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声帯ろくろ首

怪談噺ではないが、ろくろ首というお化けについて一席。 前にも触れたが、僕の提唱する鼻腔弁というやつは声帯の幽霊みたいなものだ。これを呼び覚ますと、実際はのどにある声帯があたかも鼻の奥に存在するかのような錯覚が生まれる。声帯の生き霊、といってもいいだろう。 そんなことを考えているうちに、ふとこんな疑問がわいてきた。声帯と鼻腔弁、果たしてどっちが現実でどっちが虚像なんだろうか、と。 中国の故事に、自分が蝶々になって楽しく飛び回る夢を見る男の話がある。あまりにも現実感の強い夢なので、男は「果たしてこれは夢なのか、それとも実は自分は蝶で、それが人間になった夢を見ているのではないか」といぶかしがる。ちょいと哲学的というか、実存性への疑問を象徴するような話である。 どちらが現実でどちらがまぼろしか、というのは、突き詰めるとそう簡単に割り切れる問題ではない。視点をずらしてみれば、鼻腔弁のほうが現実で、声帯のほうがまぼろしだったとしてもおかしくはないのだ。 これを実験してみない手はない。僕はまず、物理的な声帯の位置を絶対視しない、というスタンスをとってみることにした。声帯がのどにあるという常識は夢想にすぎない、と考えるのだ。 そして、声帯は鼻の奥にある、という空想を「別次元の現実」ととらえることにした。 この別世界では鼻腔弁こそが本当の声帯で、のどにあるのは声帯の抜け殻にすぎない、と考えるのである。 なーんだ、同じ現実を視点を変えて見ているだけじゃないか、と言われれば、確かにそのとおりかもしれない。しかしこの視点の転換は、意外な効能をもたらすのだ。僕の経験上、脳は声帯よりも鼻腔弁とそりが合いやすい。声帯はあまり脳の言うことを聞かないが、鼻腔弁はわりと素直に反応してくれるのである。けれども、脳と鼻腔弁をつなぐチャンネルは実世界では存在しないとされるので、このルートの発達する機会がきわめて乏しいのだ。だとしたら、そんな悪しき既成概念なんかひっくり返してやればよい。 鼻腔弁を真の声帯ととらえると、声帯を操るための指令はすべて鼻腔弁の位置に向かうことになる。脳からの司令はいったんはのどを経由するかもしれないが、最後には鼻腔弁に達するのだ。この感覚を養い続けると、ついにはのどにある声帯の実像さえもが次第に浮上し、鼻腔弁の位置へとせり上がってくる。あたかも声帯がろくろ首のようにのどからヌーッと鼻の奥へ移動するような感じである。長く伸びる首の部分は、おそらく反回神経が化けたものだろう。 あるいはアンドンクラゲをイメージしてみてもよい。普段はのどに生息するアンドンクラゲが、声を出そうとする際にふわりと浮き上がってきて、細い触手みたいな反回神経を後にひきずりながら鼻の奥に届くと、前方に向き直って鼻腔にドッキングする、という感じかな。ちなみにこのアンドンクラゲは、声帯の精霊というか幽体みたいなものだと想像してほしい。 こうしてついには声帯のエッセンスがことごとく鼻の奥に位置を移し、のどには反回神経のみが残る。そして、声帯を操ろうとすると鼻腔弁が即応して声を出す。脳と声がダイレクトにつながるのだ。 この打てば響くような小気味よい反応は、のどに声帯の存在を引きずっていたときには味わったことのないものである。目からウロコではないが、のどから憑き物が落ちたような感覚、といえば分かってもらえるだろうか。 僕は以前から、声帯は鼻の奥にある、と主張してきたが、「あくまで想像上の話だけどね」と断り書きを添えていた。もしかしたらもうそんな釈明は不要かもしれない。声帯は本当に鼻の奥にあって、それを「現実」と捉えることが発声のさとりにつながるのではないか・・・ お後がよろしいようで。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないでほしい。個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが、人に紹介していただく際には必ず、国井のアイデアだと言及するようようお願いしたい。(以前僕が別のブログで音読について綴ったことを本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。)

