ち上げようとする。この前は、鳥かごの吊り手をつまんで引き上げるようなイメージ、という比喩を使ったが、イメージはゴシック教会のアーチ型天井でも天文台のドームでもいい。ともかく口内の低い天井を思い切り吊り上げて高くし、これをキープするイメージだ。その最高点は、実際には多分後頭部の近くで、鼻の奥か目の後ろ辺りになるだろう。模索していけば、いずれ必ずその近辺にしっかりと発声の起点になるポイントが見つかる。それが上述の第二の声帯である。英語に適した発声を求める旅は、すなわち第二の声帯を発掘する旅なのだ。 声を出すまでの準備段階についてはこれでいったん終了して、次回からは実際に声を出す手順へと話を進めよう。 英語音読

Posted in 未分類 | Leave a comment

「支え」の実践

さて、「支え」をつくる練習に入る前に、まず「脱カナ縛りの準備フォーム」を復習しておこう。日本語の「い」の形を作って無駄な力が入る箇所を意識し、これを弛緩させるのである。 弛緩する要領がつかめたら、今度はまだ声を出さないまま、緊張した日本語の「い」ではなく、リラックスした英語の短母音iを考えながら無声音で息を流してみる。短母音のiを何秒かサイレントのロングトーンで伸ばし続ける感じだ。 息は決して無理に押し出そうとしないこと。押し出そうとすると力が入り、息の音が混じってしまう。むしろ、前方から吹いてくる風を自然と口に呼び込むような感じを目指そう。しっかり弛緩できていれば、いやでもそうなる。弛緩したまま息が出ていくときは、むしろ息が逆流してくるような、一種のブレーキ感があるのだ。それが「支え」の感覚につながると覚えておこう。 そして、よりしっかりと「支え」を作るためのヒントをもう1つ。弛緩したままiの形を保持するには、上唇をやや左右の上方に引っ張るようにするとよい。それでもまだ足りないだろうから、さらに上唇の付け根(歯茎近く)が目の奥のほうへ引っ張り込まれるような感じをイメージして、唇の開きを維持する。この奥へ引っ張り込むような感覚が、「支え」の重要な構成要素だ。要するに、口蓋を高く引き上げるように顔や口内の筋肉を使うことが「支え」と考えるとよい。ちょうど鳥かごをつまんで持ち上げるように、口の中のドーム状のスペースを天井(口蓋)の上から高く吊り上げるようなイメージだ。これを意識すると、iの形がうまく保たれる。 このとき下唇は完全に脱力したままにする。口角や下あごなどにも、もちろん力は入れない。 この形が、ほぼ英語の短母音iそのものとなる。 極論すると、英語の短母音iは、下あご系の筋肉を完全に脱力し、上あご系の筋肉だけで支える音なのだ(実はこれは他の英語の母音にも当てはまるのだが、それは次回以降にまわそう)。 英語音読

Posted in 未分類 | Leave a comment

「支え」を体で理解できるか

今回は、声を出す準備の柱ともいえる「支え」について考察する。 クラシックの声楽をやっている人は知っていると思うが、「支え」というのは、歌う際の発声のフォームを腹筋や背筋を使ってしっかり保持する重要なテクニックを指す。これがないと、やせ細って説得力のない声にしかならないのだ。 ところが、英語の発声については、あまり「支え」が重視されていないというか、ほとんど話題にすら上っていない。ここに一つ、これまでの英語発声論の不備があるように思う。 僕にいわせれば、「支え」のない声では英語らしい響きがしない、というくらいこれは大切なテクニックなのだ。しかし、声楽でも「支え」が何かという明確な定義はむずかしいらしく、説はいろいろある。僕も自分なりにいろいろ発声や「支え」を考えて英語朗読を実践してきたが、その結果、体感的にはこうすればいいという結論がほぼ固まってきた。 端的にいうと、声楽関係でよくいわれる「声をお腹から出す」とか、「腹筋を使って支える」とか、「横隔膜を意識して」とかいうアドバイスは、実際にはまったくといっていいほど役に立たない。もちろん腹筋は使うし、腹式呼吸も使うが、それは正しい発声をすると結果的にそうなるに過ぎず、お腹を使ったり腹式呼吸をすれば必ず正しい発声になるわけではないのだ。要するに、順序が逆なのである。カナ縛りが解けないままでは、いくら腹式呼吸などをやっても進歩はない。 支えの本当のポイントはお腹ではなく、口腔の天井(口蓋)を吊り上げるようにし、口内のスペースを広く確保することにある、と僕は思っている。そうしないとカナ縛りが解けないからだ。この支えができるようになると、自然にのど仏も下がるし、腹筋もうまく作用する状態になる。しかも、下あごや舌や首回りの筋肉は弛緩したままの状態が保たれる。 つまり、正しい発声のフォームの「支え」は下から持ち上げるイメージではなく、上から吊り上げて支えるイメージなのだ。 前にも説明した「脱カナ縛りの準備フォーム」の練習がある程度できていれば、そのフォームにこの上から吊り上げるような「支え」を付け加えるのは比較的簡単だ。次回はこれを、iの短母音で練習してみよう。 英語音読

