「頭声」というフィクション

声楽ではよく「声を頭に響かせろ」とか「頭声(ヘッドボイス)を使え」などと言われる。のどに力を入れず、頭の中に音を共鳴させろ、という意味合いだ。実際、この頭声をよく理解して使いこなせるかどうかで声の質には雲泥の差が出てくる。そもそも高い音は頭声を使わなければ出せっこないのだ。出せても、けものの断末魔のような聞くに堪えない声にしかならないし、出している本人も必死の形相になる。

いわゆる地声や胸声などといわれるものは、しょせんはのど声に過ぎない。頭声というのはこれとは次元の違う、まったく別の発声から生まれる声なのだ。ちゃんとしたバスやバリトンの歌手は(もちろん女性アルト歌手も)、基本的に最低音までぜんぶ一種の頭声で歌っている。

地声と頭声の違いは、歌声を聴いてみれば誰にでもはっきりわかる。頭声のほうは高い声まで楽々とのびやかに響くのに対し、地声は一見力強いようだがしなやかさに欠け、高い音域は頭打ちでつらそうに聞こえる。小田和正が頭声、スマップやMr. Childrenが地声、といえばわかりやすいだろう。

そして、英語の音声も実は頭声を使うのが基本なのだ。だから、地声(胸声)を主体とする日本語に比べて異質な音声に聞こえるのも無理はない。

ただ、この頭声という概念はなかなか実感として把握しにくい、というのも事実だ。

なにしろ、頭の中にはそんなに音の響く空洞があるわけではない。落語の林家木久扇師匠じゃあるまいし、脳ミソが空っぽな人はそういないのだ。現実には頭にはスイカみたいに水分が詰まっていて、音が共鳴するような造りにはそもそもなっていない。なのに「頭に響かせる」という教えが声楽を中心として脈々と受け継がれているのはどうしてか。

おそらく頭声というのは、理想的な発声に近づくために生み出されたフィクションなのだろう。昔の声楽家たちが、発声テクニックを弟子に伝授しようとしていろいろ自分たちのやり方を言葉にしようと試み、その結果いちばん通じやすかったのが、「頭に音を響かせる」という言い方だったのではないだろうか。それが年月を経るうちに一種の神話というかレジェンド的な地位を獲得したものと考えられる。

もちろん実際には頭に音が響いたりはしない。しかし、そう教えることによって、頭の中になにか声をよくする仕掛けがあるのだ、ということだけは弟子に伝わる。そこで弟子たちは苦労を重ねながら、各自で頭の中に潜む発声メカニズムを探りあてていく、という図式だ。声楽を志すだれもが、「頭声」というフィクションの提示を受けて、ほんとうの発声のヒミツを解明しようと試みるのである。ある意味きわめてまだるっこしい非効率的なやり方ではあるが、これが曲がりなりに成功を収めていることも確かだ。

でも、もっと気づきの効率を高めるべきだと僕は思う。「頭声」というフィクションは確かに有用な面もあるし、少なくとも声楽家の業界では広く受け入れられているが、やはりストレートには納得しにくい概念だ。それに、何より習得に時間がかかりすぎる。日本人の英語発音・発声を変革するには、もう少しこの概念を分かりやすくしなければまずい。技術伝承の手段としてフィクションを使うのであれば、もっと別のフィクションを考え出したほうがいいのではないか。

そこで考えた末に僕が行き着いた1つの答が、「声帯は頭の中にある」というフィクションだ。ほんとうは声帯はのどにあるのだが、これがあたかも頭の中にあるかのように意識しつつこれをコントロールすると、声帯がそれにうまく応えてくれる、という意味である。僕たちの声帯は、これを支配する反回神経の配線がきわめて特異なせいで(詳しくは前回を参照)、その位置認識(位置覚)に先天的な狂いが生じているのだ、と僕は考えている。だとしたら、その狂いさえ意識的に補正してやれば、より的確な声帯のコントロールが可能になる。その補正手段というか方便として僕が提唱しているのが、第二の声帯ともいうべき「鼻腔弁」なる架空の器官なのだ。つまり、声帯を制御しようとする指令をのどに向けるのではなく、上咽頭から鼻腔にかけてのエリアに声帯の「生き霊」みたいなもの(すなわち鼻腔弁)があるとイメージして、ここを操作してやればよいのだ。

従来の「頭声」というフィクションは、あくまで「声が共鳴する場」を頭の中に求める考え方なので、発声の大元たる声帯はやはりのどだという意識が抜けきれない。したがってのどに頼る構図を覆すには至らないことが多い。

これに対し「鼻腔弁」というフィクションは、声帯そのものが頭の内部にあるかのように意識してこれを制御しようという概念なので、意識は完全にのどから離れる。ここが最大のメリットだ。しかも僕の体験からいえば、声帯のコントロールが別次元のように容易になり、声が楽々と出るようになる。要するに、頭声のいいところだけを盗み食いできてしまうのである。

「のどで出した声を頭で共鳴させる」という従来の頭声の概念に比べ、「声帯そのものが頭の中にあるかのように発声する」という新しい頭声の概念は、同じフィクションとはいえ天動説と地動説ぐらいの違いがある。いわば「発声のコペルニクス的転換」なのだ。

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