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神経についての考察

「腹式呼吸」なる言葉がボイストレーニングではよく聞かれる。簡単にいうと、横隔膜を上下させて肺を広げたり縮めたりする呼吸法を指す。(これに対し、胸郭の上下による呼吸は胸式呼吸と呼ばれる。) しかし、僕は腹式だろうが胸式だろうがそんなのカンケーねえと思っている。息を安定させることは大事かもしれないし、強い息を出せたほうが声にパワーが出るかもしれない。しかし発声や発音でいちばん肝心なのは、のど声にならないことだ。いくら安定したパワフルな息を身につけても、のど声はなんら改善されない。単に、のど声が耳障りにやかましくなるだけの話だ。声の質には変化がないのである。当たり前だろう。声の出し方が変わっていなんだもの。 考えてみると、発声でいう腹式呼吸とか正しい呼吸法とかいったアプローチは、もっと基本的な部分で重大な見落としをしているのではないだろうか? すなわち、「神経」という観点だ。 もちろん、呼吸は空気を肺に出し入れすることには違いない。しかし、発声の観点からはちょっと別の見方が必要になると思う。発声というのは単なる呼吸ではない。息の出し入れそのものよりも、それに伴ってどう空気を振動させるかがポイントなのだ。 単に呼吸だけの話なら、肺というポンプをどう動かして息を出し入れするかを考えれば済む。実に簡単な図式で説明できてしまうだろう。 ところが声を出す場合は、中途で声帯という器官が首を突っ込んでくる。しかも、これがなかなかいうことを聞いてくれない。 声を作った後には口で母音や子音も作らなければならないが、やっかいなことに、声帯を支配する神経(反回神経:迷走神経に属する)と、口回りを支配する神経(三叉神経)はまったく別系統になっている。この異なる系統の神経をうまくコーディネートしないと声は思うように操れないのだ。両者を意識せずに「自然に」声を出そうとすると、何が起こるか。発音をはっきりしようと三叉神経を働かせれば働かせるほど、それが反回神経による発声を妨げるように作用してしまうのである。 神経に関するこういった視点が、これまでのボイストレーニングには欠けていたのではないか、と僕は危惧する。 たいていの指導者は、声や発声のメカニズムを物理的な目でしかとらえていない。だから、声帯の神経と口回りの神経が相互にどう作用しているかを考える視点はいつまでたっても出てこないのだ。 本気で発声に取り組むなら、ほんとうは声帯を操る神経を自分の意識に上らせることから始めなければならない。それが欠けている限り、正しい発声は永遠に手の届かない存在なのである。 だから、呼吸の改善なんかは二の次でもまったく構わないのだ。 「自分はずっと日本語をしゃべってきたから、声帯をうまく使っているはずだ」とあなたは思っているかもしれない。しかし、実は大半の人は声帯本来のポテンシャルのごく一部しか使えていないのである。 なぜかというと、日本語では声帯を操るのに反回神経を意識せず、口回りの神経と同じ神経系統(三叉神経)を使っているからだ(国井仮説。発声を口回りの神経に委ねてしまうこのやり方を、僕は「カナ縛り」と呼んでいる)。これは実に遠回しな発声のやり方である。本来なら、声帯をつかさどる反回神経という神経を通じて直接声帯に働きかければもっと効率よくコントロールできるのだが、残念ながら日本語では口回りの神経のほうが主導権を持つため、間接的にしか反回神経に働きかけていないのだ。 で、反回神経を覚醒させる方法を考えてみた。 ボディビルやストレッチなんかだと、今自分がどの筋肉を鍛えようとしているかをピンポイントで意識することが大事、といわれているらしい。これと同じく、反回神経が自分の体のどのあたりを走っているのかを意識してみてはどうだろうか。 ネットで調べると、反回神経を図示したいろんなグラフィックスが出てくるので、見ておいてほしい。脊髄から出た2本の神経の束が、首に沿っていったん鎖骨の下まで伸びる。そして心臓から出る左右の動脈を前方から回り込むようにかいくぐると、今度は上に方向転換し、再び首の両脇を通って、最後はのどぼとけの奥あたりに達する。参考までに、以前も紹介したYouTubeビデオを挙げておく(https://www.youtube.com/watch?v=XWCpPw63W_k) 反回神経のルートをこのように頭に入れておけば、意識しやすくなるはずだ。これに対し、三叉神経のほうは脳からわりとストレートに口やあご、舌などに伸びているので、特別意識しなくても自然にコントロールできている。 経路を意識したからってどうなるの? という疑問もあるかもしれない。だが僕はこう考える。声帯の周辺を操る反回神経が、口、あご、舌などを操る三叉神経とは別の系統(迷走神経)に属している以上、反回神経の働きを僕たち自身が確認することが大事なのではないか。これまでまったく意識してこなかったこの反回神経にちゃんと注意を払うことで、声帯を直接コントロールする第一歩が踏み出せるのではないか、と。 神経を意識するといっても、筋肉を意識するのと違って、神経をピクピク動かしたりはできない。たぶん神経内に電気を走らせるか否かぐらいの違いだろうし、意識するだけでは単なる気休めにすぎないかもしれない。が、今まであまり使わなかった回路を意識的に使おうとすることは、決して無意味ではないはずだ。思いもよらなかったプラスの効果だって出てこないとは限らない。 とりあえずは、自分の体内に反回神経をマッピングして、そこに脳からの電気刺激を通電させたりオフにしたりしながら声を操る、という意識練習をやってみるとよいと思う。 ここで一つ提案したいことがある。だまされたと思ってやってもらいたいのだが、できれば反回神経の末端を、のどぼとけの後ろではなく、さらに上の鼻の奥あたりまで伸ばしてみてほしい。そこが神経知覚上の(つまり物理的位置とは違った)声帯のありかだ、と僕は考えている。 「鼻腔弁」と僕が名付けているこの場所は、僕自身の体験だけでなく、僕の知っている何人かの声楽家の話からも、声帯と深く関連していることがうかがわれる。ここに何らかの「声帯のツボ」があると思われるのだ。 とすれば、この鼻腔弁の位置と反回神経は何らかのリンクでつながっていなければならない。だから、多少の論理の飛躍は承知の上で、神経知覚上のリアリティと物理的なリアリティのギャップを想像力で埋めてみてほしいのだ。「反回神経の末端は、意識の上では鼻腔弁につながっている」、と。 この点は、英語でいうleap of faith(覚悟を決めて賭けに出ること)というか、一種盲信的なことを皆さんに求めることになるので、剣が峰になることは百も承知だが、ここをクリアできれば新しい声の世界が開けてくるはずなのだ。 声を出そうとするときには、反回神経の経路全体が通電して、たとえば白く発光している様子を想像してみよう。神経内を電気信号が走るだけなので、周囲の筋肉は特に緊張しない。反回神経は心臓近くを通過するので、鼓動のリズムからも多少の影響を受けるかもしれない。脳からの信号が伝わると、末端にある鼻腔弁(神経知覚上の声帯)が閉じ、息を振動させて声を生む。 こうしたイメージを持つことで、反回神経に対する意識が次第に高まる。そうすれば、声帯を意識的にコントロールすることが容易になってくるはずだ。声帯を能動的に動かすリンクとして、反回神経を活性化させることが必要なのである。 僕自身の体験からいうと、鼻腔弁というイメージを作り上げて、そこにつながる神経を探り当てていくプロセスほど面白いものはなかった。成功の保証などなかったし、それこそleap of faithで始めたのだが、どうにか体のほうが言うことを聞いてくれて、「ここにこう刺激を送ってやれば声帯がこう反応するんだな」ということが少しずつ見えてきた。そして今も、声帯との対話によるチューニングを繰り返す日々を過ごしている。 声帯との対話を重ねてきて思うのは、神経という存在の重さだ。この視点がこれまでのボイストレーニングにはまったく欠けていた、と僕は改めて思う。 神経が知覚するリアリティと、物理的なリアリティには、重なる部分もあるけれど、一部はとんでもなく乖離している部分もあるのではないだろうか。声帯はその顕著な一例である。 常識的には、声帯はのどぼとけの後ろにあるのだから、顔やあご、首などを動かすのと同じような感覚で声帯だって自由に動かせるように思いがちだ。しかし実際には、声帯はかなりのきかんぼうで、なかなか思うようにコントロールできない。それは神経系統の違いや、反回神経に対する意識の希薄さ、配線の特異性などによるものだと僕は考えている。一見すると隣合っていて連続的にコントロールできそうな器官が、実はまったく別系統で不連続、という例かもしれない。 声帯というのは、付近の他の器官と連続しているもの、と誰もが思っている。ところが神経の面から見ると、周囲とは不連続きわまりない存在なのだ。このことをしっかりと認識するか否かで、声帯に対するコントロールの効果はまるで違ってくる。 「鼻腔弁」なんて、笑止千万の絵空事、と思う人も多いだろう。だが果たしてその人たちは、声帯を支配する神経の特殊性を認識した上で嘲笑しているのだろうか? 彼らのほうこそ先入観にとらわれている、という面もあるのではないだろうか? さて、話は変わるが、人間が声を出す仕組みにもっとも近い楽器はなんだろうか? 僕は以前はバイオリンかなと思っていたが、最近ではラッパのほうが近いと考えている。 ラッパの機構は単純だ。マウスピースと管、そして先端の先端のベルと呼ばれる広がった部分からなっている。 1. 唇をマウスピースに当てて振動させると、 2. それが管を通って 3. ベルから出ていく時に増幅されて、大きな音になる。 人間の声も、基本はこれと同じ仕組みで出される。 1. 声帯は、マウスピースに押し当てられた唇と同じ働きをする。 2. 出た振動は、のどを通って口腔に達する。 3. 口腔から振動が外に出る間に音が増幅され、大きな声になる。 たったそれだけのことである。 よく「声を頭に響かせろ」なんて教えるボイストレーナーもいるが、そんなのは迷信だと僕は思っている。頭の中ががらんどうならいざしらず、脳ミソや体液なんかがいっぱい詰まった頭が音を響かせられるはずがないのだ。ウソだと思ったらスイカを指ではじいてみるといい。せいぜいボンという鈍い音がするだけで、スカッと響きわたるような音なんか出ないのだ。あるいは、音叉をはじいてその根元を頭の上に乗っけてみるといい。頭が共鳴して大きな音に増幅されたりは決してしないのだ。 話を元に戻そう。 声がラッパの原理で出ているなら、ちゃんとした声を出す方法は自明だ。 1. 声帯をしっかり振動させる。 2. 出た振動を遮らずに口腔に伝える。 3. 振動が最もうまく増幅されるような口の形を作る。 以上である。 これをうまく実践できればもう何も言うことはない。ただ現実には、そうした理想形への到達を妨げがちな要因がいくつかある。それを突き止め、意識的に改善してやることが必要なのだ。 自然な発声を阻害する要因を、ステップごとに挙げてみよう。 1. 声帯の振動を妨げる要因 声帯をコントロールする神経(半回神経)についての認識不足 2. 声帯から出た振動を口腔に伝えることを阻害する要因 披裂喉頭蓋ヒダの干渉(いわゆるノド声) 3. 声を増幅するような口の形を阻害する要因 発音のクセ(発音する際の舌や唇の形が口内スペースを必要以上にふさいでしまう) まず、声帯をしっかり振動させることから始めよう。 ほとんどのボイストレーニングの問題点は、声帯をコントロールする筋肉や腱や骨ばかり気にして、声帯に作用する神経についてはまるで神経が行き届いていない、という点である。 本当は、神経の重要性はいくら強調してもしたりないくらいなのだ。 声帯(発声)をつかさどっている神経は、半回神経と呼ばれ、元をただせば迷走神経という部類の脳神経である。これに対し、発音にかかわる口や舌、あご、唇などを動かす神経は、主に三叉神経と呼ばれる別系統の脳神経なのだ。つまり、発声と発音は別系統の脳神経でコントロールされている。ところが、僕たちはそれを十分認識していないことが多い。それが発声を難しくしている大きな要因だ、というのが僕の持論である。 僕たちはともすると、発音と発声をいっしょくたに考えがちだ。発音をはっきりしたいときは口やあごをしっかり動かすが、その延長で、のどを操ることで声をコントロールしようとしてしまう。ところが、上述したとおり口やあごを動かす神経と声帯の神経はまるで別系統なので、声帯だけはうまくいうことを聞いてくれない、という事態になる。まがりなりに声は出るが、どうも高い声が出にくかったり、声がだみ声みたいになったり、思うようにコントロールできない、というケースが多いのだ。 僕たちはふつう、声帯はのどにあると思っているし、実際物理的にはそうなのだが、声帯を動かす神経(半回神経)の立場から見ると、ちょっと様子が違ってくる。どうも声帯は「鼻の奥にある」と意識してやらないと、うまくコントロールできないような配線になっているようなのだ。口やあごや舌をつかさどる三叉神経の感覚からいけば、声帯はのどの位置になければならないのだが、実際に声帯を動かすのはこれとは違った系統の迷走神経に属している。しかもこの半回神経というやつは、いったん脳から心臓近くまで下がった後にUターン(半回)して首のあたりに戻ってくる、という奇妙な経路をたどる。 おそらくこの命令系統の違いや神経配置の特異性に起因して、声帯の物理的な位置と神経知覚上の位置がずれてしまっているのではないか。これこそが、僕がおそらく世界で初めて提唱した国井仮説のエッセンスである。 この位置覚のずれがあるせいで、声帯は「鼻の奥付近にある」と意識しないとうまくコントロールできない。僕はこのことを自ら人体実験で幾度となく確認し、仮説への自信を深めるとともに、より精度の高いコントロールを得るためのチューニングを進めてきた。 そして、神経知覚上の声帯の位置を「3D鼻腔弁モデル」という形で提示した。 このモデルに沿って声帯をぴったりとくっつけ合うことで、声帯をしっかり鳴らすことができることを、少なくとも僕は実地で確認してきた。 声帯のしかるべき振動を妨げる要因は、神経にあったのだ。 次に、この振動の口腔への伝達を阻害する要因について触れたい。 伝達が阻害された状態は、ラッパで言えば、マウスピースとベルをつなぐ細い管に異物が詰まったような状態のことである。 人間の発声器官でいうと、声帯のすぐ上にある披裂喉頭蓋ヒダという部位が、声の通り道を塞ぐように出張ってくる現象がそれにあたる。日本人には、この形で声を出している人がかなり多いように見受けられる。のどに力が入ったまま発声しているように聞こえるのだ。日本語をしゃべるときは、こうしたのど声のほうがノーマルだと受け取られているように僕には思える。明石家さんまを始めとする芸人のダミ声を思い出していただければ、ピンとくるのではないだろうか。 こうした「悪さ」を働く披裂喉頭蓋ヒダのことを、僕は声帯もどき、あるいは遮蔽膜とも呼んでいる。のどで声をコントロールしようとすると出張ってくるのがこのヒダなので、声帯に似て非なるものという意味で声帯もどき。あるいは、声帯の振動を口腔に伝えるのを邪魔する膜なので遮蔽膜。いずれにしても、このヒダには引っ込んでいてもらったほうが、自然でのびやかな声が出ることは間違いない。(吉本興業のオーディションでは「おもろない声や」といって落とされるかもしれないが。) では、どうすればこのヒダを手なずけられるか。 のどで声を操ろうとすると、このヒダが出しゃばってくる。だから、おそらくこれは三叉神経のほうの問題だろう。だから、のどに力を入れないよう意識することが第一だ。 もう1つ、たぶん反回神経の側でもこのヒダに何らかの影響力を及ぼすと考えられるので、上述した「3D鼻腔弁モデル」で示したように、披裂喉頭蓋ヒダが引っ込んだ状態になるよう、コントロールを試みる必要がある。 ちょっと面倒なのは、披裂喉頭蓋ヒダの位置がちょうど三叉神経の管轄と反回神経の管轄が交差する部分にあると思われる点だ。したがってコントロールの仕方がややこしい。発音と発声の両サイドから披裂喉頭蓋ヒダを抑え込む必要があるのだ。 発声サイドでは、2重リングで構成される「3D鼻腔弁モデル」の外側リングに意識を集め、遮蔽膜がなるべくリング内に入ってこないように努めよう。同時に発音サイドからも、のどの力を抜くようにする。別の見方をするなら、この外側リング(披裂喉頭蓋ヒダ)は鼻腔弁とのどの両方に同時に存在している、と考えてもよいだろう(「シュレジンガーの猫」みたいに)。だとすると、反回神経と三叉神経のどちらの神経を意識するかによって、外側リングの居場所は異なるのだ。 そこで注目したいのは、披裂喉頭蓋ヒダのコントロールに伴って、反回神経から三叉神経へのバトンタッチが起きる、という点だ。 これはすなわち、発声から発音へのバトンタッチを意味する。これがスムーズにできるかどうかが、自然な発声と発音の成否に大きく関係してくるのだ。異なる神経系統間での動作の受け渡しは、容易ではない。二系統の神経そのものはつながっていないので、動作は不連続となりがちだ。片方は鼻の奥で、もう片方はのどである。物理的に見てつながりはありえない、という先入観も抱きがちだ。そこで、両神経系統が呼吸を合わせて動作を調節する作業が不可欠となる。うまくつなげるためには、鼻腔弁を通り抜けた振動(声)が、口の奥に瞬間移動するように意識するとよい。この息の流れは、常識的には不連続だが、神経知覚上は連続しているのだ。この不思議な感覚をマスターできれば、発声と発音がシームレスにつながって、より声の自由度が高まるのである。切れ目のない声を出す決め手は、「物理的な不連続」を「神経感覚上の連続」に変換するプロセスなのだ。(これも国井の前代未聞の発見としておこう。) 最後は、口腔内の要素が声の増幅を妨げていないか確認し、もし妨げていれば口内のフォームを変えることである。 言葉を発音する際には、母音も子音もある程度息(声)の流れを妨げることになるが、これを過剰に、あるいは不必要に妨げないようにすることが大切だ。 母音の場合、舌の位置がかなり重要だ。特に、舌の奥が盛り上がっていると、のどから出る息の流れが妨げられ、ラッパでいえば弱音器を付けたようになってしまう。舌を低く保ち、口の中にラッパのベル部分のような広がりを作るよう努力しながら、同時に母音をはっきり発音する方法を探ろう。(のど声の人は、声を出そうとすると舌の奥が盛り上がってしまう。これを解消するよう工夫してほしい) ラッパが大きな音を奏でる秘密は、ベル部分の広がりにある。なのでその形を模倣しさえすれば、声を音響的に増幅することができるのだ。母音の違いを発音し分けるときも、口の中を不必要に狭めてしまわないように気を付けよう。 鼻腔弁モデルをマスターしていれば、発声時にのどに力が入ることはない。しかし、母音や子音を明瞭にしようとするとついのどに力が入るので、そこが最大の注意点だ。自分がこれまで持っていた母音と子音の先入観はきっぱりと捨て去る覚悟で臨んでほしい。 最後に子音について補足しておこう。 子音を発音する位置はそれぞれ多少異なるが、基本的に母音よりも外側(口の前側)で発音することに変わりはない。つまり、発声によって出た声の振動が口腔内で母音を形成した後に、子音が加わることになる。 英語の場合、ほとんどの子音は上あごの高さで作られる。前後の位置でいうと、前歯付近で作られる子音が大半を占め、例外的に硬口蓋の奥付近でgやkが、軟口蓋付近でhが作られる、といった感じだ。 前にも述べたが、thは英語の子音の中でも特徴的で、他のヨーロッパ言語には(北欧を除けば)あまりない。しかも、the, this, that, these, those, … Continue reading