Posted in 未分類 | Leave a comment

「英語はのどで発声する」は本当か?

前回は、日本語のカナ文字が条件反射的にのど声を招いてしまう現象(僕はこれを「カナ縛り」と名付けている)から脱却するため、まず声を出さずに口やのど周りを弛緩させるステップについて述べた。 この「脱カナ縛り」の準備フォームができてきたら、次は実際に声を出すのだが、このときにも余計な力が入りやすい。声を出そうと思っただけで、もうのどが力み始めたりする。繰り返すが、のどには力を入れないほうがいい。のど声になってしまうからだ。 それにはどうするかというと、「のどから声を出す」という意識を捨てるべきなのだ。 こういうと、「だって声帯はのどにあるじゃないか」という人もたくさんいるだろう。確かに理屈はそうなのだが、そう考えている限り何も今までと変わらない。「のどから声を出す」と思っていると、のどの力みはなくならず、弛緩状態にはならないのだ。「英語はのどで発声する」という説もときどき耳にするが、何語だってのどを使って発声するには違いないし、そもそも英語をよく響く声で話す人は決してのどを力ませてはいない。英語の発声は日本語の発声とは違う、というだけならばうなずけるのだが、のどがその違いのカギだ、といわれると、僕などは「うーん」と考えこんでしまう。 のど声文化で育ってきた僕たち日本人は、のどで発声しなさい、と言われると、のどを今以上に力ませてしまいやすい。これではカナ縛りが重症化するばかりだ。そういう力みをなくしてカナ縛りを完全に脱却しない限り、たぶん別次元の声には到達できない。むしろ、「英語はのどでは発声しない」というほうが、体感的には正しいと僕は感じている。英語の発声のポジションは、実はのどよりもかなり高いのだ(あくまで体感の話だけどね)。 ちょっと脱線してしまったが、話を元へ戻して次回に続けよう。 英語音読

Posted in 未分類 | Leave a comment

カナ縛りを解くフォーム(2)

前回は、自然とのど仏が下がるような発声のフォームについて述べたが、今日はこれをもう少し掘り下げてみたい。 この前は「い」を取り上げたので、今日は「え」を例にとろう。それにはわけがある。 「い」も「え」も、これをはっきり言おうとすると口角が左右に強く引っ張られる。そうなると、自然とのど仏の位置も上がって、のどが狭まる。つまり、「い」や「え」はのど声になりやすいのだ。「い」や「え」の文字を見たり、頭でその音を考えただけでも、条件反射的にのどが緊張して閉じ気味になってしまう。典型的な「カナ縛り」だ。 これを解決する手段として、逆説的だが、まずこの極端に緊張した「え」を作ってみよう。口角が左右に引かれ、やや後ろにも引かれるくらいの状態を作る。「えーっ? うそー」などと思いっきり疑っているときの感じだ。声はまだ出さなくてもいい。 そしてそのまま、口角を引っ張っている筋肉をすべて、ゆっくりと弛緩していこう。そして、かろうじて口の形は「え」の形骸を残しながら、まだ曖昧母音にはならない限度まで弛緩する。首や肩に力が入っていれば、それも弛緩する。 このプロセスを何度か繰り返してみるとよい。「え」の緊張状態を作ってから弛緩させる過程で、どの筋肉が使われているかを実感するのが目的だ。 たぶんどの筋肉に力が入っているかは自分でもわかると思うが、どれも、のど声を助長する無駄な力だと思ってよい。カナ縛りを解くためには、まずこれらの筋肉をすべて弛緩させることを意識しよう。 次は、無声音でささやくように軽く息の音を出しながら、同じく「え」の緊張から弛緩状態への変化をやってみる。今度は舌の動きに特に注意しよう。緊張状態のときは、舌が前に突き出ているが、緊張が解けるとやや後ろに落ち着く。 弛緩状態を作ったときに、息の流れがどう変化するかも感じてほしい。息を前に出そうとするとどうしても緊張するので、それに使っている筋肉も弛緩させるよう気をつける。こうすると、ささやくような摩擦音が、弛緩するにつれてより静かになり、息は流れていてもほぼ無音になるはずだ。 できたら、今度はこの緊張と弛緩の対比練習を、前回の「い」の母音でもやってみよう。 「い」でも「え」でも、この弛緩した「脱カナ縛り」状態が声を出す前のデフォルトのフォームになるよう練習するとよい。この練習をしないと、デフォルトがカナ縛りのフォームのままなので、あとで言葉を発音する段になると、緊張した堅い声しか出ないのだ。 さて、この弛緩した「脱カナ縛り」のフォームから、次は実際に声を出すのだが、その前にもう1つ「支え」という大事なステップが残っている。それは次回にまわそう。 英語音読

