Monthly Archives: January 2014

のど声を生む「カナ縛り」

日本語の48文字(いわゆる50音)は、それぞれ子音と母音がセットになっていることはご存じのとおりだ。(「あ」「い」「う」「え」「お」には母 音しかないけどね。)これは、元来日本語では子音と母音という区別があまり意識されてこなかったことを意味している。「さ」、「こ」、「め」など、それぞ れ一文字が音節の最小単位なので、それ以上分解しようなどと考える日本人は、昔はあまりいなかっただろう。

こうして母音と子音がタイトなユ ニットとして不可分に結びついていることは、日本語の音声にも大きな影響を及ぼしたに違いない。子音と母音を分けて発音するという発想がない以上、子音や 母音を強調する習慣も生まれないし、音の長さを調節したり音に強弱をつける必要もないからだ。そうしてみると、日本語の音声が英語などの音声とはずいぶん 違った方向へ向かったのも不思議はない。

どの国でも、言葉はより楽に省エネでしゃべれるよう変化していくものらしい。だとすると日本語の音 声は、50音をより簡単に相手にコミュニケートできるよう進化してきたはずだ。たぶん、百人一首のかるた取りか、超イントロクイズみたいに、音の出だしを 聴いただけでそれが50音のどれがかすぐに分かるような声の出し方が生き残ってきたに違いない。それが日本語を「のど声」へと向かわせたのだ、と僕は推測 している。

では、超イントロクイズみたいに一瞬で50音を聴き分けられる声とは、どんなものだろうか。

まず、子音部分を短く して、すぐ母音に移行できるようにすることが必要だ。なるべく短時間に必要な音声データを出し切ってしまう必要があるからだ。当然、子音の中でも、出すの に時間のかかるFやWなどの音は(昔はあったが)敬遠され、年月が経つ間に日本語から消え去っていった(Wはかろうじて「わ」に残ってるけどね)。

また、声がすぐに出てくれないと困るので、発声準備に時間のかからない瞬発性のある声が勢力を増すようになる。つまり、50音の中のターゲットを一瞬で迷いなく撃ち抜くような発声だ。

その結果、のどからストレートに口へ向かって出す共鳴の少ない生の声(のど声)が広く受け入れられ、50音とセットになって日本語の基盤に据えられたのではないだろうか。

と すれば、日本語の母音「あ」「い」「う」「え」「お」は、実は純粋な母音というよりも、のど声という特殊な発声と不可分に発達してきたと考えられ、その意 味ではやや特殊な音といえる。思い起こしてほしい。僕たち日本人は、小学校の頃に「あ」「い」「う」「え」「お」を習ったはずだが、みんな天真爛漫にのど 声で「あ」「い」「う」「え」「お」と唱和してきたのではないだろうか。嫌いな奴には「イーだ!」と思いっきり口角を左右に引っ張って、のどが唇まで出て くるくらいの感じで声を出したろうし、期待を裏切られたときは「エーッ!」とのどに目一杯ストレスをかけて声を押し出したに違いない。今でもそうしている 人も多いだろう。

この本能的といえるほど自然に出てしまう日本人的な声こそが、のど声の正体だ。(歌手でいうと、松任谷由実や大江千里が典 型的なのど声で、彼らの歌声は、平均的な日本人がしゃべるときの発声をきわめて忠実に映し出している。)のど声は、「あ」「い」「う」「え」「お」の母音 に限らず、日本語の50音すべてと切っても切れない関係にあるといってよい。

日本語で生活している限りは、のど声でも何の不都合もない。むしろ、積極的にのど声を使わないとコミュニケーションがうまくいかなかったりするほどだ。しかし英語などを学ぶ段になると、いつもはほとんど意識せずに使っているこののど声という要素が、相当ひどい悪さをする。

僕 たちは英語を読んだり話したりするとき、ほっておくと頭の中で英語の音を日本語の50音に勝手に変換してしまうのだ。そして、たとえば英語の短母音a, i, u, e, oは「あ」「い」「う」「え」「お」になり、のど声の要素が付加されてしまう。いわゆるカタカナ英語というやつだ。

日本語のカナが発声を束縛するこの習性を、僕は「カナ縛り」と名付けている。日本語にバンドルされているのど声を解除することができれば、英語はより速く上達し、学ぶ楽しさも倍増するだろう。

では、カナ縛りを解いて英語らしい母音や子音を出すにはどうしたらいいのか。それをこれから検討していこう。

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「のど声」の功罪

僕は学生の頃から合唱をやっていたので、いろんな指揮者やボイストレーナーから発声の集団指導や個人指導を受けたが、いちばん最初についた指揮者の教えは今でも忘れられない。日本語の声の出し方と西洋の声の出し方はまったく違う、というのがその人の一貫した主張で、事実その先生が歌うお手本を聴くと、はっきりと違いが理解できた。そのとおり歌えるようになる団員は少なかったが、中には急に化けて、聞き惚れるほどいい声を出すようになる奴もいた。

ちゃんとした発声で歌うほど英語やドイツ語がそれらしく聞こえる、ということも合唱を通じて知った。合唱や声楽の世界で正しいとされる発声は、のどを開いてリラックスさせたまま、「支え」と呼ばれるテクニックを使って体の必要な部分にだけ緊張を維持し、豊かな共鳴を引き出す、というものだが、その対極にある悪い発声の代名詞が「のど声」である。のどを緊張させて、あまり共鳴のない生の音をストレートに絞り出すやり方だ。日本の音楽では浄瑠璃や義太夫、浪曲、あるいは演歌など、のどを緊張させたまま歌う文化があるが、西洋の合唱や声楽では一般にのど声はNGとされている(「のど声」でネット検索してみればわかる)。