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星座と発声

最初に断っておくが、何座の人は声がいいとかいう星占いの話ではない。ここで星座を持ち出したのは、鼻腔弁の特定の箇所をどう操作すれば素直な声が出るか、という疑問に答えるためだ。 僕は試行錯誤の結果、操作すべきポイントは4箇所だという結論に至った。いずれも披裂喉頭蓋ひだ(遮蔽膜)の先端にある、小角結節と楔状結節という名の各1対の肉球である(2017年2月の「声帯を直視して範となすべし」を参照)。 この4点を意識的にコントロールできれば、僕が追い求めてきた発声に大きく近づけるに違いない。それには2つの条件がある。1つは、声帯付近にあるこれらの肉球を、鼻腔弁のどこにマッピングすれば操作できるかを突き止めること。そしてもう1つは、この4つの肉球をどう配置すれば最適な発声が得られるかを探ることだ。 マッピングについてはある程度あたりをつけてある。前回と前々回に示した3D鼻腔弁の図で、遮蔽膜リングの上端付近が多分一番可能性が高いと考えられる。 問題は、肉球の配置だ。この半年以上は、その検討に費やしてきたようなものだ。だが突き詰めれば話は簡単だ。肉球は4つしかなく、しかも2つずつがペアになっているので、この4点を星座のように結んでみると、必ず台形になるはずだ。問題は、同一ペア内の肉球がどれだけ離れ、あるいは接近しているか、そして異なるペアがどんな角度でどのような位置関係にあるか、という点だ。 同一ペアのうち、小角結節にあたるペアは極力接近させるべきだろう。というのは、小角結節は声帯を閉じる役目を持つ小角軟骨の一部なので、発声時には小角結節も閉じた状態になると予想されるからだ。 楔状結節のほうは、遮蔽膜を引っ込めるよう作用させたいので、できるだけ頭の後ろのほうに引っ張った上、左右にやや開き気味になるのでは、と推測した。 こうして、遮蔽膜リングの上端に小角結節2個をほぼ接触するぐらいに並べ、その背後に楔状結節をやや左右に開いて配置する、という台形状ないしほぼ三角形の星座モデルを描くことができた。 さらに僕は、この星座の形をあまり崩すことなく声を出してみながら、星座全体の前後の傾きを加減して最適な角度を探る、という作業を繰り返した。 そして最近、ようやくかなり納得できる配置にたどり着いた。楔状結節は、小角結節のすぐ後ろかつやや下方に配置する。声を出す時は、2つの楔状結節を出来るだけ密接に近付けながら、小角結節はより後方下側に向かって滑らせるようにする。台形がより長細く後ろ下方に伸びる感じ、といえばよいだろうか。 このとき、楔状結節のほうは後ろに引っ張られないよう踏み止まらせる。この前後に拮抗するようなバランスを保つ点がミソである。 楔状結節は遮蔽膜がしゃしゃり出るのをぐっと抑え、小角結節は声帯をぴったり合わせてシャープな振動を確保する。この相乗効果によって、声は本来のパワーをいかんなく発揮できるのである。 この感覚は、実際に試して自分でつかむ以外に方法がない。言葉で伝えられるイメージは出せるだけ出したので、あとはぜひ各自で探ってみてほしい(また別のイメージを思いついたら紹介するつもりではあるが)。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないでほしい。個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが、人に紹介していただく際には必ず、国井のアイデアだと言及するようようお願いしたい。(以前僕が別のブログで音読について綴ったことを本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。)

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鼻腔弁リングと遮蔽膜リング

前回示した鼻腔弁の3D図では、指輪を2つ重ねたようなシリンダー形状の中に、鼻腔弁と遮蔽膜が収まっている。これは実際の声帯の構造を模したものだ。声を出すときには声帯本体だけでなく、そのやや上に出没する遮蔽膜(正式には披裂喉頭蓋ひだ)の状態も大きく関係してくるので、両者をセットにして考えるのが妥当なのだ。 鼻腔弁は、声帯が鼻の奥にあるかのように仮想したモデルだ。形は縦にスリットの入ったコイン状である。この部分を鼻腔弁リングと呼んでおこう。 鼻腔弁の前には、遮蔽膜を収めるリング状のパーツがある。これを便宜上、「遮蔽膜リング」と呼ぶことにする。 鼻腔弁リングと遮蔽膜リングは、セットにして捉えることが重要だ。合わせて1つのコンポーネントと考えてもよいだろう。以後単に鼻腔弁というときには、この統合コンポーネントを指すものとする。 鼻腔弁をこうした二重構造として捉えることは、発声を改善する上で大きな意味をもっている。 声帯の真の姿により近いモデルになるからだ。 鼻腔弁リングと遮蔽膜リングを、それぞれどうコントロールするかを考えることで、声帯全体をより精密に操れるようになるのである。 まず鼻腔弁リングを見てみよう。 中央のスリットの上端が左右に開いたり閉じたりすることで声を調節するので、この上端部分をどう操るかがカギとなる。鼻腔弁リングを自分の鼻の奥に思い描き、特にその上端部分がどこにくるかを想像しながら、念力を使ってスリットを閉じたり開いたりしてみよう。 念力については以前に触れたかもしれないが、改めて補足しておこう。のどで発声を操作しようとしても力むばかりで効果は薄いので、鼻の奥に念力みたいな指令を送って、うまく反応してくれる場所を見つけ出す必要があるのだ。そんな突飛なことをやっている日本人は、他にいるとしたらちゃんとした声楽家ぐらいかもしれない。でも逆に言えば、彼らが日本人離れした声を出せるのは、実に突飛なことをやっているからなのだ。 発声に限っていえば、念力はある、と僕は実感している。だって、声帯があるはずもない鼻の奥を思念で操作すると、ツボさえ押さえれば声が面白いようによくなるんだもの。これは実践してみなければ絶対に分からないだろう。すぐにつかめる人もいれば、何年もかかる人もいるかもしれない。僕なんか20年以上はゆうにかかっている。たぶんこれは魔法でも超能力でもなくて、声帯の神経配線の特異性に起因する錯覚の産物(声帯が実際はのどにあるのに、鼻の奥で操作しないとうまく反応してくれない)、と考えるべきだろう。僕たちは声帯に欺かれているのだ。だったら欺き返してやればいい。念力を信じたふりをして、逆に声帯を支配してやるのだ。 さて、鼻腔弁リングの上部を開閉する念力は各自で探っていただくとして、その意味について触れておこう。 日本語では一般に声帯の閉じ方がゆるいのではないか、と僕は思っている。息まじりの声、ハスキーな声、だみ声など、きめの荒い声が好まれる傾向があるせいかもしれない。あるいは、遮蔽膜を多用するので声帯をきっちり閉じる必要性がすくないのだろうか。おそらくその両方だろう。 なので、日本人は鼻腔弁リングの上端部分を閉じる習慣がほとんどない。もしうまく閉じ方を会得したら、たぶんその人の声はよりきめの細かい、それでいて芯の太いものになるだろう。 発声を改善するなら、鼻腔弁リングのコントロールが大前提なのである。 そこをクリアできたら、次のハードルは母音の明確化だ。 これもちょっとした突飛な発想がいる。常識的には、母音は口の開け方と舌の位置で決まる、とされている。音声学でもそれが定説なのではないだろうか? 僕はそれにあえて異議を唱えたい。 僕の提起する新説はこうだ。 母音は声帯で声が発せられた直後に、遮蔽膜(披裂喉頭蓋ひだ)の開き具合いに応じて形成される、という考え方である。おそらく口の開きや舌の位置も補助的な役目は果たしているだろうが、それ以前の段階で母音はほぼ出来上がっているのだと思う。 腹話術がその何よりの証拠だ。もし口と舌だけで母音が形作られるなら、腹話術は不可能である。実際には声帯から声が出た直後にもう母音はほぼ形成されているのだ。腹話術はそれをただ増幅させているに過ぎない。口や舌で母音が作られる、という思い込みが僕たちにあるから、腹話術は不思議に思えるのだ。単に前提が間違っているのである。 以前、声帯の様子をファイバースコープで映したYouTube などのビデオをいくつか紹介したが、それらを見ていて気づいたことがある。のど声ではない人たちが喋ったり歌ったりしているときの遮蔽膜の動きが、唇の動きとそっくりなのだ。まるでよくできた操り人形の口みたいに。 ひょっとして母音はこの段階でほぼ出来上がっているのではないか? というアイデアがそこで浮かんだわけである。 オウムが人間のように言葉をしゃべるのも、常識で考えると不思議だ。口や舌がまるで人間とは違うし大きさも小さいのに、なぜあんなにはっきりしゃべっているように聞こえるのか。答えはやはり腹話術と同じで、口や舌ではなく声帯の付近ですでに発音がほぼできているからだろう、と僕は想像している。 もし遮蔽膜が母音形成に大きく関わっているとすれば、意識的に母音をコントロールするには鼻腔弁の遮蔽膜リングを操ればよいはずだ。これまでは遮蔽膜を引っ込めておくことばかりを考えてきたが、引っ込めた遮蔽膜にもさらに使いみちがあるのだ、という新しい世界が見えてきた。作りたい母音に応じて、遮蔽膜の引っ込め具合を変える、というテクニックである。 僕は「鼻の付け根を広げる」という投稿ですでに遮蔽膜の引っ込め方はある程度把握できていたつもりだが、これを母音と連動させることまではまだ思いついていなかった。 そこで、発声の手順を少々見直してみた。 まず鼻腔弁リングの上端部分を閉じるように念じ、ベーシックな声を形作る。それとほぼ同時に遮蔽膜リングを開くのだが、そのとき出したい母音の口の形、特に上唇の形を思い描き、遮蔽膜リングの開きを上唇の開きとシンクロさせるよう意識するのである。引っ込めた遮蔽膜が上唇と同じ形になるように、と念じるのだ。そうして声を解き放つ。 鼻腔弁リングと遮蔽膜リングの役割分担がこれではっきり意識できた。鼻腔弁リングは声を作り、遮蔽膜リングは母音を作る、という区分だ。これまでは、遮蔽膜リングは単に声の通りを邪魔しないよう開けっ放しにするべきもの、という認識だったが、もっと積極的に発音に関与させるポテンシャルもあったのである。 このアイデアは、すでに歌で試してみて大きな手応えを得ている。これから朗読に応用して実験を重ねるが、おそらく子音の発音についても応用できそうなので、今後さらにインスピレーションが湧くのではと期待している。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないでほしい。個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが、人に紹介していただく際には必ず、国井のアイデアだと言及するようようお願いしたい。(以前僕が別のブログで音読について綴ったことを本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。)