Posted in 未分類 | Leave a comment

カナ縛りを解くフォーム

たいていの人は、手の小指を曲げると、なぜか薬指もいっしょに曲がってしまう。まるで小指と薬指が透明な輪ゴムかなにかで縛られているようだ。 でも、この連動性は決して絶対的なものではなく、訓練すれば独立して動かせるようになる。(でなかったらピアニストは飯の食い上げだ。) それと同じように、たいていの日本人は「あいうえお」の母音を発音するとき、つい発声がのど声になりがちだ。慣れ親しんだ母音を出すときの口やのどや舌の動きが、のど声を出すフォームと無意識のうちに連動しているからだ。しかし、僕が「カナ縛り」と呼んでいるこの日本語とのど声の連動性も、実は絶対的なものではなく、意識して訓練すれば解きほぐせる。 「い」を例にとってみよう。日本語でできるだけはっきり「い」と言おうとすると、ただ口が横に狭く開いて「い」の形になるだけでなく、前にも述べたようにのどにもかなり力が入る。舌の奥の部分がのどを一瞬ふさぐが、そのあと少しのどにすき間ができて、そこを強く息が通り、少し開いた口の真ん中から前に出る。そしてこの息に声帯の振動が加わることで、強い「い」の音が出る。そのときに、下あごや首、のどがどれだけ緊張して固くなるかを確認しておくとよい。のど仏の上がり具合もチェックしておこう。 次に、「い」で開いた唇の形はほぼそのままに、口角をキッと左右に引っ張っていた力だけをやや緩めてみよう。声は出さなくていい。下唇は力を完全に抜く。上唇はやや上に引き上げ気味にして口の開きを維持する。こうするだけで、のど仏はかなり低く下がっているはずだ。 この形を崩さずに声を出すと、英語の短母音iにだいぶ近くなってくる。(声を出す時にもまたのどに力が入りやすいし、別にもう1つ大事なステップもあるのだが、そこは近々取り上げるので、とりあえずは声を出さずに、リラックスした口周りのフォームを意識してみよう。) 英語音読

