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声と「進化のいたずら」

今回はしばし技術論から離れて、簡単な思考実験をやってみたい。

まず、両手の薬指を見てほしい。そして、この指を動かす神経だけが、ほかの指と違ってものすごく迂回して配線されていると仮定してみよう。

想定するのはこんなシナリオだ。親指、人差し指、中指、そして小指を動かす神経は、脳から首、肩、腕を伝ってほぼ最短距離でそれぞれの指につながっている。ところが薬指の神経だけは、脳から首まで来たあとさらに鎖骨の下あたりまで伸び、それから向きを反転させて再び首に戻って肩から腕を通り、薬指につながっている、と仮想してみてほしい。

薬指以外の4本の指の神経は、おおむね1本の束になって首から肩、腕に延び、そこから4本に分化している、としよう。これに対し薬指の神経は、首のあたりで他の4本の指の神経から分かれ、だいぶ道草をくってから戻ってきて薬指につながる。とすれば、薬指の神経として分かれる部分は、もとを正せば指の神経束の中でもいちばんはじっこにあったはずだ。ここでは話を簡単にするため、親指よりさらに手首に近い側にくるはずだった神経が、回り回った挙げ句に薬指に落ち着いた、と考えてみよう。

すると何が起こるだろうか。

手を眺めながら、親指、人差し指、中指と順番に指を折っていくと、薬指だけが思うように動いてくれない。さらに小指を折っても、薬指だけは立ったままになるだろう。見た目とは神経の配線の順序が違うので、見かけの順序どおりに神経に命令を出しても、薬指は反応しないのだ。

小指だけを折ってみると、薬指もつられて少し曲がるので、日常生活に支障のない程度には薬指も使える。しかし、楽器を弾くなどの高度な操作はとてもおぼつかないだろう。

では、どうすれば薬指をうまく使えるだろうか。答は簡単で、たとえば右手だったら、親指のさらに右にもう1本の架空の指があると想像し、その空想上の指を動かすように脳から指令を出せばいい。薬指を動かす神経は、もともと親指の外側にあるべき神経だったという想定なので、見た目を無視してその神経本来の位置を操作してやれば、薬指はちゃんと反応するに違いない。

さて、なぜこんな思考実験をしたかはもうお分かりだろう。声帯を支配する神経(反回神経)が、まさにこの架空の薬指の神経のようにとんでもない遠回りな配線になっているので、それが実際にどんな影響を及ぼすかを推理してみたかったからだ。

反回神経の異常な配線ぶりについては以前から指摘しているとおりだが、この配線異常のせいで声帯が他の発声器官よりコントロールしにくくなっている、つまり「声帯の欺き」が生じているのではないか、と僕は想像している。

仮に右手薬指の神経配線が異常に迂回していたとしたら、右親指のさらに右にもう1本架空の指を想定し、これを操作することでほんとうの薬指がうまくコントロールできるに違いない。とすれば声帯もそれと同様に、本来の位置とは違う場所にある声帯虚像(鼻腔弁)を操作することでよりよくコントロールできるのではないか。それが僕の主張(国井仮説)のエッセンスだ。

僕自身が発声実験から感じる手応えからいうと、この仮説はかなり実効性があるように思う。だが実効性うんぬんの前に、ひとつ考察しておきたい点がある。

そもそも反回神経のようにえらく遠回りな配線ができたのはいったいなぜか、という素朴な疑問だ。

反回神経の属する迷走神経という脳神経の束は、一部が喉頭や咽頭につながってこれを支配するが、その他は内臓へと延びてこれを支配している。反回神経はこの内臓を支配する神経の束のほうに属していて、首を通過した後いったん胸に向かって延びていくが、胸部で枝分かれした後に向きを反転させて首に戻り、最終的に声帯を支配する筋肉や骨につながるのだ。

なぜこんな妙な設計になったのだろうか? 恐らくそこで考えられるのは、人間が進化してくる過程の中で、声帯が発達した時期がわりと遅かったのではないか、ということだ。

進化(発生)の過程で、声帯に向かう神経は本来なら喉頭や咽頭の神経と同じタイミングで分岐していればよかったのに、分岐し損なって胸部まで乗り越してしまい、居眠りから覚めたようにあわてて逆方向に分岐して声帯に向かったかのように見受けられる。声帯の神経は、はじめはなかったものが後で無理矢理ひねり出されたように見えるのだ。しかし、果たしてそんなやっつけ仕事のような形で生物が進化するものだろうか?