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鼻腔弁 in 3D

前回ちょっと補足したいと書いたことについて、取り上げておこう。 「鼻の付け根を広げて遮蔽膜を引っ込める」のと、「鼻腔弁を閉じる」のをセットでやる必要がある、という点だ。 今回は図をいくつか用意したので、それに沿って話を進めることにする。 まず声帯の構造を簡単にさらっておこう。 声帯は気管の入口にある。気管が指輪ぐらいの太さだとすると、声帯はその直径に沿って張られた2本の白いじん帯みたいな形をしている。こんな感じだ。 声帯の左右には膜が張っていて、息は通さない。声を出すときは、左の図のように声帯は閉じたままだが、間にわずかな隙間を作って、そこを息が通るときに声帯がふるえて音が出る。呼吸時には、右の図のように声帯は開いている。 しっかりした声を出すには、声帯の間隔が最適になるよう、意識的に調節することが求められる。 鼻腔弁というのは、この声帯がのどではなくあたかも鼻の奥にあるかのように自分に思い込ませる、いわば自己催眠モデルである。そうやって自分をだましたほうが、かえって声帯をうまくコントロールできるのだ。これは、声帯をつかさどる半回神経が異常なまでに遠回りな配線になっているので位置覚に狂いが生じており、それを補正してやらないと声帯に指令がうまく伝わらないからだ、と僕は考えている。 ともかく、この鼻の奥にある架空の鼻腔弁を絶妙な閉じ具合いでコントロールしてやることが、第1のポイントである。 それだけならまだ話は簡単なのだが、もうひとつやっかいなものがある。披裂喉頭蓋ひだ、すなわち声帯に覆い被さる遮蔽膜だ。この膜は声帯より1センチかそこら上のあたりに出没する。これが出っ張らないのが理想なのだが、あいにく日本語をしゃべるときはこれが大きな顔をしてのさばっているのだ。左が理想形、右が残念形である。 3Dでみるとこんな感じだ。(ペイント3DというWindows10のアクセサリソフトで描いてみた。ぎこちないが、少なくとも直観的ではあると思う) 英語は左のように話すのが普通なのに対し、日本語では右が普通なのだ。だから声の質が違って聞こえるのである。 さらにいうなら、日本語では声帯のコントロールが英語よりも弱い。つまり、声帯の締まりがゆるいのだと僕は見ている。なぜかというと、日本語では鼻腔弁を使っていないからだ。鼻の奥で声帯を精密にコントロールするすべを知らないと、英語らしい音には近づきにくい。 むろん、のどで声帯をコントロールするのも不可能ではないし、事実僕たち日本人は曲がりなりにも声を使ってはいるのだが、僕たちが考えるほどストレートな制御ではなく、むしろマジックハンドを介して操作するような非効率さとまだるっこしさがあり、それが音質や音程にも影響する。それに対し、鼻腔弁を使うとまるで素手で操作しているようにダイレクトな手ごたえが返ってくるのだ。 また、鼻腔弁を使いこなせると、その近傍にある遮蔽膜のコントロールも容易になる。鼻の付け根を開くことで、遮蔽膜を引っ込めたままにできるのだ。ただ、両者はきわめて距離が近いので混同しやすく、鼻腔弁を閉じながら遮蔽膜を開くのは結構難しい。声を出す=遮蔽膜が出動する、という図式に陥りがちなのだ。 意識して使い分けられるようになるまでには多少の練習と忍耐と慣れが必要だろう。うまい練習方法がないか探っているが、思いついたらまた報告する。 頭蓋骨と鼻腔弁の位置関係を3Dモデル化してみたので、参考にしてほしい。ただし、鼻腔弁はあくまで仮想的な存在だということはお忘れなく。 鼻腔弁の閉じ方を修得し、同時に鼻の付け根を開くすべを知れば、英語の発声と発音の大元はマスターできるはずだ。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないでほしい。個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが、人に紹介していただく際には必ず、国井のアイデアだと言及するようようお願いしたい。(以前僕が別のブログで音読について綴ったことを本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。)

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鼻の付け根を中から広げる

なぜ日本人はしゃべったり歌ったりする時に「のど声」になってしまうのか? 僕はこのブログ上でこのテーマを徹底的に追及してきた。のど声とは何なのか、どんな状態をのど声というのか、声帯はそのときどうなっているのか…。その答は、これまでに書いた記事でおおむねカバーできたと自負している。 そして次に僕が取り組もうとしている課題は、のど声を脱却する方法を明快に示すことだ。 それには、問題点をできるだけシンプルに絞りこむ必要がある。 そもそも何が問題点なのか…なぜ「のど声」になってしまうのか。 そして見つけた答は、「声帯のすぐ上に膜がせり出してきて、声の伸びをさえぎってしまうから」というものだった。 前回の記事の冒頭にあげたYouTubeの声帯動画を見てほしい。のど声の人は、声帯が隠れるくらいに膜を張り出した状態で声を出しているのだ。(この膜は正式には「披裂喉頭蓋ひだ」と呼ばれるもので、僕はこれを「声帯もどき」と呼んだりもしているが、今回はあえてビデオ画像から連想した「遮蔽膜」という言い方にしてみた。そのほうがピンとくる気がするので。) でも、なぜ僕たちはわざわざ自然な声を遮蔽するようなことをやってしまうのだろうか。 それは、日本語の母音を発音するときの脳からの指令に、遮蔽膜を出動させるコマンドが混じっているからだ。日本語の母音には、遮蔽膜の出動命令がバンドル化されているのである。 だから、普通の日本人が日本語をしゃべろうとすると、否が応でものど声になってしまう。僕たちは無意識のうちに、声帯に遮蔽膜を被せた形でしゃべっているのだ。 なぜ僕たちはそんな遮蔽膜をのさばらせておくのか。これは想像の域を出ないが、誤って異物が気管に入らないようにプロテクトしている可能性はある。本来は喉頭蓋という器官がその役割を果たしているので、わざわざ遮蔽膜を出動させる必要はないはずなのだが、まあ念には念を入れて、ということかもしれない。(日本人が麺類をズズーッと上手にすすれるのは、もしかしたらこの二重のプロテクトのおかげかも?) それはさておき、この遮蔽膜を引っ込めておく簡単な方法はないのだろうか? もしそれが見つかれば、のど声の弊害はすぐにも解消するはずだ。 まず第一歩は、遮蔽膜の存在を認識することだ。それには、声帯の上に遮蔽膜がせり出してくる動画を見て現実を知るのが手っ取り早いだろう。(前回の記事冒頭を参照) そして次は、遮蔽膜なんかに出しゃばってもらいたくないな、という意識を持つことである。遮蔽膜が声の伸びをさえぎるせいで、自分本来の美声が損なわれている、と思うことだ。 次のステップは、遮蔽膜をコントロールしようと意識することだ。遮蔽膜だって体の一部なのだから、その動きを任意に制御できないはずはない。ただやっかいなのは、遮蔽膜が目に見えない場所にある、という点だ。なので、どこをどう制御したらよいか分かりづらく、ちゃんと制御できているかどうかの確認も難しい。たぶんこのステップが最大の難所だろう。 僕自身もここでかなり足踏みし続けた。 僕が目指したのは、まずピンポイントで遮蔽膜をコントロールできる場所を突き止めることだ。遮蔽膜はのどにあるが、のどのどこかをコントロールしても無駄だろう、というのは直観で分かっていた。過去の経験を通じて、声帯をコントロールするためにはのどではなく、鼻の奥、両目の間ぐらいの位置に声帯があるかのように意識するほうがうまくいくことを掴んでいたからだ。そこで、遮蔽膜をコントロールできる場所もたぶんのどではなく、やはり声帯のコントロールセンター(鼻腔弁)付近にあるだろう、と見当をつけた。 さらに、声帯近辺の器官のうち、半回神経に支配されているものはすべて鼻腔弁付近でコントロールできる、という仮説を立てた。そして、声帯や周辺器官がそっくり鼻の奥付近に移転したかのような状態(しかも前方に90度傾いた状態)を思い描き、この声帯モデルの中で遮蔽膜がどの辺に来るかを考えてみた。 声帯に相当する鼻腔弁の位置が鼻の奥、両目の間ぐらいだとすると、遮蔽膜はその数ミリ前に位置する垂直面に沿って張り出す感じになる。(遮蔽膜は左右2枚に分かれた幕のようになっている。脇に収納した状態では完全に畳み込まれて半アーチ状になっているが、出動時には左右から膜が引っ張りだされて中央で合流し、1枚の膜になる。)膜がせり出すと先端が鼻の中心ぐらいまで進出するが、収納したときはちょうど左右の目頭ぐらいの位置にまで引っ込む、と考えた。 とすれば、遮蔽膜を引っ込めておくには鼻の付け根あたりの内部空間を思い切り広げたままにするよう意識すればいいはずだ。 鼻の付け根、ちょうどメガネの鼻パッドが当たる付近の、骨の内側を意識してみよう。この内部空間を、できるだけ広げるように鼻の筋肉を操作してみる。鼻を挟んでいるメガネの鼻パッドが外側に押し返されるような力を想像して生み出してやるのだ。 ブリーズライトといういびき防止テープがあるのをご存知だろうか(写真)。鼻先に近い骨のない場所に貼って、鼻孔を外側から拡張するものだ。息の通りが良くなって鼻呼吸がしやすくなり、いびきをかきにくくなるらしい。 目指すのは、このブリーズライトをもっと上の鼻骨のあたりにずらして貼ったような感覚、といえば分かりやすいだろうか。(あくまで想像上の話。実際のブリーズライトは、骨のないところに貼らないと内部空間を拡げる効果は生まれない。)あるいは、メガネの鼻パッドをブリーズライトで代用したような感じ、といってもよい。鼻の付け根を内側から押し開くかのように意識することで、遮蔽幕は完全に引っ込んだままになり、声の通り道がひと回り大きく拡張されるのだ。 で、実際にやってみた。結果は…大正解! 鼻の付け根を押し広げるようにすると、声が解き放たれたように伸びやかになるのだ。音量も段違いに増す。メガネの鼻パッドに反発して押し返すようなこの力を、いつでも自在に操れるようにしておけば、もう怖いものなしだ。 ちょっとやり方を紹介しておこう。 まず、自然に鼻で息をしながら、鼻の付け根付近が開いた状態と狭く閉じた状態を交互に作ってみる。どの筋肉をどう使えば鼻の付け根が広がってくれるか、じっくり自分で探ってみることだ。ここで納得のいくまで時間をかけるのが大事なポイントになる。開く、狭める、を体操のように繰り返し自分のペースで練習するとよい。メガネの鼻パッドを念力で鼻の中へ押し込んだり鼻から引き離したりするような感じかな。 次に、鼻の付け根を押し開いた状態で、あ、い、う、え、お、の形でそっと息を出してみよう。まだ声は出さないでおく。息は鼻と口のどちらから出ているかよく分からないぐらいに感じられるはずだ。以前ここで紹介した「吐息あくび」がまさにこれだが、今回はどこをどうコントロールするとこれが実現するかをより明確にした点が進歩といえるだろう。 さらに比較のため、今度は鼻の付け根を狭く閉じて、あいうえおの息をそっと出してみよう。息は主に口から出てくる。のどから直接息が口に出ているようにも感じるに違いない。口を通る息の摩擦も感じられるはずだ。これこそがのど声の息なのである。僕たちにとっては何の違和感もない息だ。日本語ではこの息が標準だということには疑問の余地がない。 再び鼻の付け根を開いて、あいうえおの息を出してみる。デフォルトの日本語母音とは大きく異なる鼻と口の開き方が実感できるはずだ。それでも、あいうえおだとはっきり認識できる範囲内である。開閉を何度か交互にやってみて、違いを体に覚えこませよう。 今やったのは、鼻の奥を広げることでのどを開かせたのである。つまり、のどの開きを鼻の奥で調節したわけだ。鼻に息を通して鼻声を出そうとしているわけではなく、声の大元を鼻でコントロールしようと試みているのだ。僕がかねてから主張しているとおり、声帯のコントロールセンターはのどではなく鼻の奥にあるからである。 最後に、これに声をプラスする。鼻の付け根を開いてあいうえお、と声を出すのだが、ひとつ注意点がある。のどで声を出そうとしないことだ。むしろ、鼻の付け根のわずか数ミリ後方に声帯(鼻腔弁)があると意識して、鼻の奥で発声するとよい(やり方は前々回ぐらいの記事を参照)。のどで発声しようとすると、鼻の付け根が連動して閉じてしまうので、うまくいかない。鼻腔弁の閉鎖と鼻の付け根空間の開放をセットで行うのがコツだ(これについては次回以降にもう少し補足しようと思っている)。 納得の行くまで練習し、鼻の付け根を狭めた普通のあいうえおと繰り返し対比してみよう。 やってみてどうだろう、違いが実感できただろうか? 日本語の母音は、デフォルトでは鼻の付け根を遮蔽するように発音するので、ここを開きっぱなしにするのは何かしっくりこない。特に最初はそうだ。でも慣れてくれば、ここを開いたほうが声がストレートに出るので日本語がかえって明瞭に聞こえ、メリットが大きいのである。もちろん英語に応用すれば効果は絶大だし、歌にもすぐ応用できる。自分の声の世界が一気に広がるはずだ。 声帯とその周辺器官をコントロールするのはのどではなく、鼻の奥だ、という僕の主張は突拍子もないように思えるかもしれないが、少なくとも実効性は高いと思うので、皆さんも一度試してみる価値はあると思う。意外とすんなり発声や発音の悩みが解消するかもしれない。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないでほしい。個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが、人に紹介していただく際には必ず、国井のアイデアだと言及するようようお願いしたい。(以前僕が別のブログで音読について綴ったことを本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。)