Posted in 未分類 | Leave a comment

発声と発音の分離

僕が英語に声を切り替えるときには、意識的にのど声を解除するよう努めているが、その際、あ、い、う、え、お と短母音a, i, u, e, oの発音のフォームは日英であまり変えない。この二組の母音には基本的にかなり互換性があるのだ。意識して変えなければならないのは、発声のフォームに限られる。言い換えると、日本語では発声と発音をワンセットで行っているところを、英語のときはこれを切り離して分業体制を作る。その上で、発声の部分に注意を払って別のフォームに変え、のど声を解除した上で、母音や子音を付け加えるのだ。 「発声と発音を切り離す? そんなことできるわけない」と思う方もいるかもしれない。確かに、声を出すことと母音や子音を明確に出すことは、一見深く結びついていて不可分なような気もする。しかし、日本人はそもそも母音と子音の区別をしてこなかったくらいだから、元来声についてあまり分析的に考える習性がなかったに違いない。発声と発音はほんとうは分離できるのに、一緒だと思い込んでいるだけなんじゃないだろうか? ちょっとそんな可能性を考えてみるだけでも、発想の転換や気づきにつながるに違いない。 多くの日本人は、「あいうえお」の母音を発音する際に、のど声というのどを締め付けるような発声をするよう条件付けられている。前回「カナ縛り」と表現したあの習性だ。したがって、母音をはっきり発音しようとすればするほど、緊張したのど声になってしまう。逆にいうと、「あいうえお」の母音をのど声と切り離して出す方法をマスターできれば、英語の母音が無理なく出せるようになる。 では、のど声かそうでないかを視覚的に一目で見分ける方法はないのだろうか。実はある。のど仏(喉頭隆起)の位置を見ればよいのだ。同じピッチ(音程)で声を出して比べてみると、のどを開いてリラックスした発声をしているときは、のど声のときに比べてのど仏の位置が低く下がる。逆に、のど声のときはのど仏がせり上がる。鏡で見るなり、のど仏に軽く指を当てるなりして、自分で確認してみるとよい。 誤解のないよう言っておくが、のど仏を下げればよい発声ができる、というわけではない。のど仏の低さはリラックスした発声を示す一つの徴候ではあるが、その主因ではないのだ。あごや舌や口蓋その他をうまくコントロールしながらのどを開いて声を出すと、その結果としてのど仏の位置が低く下がるのである。だから、意識的にのど仏だけを下げようとしても、いたずらに力むばかりで効果は薄い。 次回は、自然とのど仏が下がるような発声のフォームについて探ってみよう。 英語音読

Posted in 未分類 | Leave a comment

のど声を生む「カナ縛り」

日本語の48文字(いわゆる50音)は、それぞれ子音と母音がセットになっていることはご存じのとおりだ。(「あ」「い」「う」「え」「お」には母 音しかないけどね。)これは、元来日本語では子音と母音という区別があまり意識されてこなかったことを意味している。「さ」、「こ」、「め」など、それぞ れ一文字が音節の最小単位なので、それ以上分解しようなどと考える日本人は、昔はあまりいなかっただろう。 こうして母音と子音がタイトなユ ニットとして不可分に結びついていることは、日本語の音声にも大きな影響を及ぼしたに違いない。子音と母音を分けて発音するという発想がない以上、子音や 母音を強調する習慣も生まれないし、音の長さを調節したり音に強弱をつける必要もないからだ。そうしてみると、日本語の音声が英語などの音声とはずいぶん 違った方向へ向かったのも不思議はない。 どの国でも、言葉はより楽に省エネでしゃべれるよう変化していくものらしい。だとすると日本語の音 声は、50音をより簡単に相手にコミュニケートできるよう進化してきたはずだ。たぶん、百人一首のかるた取りか、超イントロクイズみたいに、音の出だしを 聴いただけでそれが50音のどれがかすぐに分かるような声の出し方が生き残ってきたに違いない。それが日本語を「のど声」へと向かわせたのだ、と僕は推測 している。 では、超イントロクイズみたいに一瞬で50音を聴き分けられる声とは、どんなものだろうか。 まず、子音部分を短く して、すぐ母音に移行できるようにすることが必要だ。なるべく短時間に必要な音声データを出し切ってしまう必要があるからだ。当然、子音の中でも、出すの に時間のかかるFやWなどの音は(昔はあったが)敬遠され、年月が経つ間に日本語から消え去っていった(Wはかろうじて「わ」に残ってるけどね)。 また、声がすぐに出てくれないと困るので、発声準備に時間のかからない瞬発性のある声が勢力を増すようになる。つまり、50音の中のターゲットを一瞬で迷いなく撃ち抜くような発声だ。 その結果、のどからストレートに口へ向かって出す共鳴の少ない生の声(のど声)が広く受け入れられ、50音とセットになって日本語の基盤に据えられたのではないだろうか。 と すれば、日本語の母音「あ」「い」「う」「え」「お」は、実は純粋な母音というよりも、のど声という特殊な発声と不可分に発達してきたと考えられ、その意 味ではやや特殊な音といえる。思い起こしてほしい。僕たち日本人は、小学校の頃に「あ」「い」「う」「え」「お」を習ったはずだが、みんな天真爛漫にのど 声で「あ」「い」「う」「え」「お」と唱和してきたのではないだろうか。嫌いな奴には「イーだ!」と思いっきり口角を左右に引っ張って、のどが唇まで出て くるくらいの感じで声を出したろうし、期待を裏切られたときは「エーッ!」とのどに目一杯ストレスをかけて声を押し出したに違いない。今でもそうしている 人も多いだろう。 この本能的といえるほど自然に出てしまう日本人的な声こそが、のど声の正体だ。(歌手でいうと、松任谷由実や大江千里が典 型的なのど声で、彼らの歌声は、平均的な日本人がしゃべるときの発声をきわめて忠実に映し出している。)のど声は、「あ」「い」「う」「え」「お」の母音 に限らず、日本語の50音すべてと切っても切れない関係にあるといってよい。 日本語で生活している限りは、のど声でも何の不都合もない。むしろ、積極的にのど声を使わないとコミュニケーションがうまくいかなかったりするほどだ。しかし英語などを学ぶ段になると、いつもはほとんど意識せずに使っているこののど声という要素が、相当ひどい悪さをする。 僕 たちは英語を読んだり話したりするとき、ほっておくと頭の中で英語の音を日本語の50音に勝手に変換してしまうのだ。そして、たとえば英語の短母音a, i, u, e, oは「あ」「い」「う」「え」「お」になり、のど声の要素が付加されてしまう。いわゆるカタカナ英語というやつだ。 日本語のカナが発声を束縛するこの習性を、僕は「カナ縛り」と名付けている。日本語にバンドルされているのど声を解除することができれば、英語はより速く上達し、学ぶ楽しさも倍増するだろう。 では、カナ縛りを解いて英語らしい母音や子音を出すにはどうしたらいいのか。それをこれから検討していこう。 英語音読