実はそういうものらしい。スティーブン・ジェイ・グールド(進化論に関するさまざまなトピックを一般向けに紹介したエッセイで知られる生物学者)は、進化は決してパーフェクトな設計図に基づいて進んできたわけではない、とたびたび力説している。キリスト教右派のアメリカ人が進化論を否定するためによく持ち出す「インテリジェント・デザイン」という考え方の誤謬を指摘するためだ。

インテリジェント・デザインとは、要するにこういうことだ。あなたが海辺かどこかを散歩していて、懐中時計を拾ったとしよう。あなたはこれを手にとって観察するが、見れば見るほどこの懐中時計が決して偶然の積み重ねでできたものではなく、時を知らせるために知的に設計されたものだとしか思えなくなる。生物もこれと同じに違いない。その精緻なデザインは決して偶然の産物ではありえず、全能の神が明確な意図の下に設計したからこそ、生物が存在し得るのだ――。インテリジェント・デザインの大雑把な論旨はこんな感じである。

ところがグールドによれば、生物の設計は決してそんなに完ぺきなものではない。古生物の化石など現存する証拠を検証していくと分かるが、生物は手持ちの器官を必要に応じて間に合わせに使いながら環境に適応して進化してきたのであって、その結果かなり不完全なデザインがそのまま残っている例も数多いのだという。

分かりやすいたとえとして彼が挙げた例の1つが、ニューヨークの街の発展してきた経緯だ。この街の道路や下水、電気などのインフラ網は、よく見ると決して合理的とは言えない迷路のような作りになっている。これは、過去の各時代の都合に合わせて作られたインフラがその都度定着してしまい、その後不都合が増えてきても簡単には変更できなくなって、それを迂回するように新しいインフラが付け加わっていった結果なのだという。同じようなことは世界中の都市で多かれ少なかれ起こっているはずだし、生物の進化の過程でも同じことが起きているのだ。進化の過程でいったん作られてしまった器官(インフラ)は撤去できないので、たとえ後で不都合が出ても、それを仕方なく残したまま進化は進んでいくのである。

たとえば人間の網膜の上には多くの毛細血管があり、厳密にいうとこれが僕たちの視覚をだいぶ邪魔しているらしい。神のような存在がパーフェクトに設計したのなら、網膜にこんな欠陥デザインを採用するはずがないではないか。むしろ、かつての生物が視覚を発達させる段階で、手持ちの器官から使えるものを使って適応してきた結果、こうした不都合な面が残ってしまったと考えるほうが自然なのだ。同様の例は枚挙にいとまがない、とグールドは言っていた(ような気がする)。

声帯に話を戻すと、僕たちの遠い祖先はたぶん必要に迫られ、もともと声を出すようには出来ていなかった咽頭や喉頭に、何とかして発声機能を持たせるようにしたのだろう。その過程で手持ちの神経から新しい枝が分岐してきたのではないか。そしてこの分岐した神経が声帯につながろうとして向きを反転させ、声をより簡単に出せるよう進化が進んでいった結果、妙ちくりんな反回神経の配線が残ってしまったのだ、と僕は勝手に想像している。

生物の進化は、その場限りの間に合わせの積み重ね、という側面を持っている。反回神経や声帯の欺きも、おそらくそうした進化の負の遺産なのかもしれない。だが何度も述べてきたように、ちょっと視点を変えてそんな不合理の裏をかいてやりさえすれば、マイナスをプラスにすることだって可能なのである。真に説得力のある発声と発音は、そうした進化のいたずらを逆手にとることから生まれるのだ、と僕は思う。

僕たち人間は、よくも悪くも進化の足跡や過去の歴史を引きずっている。それをしっかりと直視できるかどうかが、僕たち自身の存在意義をわずかなりとも高めるカギなのかもしれない。

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