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声帯を直視して範となすべし

最近では、声帯が動く様子をファイバースコープで観察したビデオがYoutubeなどで簡単に見られるようになった。 それをいくつも見ているうちに、ふと気づいたことがある。 声帯そのものよりも、そのやや上にある「披裂喉頭蓋ひだ」のほうが、はるかに活発に動いている、という点だ。 百聞は一見に如かず。いくつかビデオを見てほしい。(イントロとかはすっとばしてファイバースコープ映像にジャンプして構わない。) 最初のグループはこの3つだ。 https://www.youtube.com/watch?v=y2okeYVclQo https://www.youtube.com/watch?v=0Esjrpw9T0c https://www.youtube.com/watch?v=Qq3IpTbHzds 次に別のグループ。 https://www.youtube.com/watch?v=phBjL_BT5Zc https://www.youtube.com/watch?v=xcvedsSCz5s https://www.youtube.com/watch?v=Y9eJ18Peq0w 2本の白い筋のように見えるのが声帯で、その上に唇のようにかぶさって忙しく動いているのが披裂喉頭蓋ひだである。 ところで、最初のグループと次のグループでは明らかに披裂喉頭蓋ひだの出っ張り具合に差があるのにお気づきだろうか。 後のグループのほうは、声を出したときにほとんど声帯が隠れてしまうくらい披裂喉頭蓋ひだが出張っている。これに比べ、最初のグループでは左右のひだの付け根あたりがくっつく程度で、声帯はかなり露出したままだ。 お気づきのとおり、最初のグループは西洋人、後者は日本人である。 以前も指摘したが、おそらくこの披裂喉頭蓋ひだの出っ張り具合の違いが、日本人の「のど声」と西洋人の「頭声」の違いを生んでいると考えられる。(国井オリジナル仮説) 写真で例示すると、Aが無声時、Bが西洋人の発声時、Cが日本人の発声時だ。ま、ちょっと極端かもしれないけど、パターンとしてわかりやすいものを選んでみた。   A   B   C ちなみに方向的には、写真の下側が首の前方にあたる。下唇のように見える部分は喉頭蓋。上唇のように見えるのは披裂喉頭蓋ひだ。発声時の披裂喉頭蓋ひだの閉じ具合は、ほぼ上のビデオで見たパターンを反映している。日本人は、発声時に声帯を覆い隠す度合いがきわめて大きいのである。そして、この声帯を覆い隠してしまうという点が、日本人ののど声が持つ最大のウィークポイントなのだ。声帯を覆うというのは、声帯に弱音器かサイレンサーを付けるようなものである。だから洋風の発声に比べるとボリュームが弱く、声は遠くに届かず、また音程その他のコントロールも甘くなってしまうのである。 先日、大阪大学医学部附属病院 耳鼻咽喉科・頭頸部外科のホームページ(http://www.med.osaka-u.ac.jp/pub/ent/r_dysphonia.html)でこれに関連する記述を目にした。 『喉頭においては声門のみではなく声門上部もまた閉鎖します。声門上部とは解剖学的には仮声帯と披裂喉頭蓋括約部のことであり、声門上部の閉鎖が強くなるほど見かけの声帯の面積が小さくなります』 「披裂喉頭蓋括約部」というのは、左右の披裂喉頭蓋ひだが中央で交わる部分に相当する。ここがきゅっと絞られるように閉じる(すなわち括約する)動きを見せるからだ。(「仮声帯」というのは、白い声帯の両脇に見える部分だが、上に挙げたビデオには仮声帯が盛り上がって声帯を覆っている例はない(心因性仮声帯発声という症状の場合にその現象が発生するらしいが)。ここでは、声門上部閉鎖は実質的に披裂喉頭蓋ひだの閉鎖を指すと考えておこう) 同ホームページの記述によれば、この声門上部が閉鎖するという現象には程度の差があって、閉鎖が強いと「喉詰め発声」になるという。つまり「のど声」だ。 「声門上部の閉鎖が強くなるほど見かけの声帯の面積が小さくなる」、というのも、上のビデオや写真で示したとおりだ。のど声だと声門上部が閉鎖するので、声帯が覆い隠されてしまうのである。 阪大のこの科では、閉鎖の度合いについても研究しているとのことなので、日本人と西洋人を比較してデータをとれば、のど声のメカニズムを裏付ける重要な資料になるのではと期待される。 それはさておき、僕は披裂喉頭蓋ひだの映像を見ていて、もう1つ気になったことがある。 ひだの動きをリードしているように思える肉球みたいなものが、左右2つずつ見える、という点だ。 で、調べてみると、これは小角結節と楔状結節と呼ばれるらしい。 下図の09と08だ。(この図は上の写真と比べると上下さかさまなので注意。) http://www.anatomy.med.keio.ac.jp/funatoka/anatomy/spalteholz/J742.html さらに調べてみると、小角結節の内部は小角軟骨と呼ばれる軟骨で、これは披裂軟骨(声帯の開け閉めを受け持つ軟骨)の上端にある突起だ。 楔状結節の内部には楔状軟骨があるが、これはちょっと異端児らしく、披裂軟骨にも他のどの骨にもつながっていない。 楔状軟骨については、以下のサイトにWillard R. Zemlinという音声学者からの引用としてこう書かれている。「楔状〈くさびじょう〉軟骨は、喉頭の枠組み内にある喉頭軟骨の中で、小角軟骨(corniculate cartilages)とともに最も小さい軟骨で、発声にもほとんどかかわりのない軟骨です)」 http://the-vocal.com/term/%E6%A5%94%E7%8A%B6%E8%BB%9F%E9%AA%A8/ ちょっと待った。 楔状結節の動きをビデオでみる限り、日本人は結構この部分を使って声帯を覆い隠しているように見える。としたら、ほんとうに「発声にもほとんどかかわりのない軟骨」と言い切っていいんだろうか? たぶんこの筆者Zemlin氏がそう言い切ったのは、彼が西洋人だからだ、と僕は推測する。頭声ベースでしゃべる西洋人にとっては、この楔状結節を使ってわざわざ声帯を覆い隠すなんてナンセンスだからだ。 ところが僕たち日本人は、楔状結節もしっかり使って発声している。それがのど声というものなのだ。(西洋の声楽的観点からはマイナスでしかないけどね) もう1つビデオから感じたことがある。 声帯が閉じるときには、必ずと言っていいほど左右の小角結節がくっつき合う、という点だ。これは西洋人も日本人も変わらないようだ。Wikipediaの声帯の項に出てくる図では、発声時も小角結節は離れたままで、披裂喉頭蓋ひだは開ききっているように描かれているが、少なくともその図は事実と異なるように思う。  無声時  発声時マユツバ図(小角結節の位置が…) 発声時には、少なくとも左右の小角結節は閉じるように動く、と仮に結論付けておこう。 さて、日本人が披裂喉頭蓋ひだを出っ張らせるときには、洋風の発声時と違うどんなメカニズムが働いているのだろうか? 2つ考えられる。1つは、小角結節が閉じると同時に、小角結節自体が声帯を覆い隠すような方向へ移動する、というもの。もう1つは、小角結節とは別に楔状結節が披裂喉頭蓋ひだをリードして動き、声帯を覆い隠そうとする、というものだ。もしかしたらその両方かもしれない。 いずれにせよ、のど声を生む元凶は小角結節か楔状結節、ないしその両方、と仮定するのが妥当だろう。 そこで、頭声を目指す僕としては、小角結節や楔状結節をピンポイントでコントロールすることを目標に据えようと考えた。 ここからは大胆な推測になる。 僕が提唱してきた「鼻腔弁」による声帯のコントロールは、この小角結節や楔状結節のコントロールに関連付けられるのではないか、というアイデアである。 僕が鼻の奥に仮想的に位置すると考えている鼻腔弁は、実は声帯だけではなく披裂喉頭蓋ひだの括約部をもコントロールしているのではないだろうか。 あるいは、「鼻腔弁=披裂喉頭蓋ひだ括約部」なのかもしれない。 (その場合、仮想上の声帯は鼻腔弁よりもさらに奥にあることになる。ただ、披裂喉頭蓋ひだの括約部と声帯は披裂軟骨を介してつながっているので、鼻腔弁で声帯をコントロールすると、いう基本的な考え方を大きく見直す必要はない) ちょっと図解してみた。Aが無声時、Bが西洋人の発声時、Cが日本人の発声時である。      赤で示したのが披裂喉頭蓋ひだ。ちょっとわかりにくいかもしれないが、ひだの途中に小さな白マルで小角結節と楔状結節を示している。 緑の矢印は、小角結節と楔状結節に働く力の向きを示している(無声時、洋風発声時、和風発声時に該当)。 僕たち日本語ネイティブスピーカーが日本語を話すときは、意識的に操作しない限りデフォルトでCののど声状態になる。僕が「カナ縛り」と命名した標準的な日本語発声モデルだ。 僕が目指すのは、発声時にCではなくBのような形を作ることだ。 これまで僕は鼻腔弁を狭める動きを練習してきたが、今回は「鼻腔弁=披裂喉頭蓋ひだ括約部」と仮定した上で、鼻腔弁を完全に閉じようと意識してみた。同時に、鼻腔弁を息が通る際に振動が起きて声になる、というこれまでのイメージを修正して、鼻腔弁のやや後方で振動が起き、それが閉じた鼻腔弁の下の開口部を通って出ていく、というイメージに変えてみた。 つまり、前回の鼻腔弁の図に上のBのイメージを重ね合わせてみたのだ。 頭の中にBの図を思い描く。そして、鼻腔弁を閉じる動きに合わせて、披裂喉頭蓋ひだの中央部が閉じるさまをイメージするのだ。 このとき、披裂喉頭蓋ひだが不用意に降りてきてCのようにならないよう注意する。声帯がなるべく隠れないようにしたいからだ。 これは何を試しているかというと、披裂喉頭蓋ひだを鼻腔弁の位置にマッピングしているのである。 さらに、披裂喉頭蓋ひだの中の、小角結節と楔状結節の位置も鼻腔弁にマッピングしてみる。そして、鼻腔弁のコントロールを使って小角結節と楔状結節のコントロールを試みるのだ。 試した結果は? 驚いたことに、小気味よいほどうまくいく。鼻腔弁がイメージしやすくなり、声帯のコントロールがストレスなくできるのだ。 これってひょっとしたら世紀の大発見になるかも? なんて妄想をつい抱いてしまった。 小角結節と楔状結節のコントロールについてはまだまだできることがありそうなので、さらに実験を重ねようと思っている。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないでほしい。個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが、人に紹介していただく際には必ず、国井のアイデアだと言及するようようお願いしたい。(以前僕が別のブログで音読について綴ったことを本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。)