Posted in 未分類 | Leave a comment

「のど声」の功罪

僕は学生の頃から合唱をやっていたので、いろんな指揮者やボイストレーナーから発声の集団指導や個人指導を受けたが、いちばん最初についた指揮者の教えは今でも忘れられない。日本語の声の出し方と西洋の声の出し方はまったく違う、というのがその人の一貫した主張で、事実その先生が歌うお手本を聴くと、はっきりと違いが理解できた。そのとおり歌えるようになる団員は少なかったが、中には急に化けて、聞き惚れるほどいい声を出すようになる奴もいた。 ちゃんとした発声で歌うほど英語やドイツ語がそれらしく聞こえる、ということも合唱を通じて知った。合唱や声楽の世界で正しいとされる発声は、のどを開いてリラックスさせたまま、「支え」と呼ばれるテクニックを使って体の必要な部分にだけ緊張を維持し、豊かな共鳴を引き出す、というものだが、その対極にある悪い発声の代名詞が「のど声」である。のどを緊張させて、あまり共鳴のない生の音をストレートに絞り出すやり方だ。日本の音楽では浄瑠璃や義太夫、浪曲、あるいは演歌など、のどを緊張させたまま歌う文化があるが、西洋の合唱や声楽では一般にのど声はNGとされている(「のど声」でネット検索してみればわかる)。  このことは歌だけでなく、日本語と英語の話し声の違いにも反映されている。極端な言い方をすると、日本語はのど声が基本で、英語の声はそうではない。だから、日本語的なのど声のまま英語をしゃべろうとすると、ぎこちなく聞こえてしまう。だとすると、のど声を避けることが英語を楽にしゃべる近道となるはずだ。  ちょっとのど声を悪く言い過ぎたかもしれないが、単に声楽の世界でNGというだけで、日本文化の伝統としては誇りに思っていいし、日本語を話すのには便利きわまりないものだ。英語だってのど声でしゃべっていけないという決まりはなく、国連のパン・ギムン事務総長なんかは立派にのど声で通している(多少聞きづらいけど)。だが、もしあなたが英語の発音に行き詰まりを感じていて、よりナチュラルな音に脱皮したいと思うなら、のど声を解除することを目指すとよい。  そのためのアプローチを時間をかけていろいろ追求してきたが、僕が今いちばん有効と見ているのは、鼻先から首の後ろにかけて斜めに切るような面を境に、後方上側で基音をよく響かせながら(発声)、前方下側でクリアな子音と母音を作る(発音)、という分業体制を確立することだ。といってもこれだけでは意味が通じないだろうから、順を追って説明しよう。 それにはまず、僕たち日本人が得意な「のど声」の成り立ちについて、少し詳しく分析してみる必要がある。というわけで、次回は日本語の母音について考えてみたい。 英語音読