 このことは歌だけでなく、日本語と英語の話し声の違いにも反映されている。極端な言い方をすると、日本語はのど声が基本で、英語の声はそうではない。だから、日本語的なのど声のまま英語をしゃべろうとすると、ぎこちなく聞こえてしまう。だとすると、のど声を避けることが英語を楽にしゃべる近道となるはずだ。

 ちょっとのど声を悪く言い過ぎたかもしれないが、単に声楽の世界でNGというだけで、日本文化の伝統としては誇りに思っていいし、日本語を話すのには便利きわまりないものだ。英語だってのど声でしゃべっていけないという決まりはなく、国連のパン・ギムン事務総長なんかは立派にのど声で通している(多少聞きづらいけど)。だが、もしあなたが英語の発音に行き詰まりを感じていて、よりナチュラルな音に脱皮したいと思うなら、のど声を解除することを目指すとよい。

 そのためのアプローチを時間をかけていろいろ追求してきたが、僕が今いちばん有効と見ているのは、鼻先から首の後ろにかけて斜めに切るような面を境に、後方上側で基音をよく響かせながら(発声)、前方下側でクリアな子音と母音を作る(発音)、という分業体制を確立することだ。といってもこれだけでは意味が通じないだろうから、順を追って説明しよう。

それにはまず、僕たち日本人が得意な「のど声」の成り立ちについて、少し詳しく分析してみる必要がある。というわけで、次回は日本語の母音について考えてみたい。

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平泳ぎ vs. バタフライ(2)

水泳だったら、平泳ぎしかできない人がバタフライを覚えるのは、簡単ではなくとも不可能ではないだろう。泳ぎ方は違いが一目でわかるので、出来は多少あやしくても、いちおう真似ることはできるからだ。

それに対し声の場合は、自分の普段の声と違う出し方を探るのは格段に難しい。声の出るメカニズムそのものが体の中に隠れていて、まさに五里霧中。何をどう操ったらいいのかが、まったく目に見えないからだ。

ではどうするか。

結論からいうと、自分でいろいろと声の出し方を試してみて、その感触を体で覚えていくしかない。そして、出た声を自分の耳で聴き、声質を判断することだ。思うように声が出たと思ったときは、体のどこがどんな感覚だったかをチェックしておく。こうして、体の中(胸、のど、あご、舌、口、鼻など)がどんな状態のときにどんな声が出るかを感覚的に覚えていくのである。

さらっと言ってしまったが、これはなかなかすぐにはできることではない。

たとえば、声帯がどこにあるかは人体解剖図やWikipediaでも見ればわかるだろうが、声帯が振動している場所がどこかを自分の感覚として把握するのはけっこうむずかしいのだ。声帯はのどの奥にあるはずだから、そこを震わせようなどと思っても、なかなかそうは問屋がおろさない。もしかして声帯は不随意筋なんじゃないかと思うくらいだ。僕自身が試行錯誤を繰り返した感触からいうと、声帯はのどよりずっと上のほうにあるように感じたりもする。発声について目で見たり理屈で考えていることと、自分で声を出してみて体感することとは、ずいぶんかけ離れていることが多いのだ。

けれども、実はこうして自分の体と声の出方との相関関係を感覚的に把握しようと努めることが、発声を追求する上ではいちばん大事なのだ。

とはいえ、ただやみくもに実験するのでは効率が悪いし、目指す方向性も示しておいたほうがいいと思うので、次回は僕が平泳ぎ(i.e., 日本語の声)からバタフライ(英語の声)に切り替えるときに使っている経験則についてお話ししてみたい。

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平泳ぎ vs. バタフライ

日本語と英語では、声の出し方が全然ちがう。だって、音を聴いてみれば一目瞭然だもの。たぶんこのブログにたどり着いた人なら、そのことにはとうに気づいているはずだ。

ただ、耳で違いが聴き分けられても、実際に使い分けるのはなかなかむずかしい。英語の発音に悩む人の大半は、ここで壁にぶつかっている。自分が声に出した英語が、英語の音に聞こえない、という悩みだ。

発音を直そうといろいろ勉強してみても、どうも結果が思わしくない、という人は、たぶん声の質の違いに目を向けてみたほうがいいだろう。

その人の上達を妨げている最大の要因は、自分の声はこうだ、という先入観に縛られて、伸びる可能性を自分で封じ込めてしまっていることなのである。

声の出し方は実はいろいろバリエーションがあるのだが、多くの人はもって生まれた自分の声は1つしかないと思い込んでいる。それをいじったり変えたりするのは、自分の人格あるいはアイデンティティの喪失につながる、と恐れるからかもしれない。

でも、自分の慣れ親しんだ声を大事にするあまり、自分を伸ばす可能性を摘み取ってしまってはもったいない。むしろ洋服を着替えるように、とっかえひっかえいろんな声が試せると楽しい、ぐらいに思ったほうがいいのだ。

今あなたが使っている声の出し方は、結局のところ一つの型に過ぎない。水泳でいうなら、たとえば平泳ぎみたいなものだ。ほかにクロールもバタフライも背泳もあるのだから、平泳ぎに固執しなければならない理由はどこにもない。ほんとうは、単に別の泳ぎ方を練習するのが面倒なんじゃないだろうか。ちょっと違う泳ぎ方もやってみようかな、ぐらいの軽い気持ちで、声の新しい可能性を探ってみるとよいと思う。

さて、日本語と英語の声の出し方が、本当に平泳ぎとバタフライぐらい違うものだとしたら、日本人はどうすればバタフライもできるようになるんだろうか。次回はそれを一緒に考えてみよう。

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