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頭声を生むパワースポット

前回は鼻腔弁の位置について触れたが、念のためこれを図示しておこう。 顔を横から見た図では、鼻腔弁は黄色い星印のあたりになる。 正面から見ると、こんな感じ。 鼻腔弁を黄色い星印で示したのは、単に目立たせるためだ。別にx印でも構わない。鼻腔弁が星形をしている、というつもりはまったくないので、誤解しないこと。この場所こそが、頭声を出すパワースポットなのだ。 僕がイメージする鼻腔弁の形状は、平行に並んだ2枚の筋肉の壁(あるいは柱)が、固い天板を支えている感じだ。壁の間は息の通り道になっている。壁は天板につながっていて、頭の前後から見ると、弛緩時には鳥居のような形をしている。 この壁(あるいは柱)は柔軟で、しかも根本のほうは自由に動かせるので、壁の根本同士をくっつけるようにたわませていくと、息の通路がY字型に狭まって息圧が強まる。そして、この壁が振動することで声が生まれる、というイメージだ。 口腔の上に位置する鼻腔弁を、頭の前または後ろから見た模式図はこんな感じだ。緑の線で囲まれた卵型の部分は、口腔のスペースを表している。黄色い部分は、鼻腔弁を通る息と考えてほしい。鼻腔弁は弛緩しているので、黄色いスペースはある程度広い。 鼻腔弁を閉じて声を出すときは、次の図のようになる。黄色いスペースが収縮して小さくなっているのがわかる。そして、鼻腔弁の閉じた部分が振動して声を出すのだ。トランペットが音を出す原理とちょっと似ている。 鼻腔弁の2枚の壁を接近させる方法を体でつかむことが、頭声を出す大きなポイントだ。 もう1つのポイントは、発声時に口腔を使う必要はほとんどない、ということだ。 口腔はひたすら大きく空間を開けておくだけでよい。なぜならここは共鳴を作るだけの場所だからだ。母音に応じて形は多少変わるが、それぞれの母音がもっとも明瞭に響くよう、最大限広げたままにしておくのが基本だ。口から声を出そうとする必要はない。鼻腔弁で頭声が出ると、増幅された声が自動的に口から出てくるので、口では何もする必要がないのである。 さらにいうと、鼻腔弁で生まれた頭声は、意外なことに鼻腔には入っていかない。鼻腔弁からやや前に進んだかと思うと、不思議にものどへ瞬時に転送されて、そこから自然と口(一部は鼻腔)を通って出てくるのだ。少なくとも僕自身の体感からいうと、そう表現せざるを得ない。 トランペットに例えるなら、鼻腔弁はさしずめ吹き口(歌口)で、口腔はというとラッパ状の開口部にあたる。吹き口は切り離されて、本体の上に乗っている。管は途中で切れているが、実は目に見えないパイプでつながっていて、吹き口から吹き込んだ息は、不思議にも後ろに回り込んで開口部から出てくる。そんな感じでとらえてほしい。 この形こそ、僕たちが意識すべき発声メカニズムだ。こうした楽器をイメージすると、声をうまく操ることができる。実際に目に見える楽器は、吹き口から開口部までつながった一本のラッパなのだが、あたかも吹き口が独立して本体より上にあるかのようにイメージして吹かないと、うまく音が出せない。僕たちの声は、そんな楽器から生まれる音なのだ。 発声器官を物理的に見ると、のどの奥にある声帯が声を生み、それが口から出てくるだけなのだが、あいにく僕たちの声帯を操る神経は「反回神経」といって、声帯の位置認識を攪乱するよう意地悪く配線されている。だから、見た目どおり素直にのどから声を出そうとしても、うまくいかない。のどを操作しようとしても、声帯以外の部分が緊張するばかりなのである。この神経配線のいたずらに打ち克つには、こちらも頭脳戦で挑む必要がある。そしていろいろと考えた末に、神経を欺き返す手段として僕が編み出した方便が、鼻腔弁なのだ。 あたかも鼻腔弁の位置に声帯があるかのように想像しながら自分の体を操作してみると、不思議にも声帯がこれに応えてくれる。僕はそれを身をもって経験してきた。 こういうキツネとタヌキの化かし合いみたいなことをしないと、声はなかなかうまく操れるものではない。僕たちの体は、残念ながらそういうふうに出来ているのだ。それを踏まえて、ちょっぴり頭脳も使いつつ頭から出す声――それが頭声なのだ。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないでほしい。個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが、人に紹介していただく際には必ず、国井のアイデアだと言及するようようお願いしたい。(以前僕が別のブログで音読について綴ったことを本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。)

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新年にあたって

丸一年のブランクを経ての投稿だが、その間にもひそかにいろいろなアイデアを試し続けてきたので、昨年は結構実りある年になったと思う。基本となるアイデアは以前とほぼ変わらないが、ディテールを検証し、発声のステップについてより実践的にポイントをまとめたので、紹介しておこう。 まず、静かに鼻で息をする。口は閉じたままにするが、いつでも開けられるようリラックスさせておく。 そのままで、鼻腔(つまり鼻の空間)の、一番奥はどの辺かを意識してみよう。 意識の中で鼻の穴をずっとさかのぼると、鼻腔がかなり狭まっていき、上咽頭(口腔と鼻腔をつなぐ空間。ハナみち)との境界に達する。鼻腔が前から虹のアーチのように鼻の奥へ伸び、後ろからは上咽頭が逆向きにアーチ状のラインを描いて、頂点付近でつながるようなイメージだ。つながる位置は、両目の中間付近、鼻筋のいちばん上あたりで、深さは顔より2センチほど後ろだろうか。その付近で息の通路が最も狭まるはずなので、そこを意識的に探ろう。 次に、静かに息を吐きながら、この通路をさらに狭めることにチャレンジしよう。このとき、鼻をかむような感じでやると(つまり鼻腔を狭めようとすると)うまくいかない。鼻腔側は力まず開放しておき、むしろ広げるくらいの気持ちでちょうどよい。そして逆に上咽頭の側から、アーチの先端に向かうに連れて通路を狭めるよう意識してみる。 うまくいくと何が起きるかというと、ほんのかすかに「フン」というような声がでる。この声はのどから出ているようには聞こえず、鼻の奥から出ているように感じるはずだ。このとき、のどには一切の圧力も振動も感じられない。鼻の奥が自然に鳴ったような感触だ。 決して声を出そうと力んではいけない。上咽頭の側からおだやかに息の道を狭めながら息を出し続ける。するとあるところでホっ(あるいはフンっ)と声が鳴る。フクロウのホーという鳴き声を、ずっと弱く短くしたような感じの、わりと高い声だ。裏声のように聞こえるかもしれない。これが出せるまで、続けてトライしてみよう。繰り返すが、のどや鼻は開放し、力を入れないこと。 この声が出たら、第一段階は成功だ。おめでとう! 今鳴った場所が、ほんとうの声帯なのだ。なぜかのどではなく鼻の奥で声が出ているように感じるのが不思議だが、たぶんこれは僕たちの脳の錯覚だろう。(以前から述べているとおり、僕はこれは反回神経のせいだとにらんでいる。) 声帯は実際にはのどにあるのだが、今出した声は鼻腔の一番奥から生まれるように感じる。僕はこの場所を「鼻腔弁」と呼んでいる。第二の声帯といってもいいし、声帯の虚像といってもいい。名前はともかく、そこにあるはずのない場所に声帯があるような、何とも不思議な心地になるので、その感覚をつかむことが大切だ。それこそが未知の発声ワールドへの第一歩なのだから。 僕はこの1年間、鼻腔弁の正確な位置を絞り込むことに精力を費やしてきた。そして試行錯誤の末に到達したのが、鼻の奥、という答えだ。この箇所をうまく意識的に操ると、普通の日本語の声では不可能だった精緻な声帯のコントロールが可能になる。意識の上では鼻の奥の神経に働きかけているのだが、実は声帯を動かす神経を刺激しているのである。たとえていうなら、声帯を動かすツボが鼻の奥にあるようなものだ。 ようするに、声帯の物理的な位置と神経感覚上の位置には、ずれがあるのだ。このずれを意識的に修正してやれば、声帯はうまく操れるようになる。逆に、「声帯がのどにある」という意識が残っている限り、ずれは修正されないので、声帯の自由なコントロールが妨げられてしまうのである。声楽では「のどで声を出そうとしてはいけない」と口を酸っぱくして言われるが、その理由も実はここにあるのだ。 さて、鼻の一番奥を操作する、といっても、そう簡単には感覚がつかめないかもしれない。こればっかりは、各自で試行錯誤して体感しながら会得するしかないのだ。ふだん使ったことのない神経や筋肉を働かせようというのだから、いきなりパーフェクトにはできっこない。しかし、すでにどの位置にどう意識をフォーカスすればよいかは明示したので、これまでと違って試行錯誤の時間と手間はかなり省けるはずだ。ぜひともトライしてみてほしい。 声の高さは、普段の話し声よりもやや高めぐらいで練習したほうがよいだろう。低い声だと、最初はよほど気を付けないとのど声になりやすい。高めの音程で感触をつかめるようになったら、徐々に低い声へ移行していくとよい。実際にやってみれば、低い声を鼻の奥で出すのがいかに難しいかが実感できるはずだ。 鼻の奥から出る声は、ふだん僕たち日本人がのどを使って出している声とはずいぶん性格が違う。なので、これに適当な名前を付けてやる必要がある。幸い、声楽の世界で使われている「頭声(とうせい)」という言葉があるので、これを使うことにしよう。日本人のデフォルトの声は「のど声」だが、それとのコントラストをはっきりさせる意味では「頭声」がふさわしいだろう。実際、声が頭の中から出るような感触があるのでぴったりだと思う。(声楽でいう頭声と僕のいう頭声のニュアンスの違いについては、以前述べたので繰り返さない。) 先ほど産声を上げたあなたの頭声を、大事に育ててほしい。それにはどうするか。頭声を出すための手順を繰り返し確かめ、各自で工夫を加えながら自分のものにすることだ。発声は最初の瞬間でほぼすべてが決まってしまう。だから、最初にのどで声を出してしまうと、即アウトである。はじめのうちは、よほど気を付けていても本能的にのど声のフォームに戻りやすい。迷ったら初心に帰り、辛抱強く基本をものにしていくことが肝心だ。さっき出したような頭声の芽をいつでも作れるようにし、これを少しずつ長く、しっかりと出せるように練習を積んでいくとよい。 頭声というのは実にパワフルなポテンシャルを持っていて、使いこなせるようになれば、いろんな意味で「のど声」をはるかに凌駕する。英語や歌に使えば説得力が格段に増すし、日本語にも簡単に応用がきく。初めて頭声を出してそのパワーを実感すると、自分の体にはこんな使い方も潜んでいたのか、と驚くはずだ。 頭声への入り口は多少ハードルが高いが、いったんコツさえつかんでしまえばあとは案外簡単かもしれない。このハードルを乗り越える上でいちばん難しいのは、「自分の声は変えられる」、「もっとよくなる」、という確信を持てるかどうかだろう。そのお役に立ちたいと考えて考案したのが、このブログで紹介している国井メソッドだ。これは、頭声をマスターし使いこなすための手順と、これを支えるアイデアの総称である。 今後はこの頭声を出発点として、これを補完する「声帯もどき封じ」や、英語の母音、子音などに新たな考察を加えていきたい。進化し続けるこのメソッドを通じて、より多くの日本人の声を別次元へと導くこと――それが新年の抱負かな。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介していただく際には必ずクレジットを入れるようお願いしたい。