Posted in 未分類 | Comments Off on 「のど声」の功罪

平泳ぎ vs. バタフライ(2)

水泳だったら、平泳ぎしかできない人がバタフライを覚えるのは、簡単ではなくとも不可能ではないだろう。泳ぎ方は違いが一目でわかるので、出来は多少あやしくても、いちおう真似ることはできるからだ。 それに対し声の場合は、自分の普段の声と違う出し方を探るのは格段に難しい。声の出るメカニズムそのものが体の中に隠れていて、まさに五里霧中。何をどう操ったらいいのかが、まったく目に見えないからだ。 ではどうするか。 結論からいうと、自分でいろいろと声の出し方を試してみて、その感触を体で覚えていくしかない。そして、出た声を自分の耳で聴き、声質を判断することだ。思うように声が出たと思ったときは、体のどこがどんな感覚だったかをチェックしておく。こうして、体の中(胸、のど、あご、舌、口、鼻など)がどんな状態のときにどんな声が出るかを感覚的に覚えていくのである。 さらっと言ってしまったが、これはなかなかすぐにはできることではない。 たとえば、声帯がどこにあるかは人体解剖図やWikipediaでも見ればわかるだろうが、声帯が振動している場所がどこかを自分の感覚として把握するのはけっこうむずかしいのだ。声帯はのどの奥にあるはずだから、そこを震わせようなどと思っても、なかなかそうは問屋がおろさない。もしかして声帯は不随意筋なんじゃないかと思うくらいだ。僕自身が試行錯誤を繰り返した感触からいうと、声帯はのどよりずっと上のほうにあるように感じたりもする。発声について目で見たり理屈で考えていることと、自分で声を出してみて体感することとは、ずいぶんかけ離れていることが多いのだ。 けれども、実はこうして自分の体と声の出方との相関関係を感覚的に把握しようと努めることが、発声を追求する上ではいちばん大事なのだ。 とはいえ、ただやみくもに実験するのでは効率が悪いし、目指す方向性も示しておいたほうがいいと思うので、次回は僕が平泳ぎ(i.e., 日本語の声)からバタフライ(英語の声)に切り替えるときに使っている経験則についてお話ししてみたい。 英語音読

Posted in 未分類 | 1 Comment

平泳ぎ vs. バタフライ

日本語と英語では、声の出し方が全然ちがう。だって、音を聴いてみれば一目瞭然だもの。たぶんこのブログにたどり着いた人なら、そのことにはとうに気づいているはずだ。 ただ、耳で違いが聴き分けられても、実際に使い分けるのはなかなかむずかしい。英語の発音に悩む人の大半は、ここで壁にぶつかっている。自分が声に出した英語が、英語の音に聞こえない、という悩みだ。 発音を直そうといろいろ勉強してみても、どうも結果が思わしくない、という人は、たぶん声の質の違いに目を向けてみたほうがいいだろう。 その人の上達を妨げている最大の要因は、自分の声はこうだ、という先入観に縛られて、伸びる可能性を自分で封じ込めてしまっていることなのである。 声の出し方は実はいろいろバリエーションがあるのだが、多くの人はもって生まれた自分の声は1つしかないと思い込んでいる。それをいじったり変えたりするのは、自分の人格あるいはアイデンティティの喪失につながる、と恐れるからかもしれない。 でも、自分の慣れ親しんだ声を大事にするあまり、自分を伸ばす可能性を摘み取ってしまってはもったいない。むしろ洋服を着替えるように、とっかえひっかえいろんな声が試せると楽しい、ぐらいに思ったほうがいいのだ。 今あなたが使っている声の出し方は、結局のところ一つの型に過ぎない。水泳でいうなら、たとえば平泳ぎみたいなものだ。ほかにクロールもバタフライも背泳もあるのだから、平泳ぎに固執しなければならない理由はどこにもない。ほんとうは、単に別の泳ぎ方を練習するのが面倒なんじゃないだろうか。ちょっと違う泳ぎ方もやってみようかな、ぐらいの軽い気持ちで、声の新しい可能性を探ってみるとよいと思う。 さて、日本語と英語の声の出し方が、本当に平泳ぎとバタフライぐらい違うものだとしたら、日本人はどうすればバタフライもできるようになるんだろうか。次回はそれを一緒に考えてみよう。 英語音読  

Posted in 未分類 | Comments Off on 平泳ぎ vs. バタフライ