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この1年の収穫

今回は今年最後の書き込みになるので、ちょっとこの1年の進展を振り返っておこう。 大きな収穫が2つあった。 1つめは、「鼻腔弁」という概念を提唱したことだ。反回神経の配線が異常な遠回りをしているせいで、僕たちの声帯の位置感覚にはずれが生じているのではないか、という仮説を立てたことはすでに何度も述べてきたとおりである。僕はこの仮説をさらに発展させ、声帯が体感的にはのどよりずっと上にあるかのように意識すれば声帯をよりよくコントロールできるのではないか、と考えた。そして、いろいろ実験してみると、鼻腔内に声帯があると意識した場合にいちばんよい結果が出たので、この体感的な声帯イメージを「鼻腔弁」と名付けた。 声楽で「頭声」と呼ばれるものも、実はこの声帯位置覚のずれの産物で、声帯の位置が頭の中にあるかのように意識しながら歌えば声帯をよりよくコントロールできる、という経験則から来たものだと考えられる。ただ一般には、「頭声」というと「のどで出した声を頭に響かせること」だと誤解されている。事実多くのボイストレーナーは単に「響きを頭に集めろ」などとしか言わないので、教わる側は「頭声」の真の意味が理解できず、まずのどで声を作ってから操作しようとしてしまう。この教え方では、のど声の悪癖がなかなかとれないのだ。むしろ、声帯は鼻腔内にある、と割り切ってそこからスタートしたほうがはるかに良い結果が生まれる。のどは発声と無関係、と思うぐらいでちょうどいのだ。 あとは、鼻腔弁のより正確な位置、形、サイズ、傾斜、息の流れる方向、といった詳細を詰めていく作業が残されている。これまでにある程度その道筋は示してきたが、さらにイメージを絞り込むべくいろいろ試していきたい。さらに検証を続けて、より実効性の高い発声モデルの確立を目指そうと思っている。 2つめは、日本人の声をのど声にしてしまう「声帯もどき」の存在をつきとめたことだ。詳しくは「のど発声の正体を見た!」という過去ログを見てほしいが、声帯の真上を覆い隠すように別の膜がせり出してきて、声帯に弱音器をつけたようになってしまう現象がビデオで確認できた。この膜(披裂喉頭蓋ひだ)を張り出させずに引っ込めておくことが、素直に声を出すための急所といえるだろう。ところが日本人の多くは、この声帯もどきを使って振動させるほどいい声が出るかのように錯覚してしいる。だからのど声の人が多いのである。 僕は日本人アナウンサーの声に興味があってよく耳をそばだてているが、特に男性アナウンサーの場合、最近は声帯をよく鳴らす技術を身につけた人が増えてきたものの、同時に声帯もどきも必要以上にビンビン鳴らすアナウンサー/ナレーターが散見されるようになった。日本人にはこの声帯もどきの響きがいい声と受け取られるせいだと思うが、僕にはちょっと耳障りで気になる。 おそらく、声帯をよく振動させることと、声帯もどきを強く振動させることは、両立できなくはないのだろう。というか、声帯もどきを出動させたまま声帯をしっかり鳴らすことも実は不可能ではない。 鼻腔弁をうまくコントロールして出す省エネでオーセンティックな声は、基本的に声帯もどきフリーの素直な力強い響きで、声楽に応用しても即戦力になる。しかしこの声にあえて声帯もどきをプラスすることも、技術的には可能だ。日本人はそういうちょっと無理のかかった響きを好む傾向があるせいで、なかなか声帯もどきの呪縛からは逃れられないようだ。 ただ、英語に関していうと、そうした声は許容範囲内ではあってもスタンダードではない、と僕は思う。声帯もどきを使った声は結局のど声の延長でしかなく、一見響いているようでも実はストレスのかかった無理な響きになっている。この声帯もどきを解放する訓練をしておいたほうが、後々絶対に役に立つ。声帯もどきはいつでも簡単に出動できるが、これを格納しておくという基本技術はなかなか後からは身につかないからだ。英語をのどで発声しようとする人は、声帯もどきを使うのでビリビリした声になりやすい。大きな声を出そうとすると特にこの傾向は顕著になる。だが、このビリビリしたのどの響きを「いい声」だなどと勘違いしないほうがいい。いったんそう思い込んだが最後、のど声からは脱却できなくなってしまうのだ。 さて、来年はどんなアイデアが実を結ぶだろうか。すでにいくつかイメージができていて実験を進めているが、どう発展するか今から楽しみだ。 このサイトに公開しているアイデアは全部僕の血のにじむような実験と探究の成果なので、もし効果があると思って人に伝える場合は、考えたのは国井仗司だということを必ず言い添えてくださいね。パクっちゃやーよ。

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声帯を手なずける方法

まず、声帯についてちょっと振り返っておこう。 前にも紹介したが、声帯を上から見ると下の図のような形をしている(図はWikipediaの声帯の項から拝借した)。方向としては、図の上側がのどの前方だ。白い2本のお箸状の棒がコンパスみたいに閉じたり開いたりする。このお箸状のものが「声帯ひだ」で、ここが閉じて振動すると声が出る。いわばバイオリンの弦のようなもので、その間を通る息がバイオリンの弓の役目を果たす。 ファーバースコープで見た写真はこんな感じだ。(写真は大阪医科大学の耳鼻咽喉科学教室ホームページ http://www.osaka-med.ac.jp/deps/oto2/html/shinryo/senmon/koe.htmlの声帯ビデオからキャプチャーしたもの) さて、いまの僕たちの関心事は、この声帯ひだを開いたり閉じたりする動作を、できるだけ精密にコントロールすることにある。声帯ひだのすき間をなるべく狭くするほうが声は緻密さと力強さを増し、さらに声帯ひだの張力を自在に調節することで音程を自在に操ることが可能になるからだ。 それにはまず、声帯ひだの開閉にはどんな筋肉がどう作用しているかを知っておく必要があるだろう。 参考になるページがあるので紹介しておこう。 http://www.anatomy.med.keio.ac.jp/funatoka/anatomy/Rauber-Kopsch/band2/142.html ドイツの歴史的解剖学書の一部らしいが、ここに声帯ひだをコントロールする仕組みが図解されている。 下の図はそこから拝借したものだ。ピラミッド状のテントの屋根から、赤と黒のロープが2本ずつぶら下がっているように見えるが、このロープは声帯ひだを示している。ロープの下端に見える2つのブーメラン状のものは「披裂軟骨」と呼ばれる。実はこれこそが声帯コントロールのカギを握るパーツなのだ。 よく見ると、このブーメランの中心部に白丸が描かれている。これは、披裂軟骨がこの白丸を軸に左右に回転できる構造になっていることを意味する。実際にそんな白丸が見えるわけではない。(このブーメラン形状は、披裂軟骨を水平に切った断面図にすぎない。披裂軟骨はかなり複雑な形をしていて、ほんとうは三次元形状を考えてもっと緻密にその動き方を分析すべきなのだが、今は話を簡単にするためこの断面図だけにとどめておく) 一番左の図を見て欲しい。ブーメランの外側の端に小さな黒い矢印があるが、これは披裂軟骨のその箇所にある筋肉(後輪状披裂筋)が収縮し、矢印方向に披裂軟骨を引っ張っている状態を示している。引っ張られた結果の状態が、赤線で示された部分だ。披裂軟骨が白丸を軸に回転する結果、反対側につながっている声帯ひだは互いに引き離されている。つまり声帯が開くのだ。 真ん中の図では、ブーメランの外側にある矢印が左の図とは逆方向を向いている。これは、披裂軟骨のさっきとは反対側についている筋肉(外側輪状披裂筋)が収縮する様子を表している。そうすると、声帯ひだは今度は内向き後方に引っ張られ、赤線で示すようにすき間が狭まる結果になる。 つまり、披裂軟骨の回転する方向に応じて声帯ひだが離れたりくっついたりするわけだ。 一番右の図は、もう一つ大事な動きを表している。披裂軟骨の回転軸そのものを互いに引き寄せるような動きである。この動きは、披裂筋と呼ばれる筋肉を収縮させることによって生じる。これも声帯ひだを近づける効果を持つ。 ここまでは、のどにある声帯を動かす上で、どの筋肉がどう作用するかを述べてきたわけだが、今度はこれに神経をプラスして考えてみよう。 単に声帯を動かす筋肉を把握しただけでは、まだ声帯をコントロールできるわけではない。肝心の筋肉に「動け」という脳からの指令を伝えてやる必要があるのだ。 ところが、そこに大きな落とし穴が潜んでいた。 声帯を操作するのだから声帯に指令を出せばいい、と僕たちは単純に信じ切っていたのだが、どうもそれは間違いだった、と僕は考えるようになった。 その理由は、声帯を支配する神経(反回神経)の配線がちょっと常軌を逸した大回りをしていることにある。たぶんそのせいで、僕たちが考える声帯の位置に指令を出しても、声帯はうまく応えてくれないのだ。 ではどうしたらいいか。物理的に声帯のあるのどではなく、鼻の中あたりに声帯を動かす神経があると仮定し、そこに指令を出したほうがうまくいくのである。一種のリモコン操作のようなものだ。 たぶん、声帯を動かす神経がこれほど大回りしているのは一種の先天的な配線ミス(進化のいたずら)だろう。しかしこの配線ミスを逆手にとって、声帯が鼻の中にあるかのように考えて指令の送り先を変えてやれば、脳がだまされてうまく指令が伝わるようになる。 僕たちはこれまで、声帯の誤配線に欺かれていた。しかしそれを欺き返してやることで、声帯を完全に支配下に置くことが可能となるのだ。 声帯を意のままに操るには、声帯は鼻の中にある、と自己暗示をかけるのが手っ取り早いだろう。あるいは、鼻の中に声帯を動かすツボがある、と思ってもよい。要は、自分の脳をいちばんだませそうな方便を考えればよいのだ。鼻の中にスクリーンがあって、そこに声帯の映像が映し出されている、といったイメージを持ってもよいだろう。いわば声帯の虚像だ。僕はもっと実際的に、鼻の中に声帯を模した器官があるかのように想像している。この架空の器官が、鼻腔弁(びくうべん)である。架空の器官なので、位置は定まるが実体はない。さしずめ声帯の幽霊みたいなものだ。 前回述べたとおり、この鼻腔弁は鼻の中に垂直に立っていると仮定しよう。イメージとしては、のどに水平に置かれた声帯の先端を持ち上げ、これを垂直に起こして場所を移し、先端を眉間の下、両目の間にある鼻の付け根に持ってきたような感じだ。声帯ひだは、鼻の付け根から2本の上前歯の根元にかけてロープ状(あるいは左右に開くのれん状)に垂れ下がった恰好になる。 とすれば最初に挙げた声帯の図は、そのまま鼻腔弁の図に合致すると考えてもよい。違うのは方向だけだ。仮にこれが鼻腔弁の図だと考えるなら、声帯ひだに相当する2本の白い線は、眉間から鼻の下の左右に向かって延びていることになる。 繰り返すが、この鼻腔弁は実在する器官ではなく、脳神経の勘違いから生まれた虚像である。だが、声帯とうまく交信するためには、この虚像を霊媒のように使うことが必要なのだ。僕たちはこれまで、霊媒を使わずに声帯と格闘してきたようなものだ。だから声帯が何を必要としているのか分からず、半ばけんか越しに声帯とつき合ってきた。しかし鼻腔弁という霊媒を介しさえすれば、声帯をうまく手なずけて良いパートナーにすることが可能になるのだ。 さて、声帯の図を鼻腔弁と重ねて見ていて、気づいたことがある。 先ほど声帯を動かすカギとなる披裂軟骨というパーツの存在に触れたが、鼻腔弁にもこれに相当する部分があるのでなはいか、というアイデアだ。 とすれば、その場所は2本の上前歯の付け根あたりだろうか。鼻の下の左右にこれが1個ずつあると想像してみよう。形はごく小さなブーメラン状だ。どちらも中心に軸があって、左右に回転できるようになっている。この披裂軟骨の虚像を操作することで、実際の披裂軟骨を遠隔操作できるのではないだろうか。そう考えていろいろと実験してみた。 前回紹介した「鼻腔弁のハサミ閉じ」という動きはたぶん、左右の披裂軟骨をひき付け合う、という動きに相当するものだろう。披裂筋の収縮を促す動き、と言えるかもしれない。これに今回は、披裂軟骨を回転する動きを加えようと試みたのだ。 回転方向は、右側の披裂軟骨が左回り、左側の披裂軟骨が右回りだ。この回転を加えると、左右の声帯ひだがより接近し、張力も増すことになる。 まず、左右の上前歯の根元付近に披裂軟骨の虚像を想い描いてみよう。便宜上、形は小さな2個のローラーを想像したほうがよいかもしれない。上から何かを落とし込むと、2つのローラーが回転してこれを平らにつぶし、せんべい状のものが下から出てくる、という感じの回転を想像してみよう。この回転を加えると、左右の鼻腔弁(=声帯ひだ)が引き寄せられ、間のすき間はほとんどない感じになる。 こうして半月あまり実験を繰り返してみた。それなりに効果はあるようにも思えるんだが、どうも100%これでいいという確信が生まれてこない。何かしっくりこないのだ。どこがいけないのだろうか? そうして試行錯誤をさらに繰り返しているうち、ふと思いついた。上下を逆にしてみたらどうだろうか? ここまでは、鼻腔弁のちょうつがい部分が鼻の付け根にあり、鼻腔弁を開閉する部分が上前歯の付け根付近にあると仮定してきたが、試しにこれをひっくり返してみることにした。というのは、いろいろやってみたが上前歯の付け根近辺にはコントロールできる部分が少ないように思えたからだ。むしろ鼻の付け根、眉間の下あたりのほうに動かせるパーツが潜んでいるのでは、と直感したのである。 イメージとしては下図のとおりで、下端が上前歯の付け根付近、上端の中心が眉間にあたる。披裂軟骨は左右の眉の下あたりにくる感じを想定してみた。そして、右の披裂軟骨を時計回りに、左の披裂軟骨を反時計回りに回すようにすると鼻腔弁が閉じる、と意識する。 この状態で声を出してみると、なぜか驚くほどうまくいくのだ。前回のようなハサミ閉じだけの場合よりもさらに声帯がしっかりと反応し、コントロールがもっと意のままになることが実感できる。 披裂軟骨の回転軸は、左右それぞれの眉の中心からやや下にあるとイメージし、左右の披裂軟骨の外側の端部をそれぞれ頬骨のほうに引き寄せるようにすると、披裂軟骨の内側の端部が互いに近づき、鼻腔弁が閉じる感じになる。あくまで僕個人のイメージだけどね。 こうして声を出してみると、あまりに軽々と出るので、ちょっと声楽家のはしくれにでもなったような気分になる。ま、それは気のせいだとしても、少なくとも声の質が前よりよくなることは確かなようだ。 ただ、なぜ上下を逆にした鼻腔弁モデルのほうがこれほどうまく機能するのかはまだ探ってみる余地がありそうなので、これから検証を重ねていこうと思う。 このサイトに公開しているアイデアは全部僕の血のにじむような実験と探究の成果なので、もし効果があると思って人に伝える場合は、考えたのは国井仗司だということを必ず言い添えてくださいね。パクっちゃやーよ。

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もし僕がボイストレーニングを任されたら…

僕がもしアマチュア合唱団のボイストレーニングを任されたとしたら、たぶんこんなふうにやるだろう。現段階までの僕の考えをまとめたものと思って読んでほしい。 皆さんは、「声はのどから出る」と思っていますよね。だってそこに声帯があるから。 でも、それは間違いなんです。 皆さんは、実は声帯にだまされてきたんです。 確かに声帯はのどの中にあるように見えます。医学書を見てもそう書いてあります。 でも、僕たちの脳が実際に声帯の位置として認識しているのは、のどではなく頭の中なんです。 なので、ちゃんとした声が出たときには、頭の中が響いているように感じるんです。 それを「頭声」といいます。 ちゃんとしたクラシックの歌手は、日本人でも100人中100人が頭声で歌っています。 ところが僕たち普通の日本人が声を出すときは、頭の中ではなく、のどが振動しているのを感じる人がほとんどです。それは、頭声とはまったく別の、間違った声の出し方をしているからです。 これを「のど声」といいます。 のど声を出すときに振動しているのは、実は声帯ではなく、「声帯もどき」です(正式には「披裂喉頭蓋ひだ」といいます)。これは、声帯の上に張り出してくる膜で、声帯の振動を吸収してしまう弱音器のようなものなんですが、ここが振動すると自分ではのどがびんびん鳴って強く共鳴しているように感じるので、大きな声が出ていると錯覚してしまうのです。 日本人ののど声は、この錯覚の産物です。声帯もどきだけが強く震えて、肝心の声帯から出る振動は弱められ、共鳴するスペースが奪われてしまっているのです。 日本で生まれ育った皆さんは、のど声を使ってしゃべったり歌ったりする生活文化に長年ひたっているので、ほぼ全員がのど声だと思って間違いありません。 しかし、合唱はクラシックな声楽を基本としているので、のど声だと完全にNGなんです。 ちなみに英語をしゃべるときも、のど声はお勧めできません。のど声だと発音がしっくりきませんし、そもそも相手に通じにくいのです。英語というのは頭声を使って発音する言語なので、そこをきっちり抑えておかないと、サウンドに強い違和感が生じるのです。 英語はのどで発声するんだ、と主張する人もいるようですが、それは間違いです。のどで声を出すと思っている限り、高い声は出ず、浪花節のようにのどから絞り出した低いしわがれ声になってしまいます。これは表面的にはよさそうに聞こえるかもしれませんが、素直に明るく響く英語の声とは違う押し殺したような声で、結局はまがいものです。 ちょっと脱線しましたが、要するに合唱(というか声楽)や英語を本気でやるなら、のど声は捨てて頭声を習得してください、ということです。 頭声というと、ソプラノやテノールなど高い声を出す声部だけのように誤解している人がいるかもしれません。でも実はアルトやバスも、ちゃんと歌える人はみな頭声で歌っているのです。要するに、声の高低にかかわらずのど声はNGで、頭声がマル、ということです。 では、どうすれば頭声にシフトできるのか。それをこれからお話ししましょう。 さっき「声帯は実は頭の中にある」と言いましたが、もちろんこれは声帯の物理的場所ではなく、脳が認識(というか誤解)している声帯の場所が頭の中にある、という意味です。要するに声帯の虚像です。なぜ脳がそんな誤解をしてしまうのか、という点については、過去に「声帯の欺き」その他の項で説明していますので、そちらを読んでみてください。 では、その声帯虚像は正確には頭の中のどの辺にあるんでしょうか。皆さんも知りたいですよね? これを特定するのは、実は結構たいへんな作業でした。 でも、僕がいろいろ実験して探り当てた場所を惜しみなく教えてしまいましょう。それは、ずばり鼻のど真ん中です。 上の前歯2本の根元をまず意識してください。その間にわずかなすき間がありますね。このすき間が歯茎の上に向かって直線上に延びている状態を想像してみましょう。そして、両目の間、眉間のやや下にある鼻の付け根にまでスリットが達していると考えてください。 ちょうど顔の中心線に沿って、鼻の中を上下に走る細いすき間がある、という感じです。 これを声帯に見立てます。そして、このすき間をできるだけ細く閉じながら振動させるようにすると、頭声が出るのです。 言い換えると、このすき間をコントロールすることで、不思議にも実際の声帯がコントロールできてしまうのです。このタテのすき間を、僕は鼻腔弁(びくうべん)と名付けています。あくまで意識上の存在で、実在する器官ではありませんが、便宜上とても有益な概念です。おそらくこれは、僕たちの脳神経が投影する声帯の虚像にあたるんだろうと思います。 意識の上ではあくまで鼻の中をコントロールするのですが、物理的にはのどにある声帯が反応し、声を出してくれます。でも声は頭の中で鳴っているように感じられ、のどは一切使っていないような感覚です。そこが頭声とのど声の大きな違いです。 慣れないうちは、声を出そうと思ったとたんに元ののど声になってしまうかもしれません。でも、鼻腔弁の位置がはっきり分かってコントロールできるようになると、それまでとはまったく違う自由な声の世界が開けてきます。 コツは、両目の間、眉間の下にある鼻の付け根を支点として、上の前歯2本の根元まで「人」の字型に延びる2本の直線を意識し、これをハサミのように閉じる動きを習得することです。 これによって、声帯を閉じる動作を効果的にシミュレートできるようになるのです。 顔の表面や内部の筋肉をいろいろと工夫して動員すれば、このハサミ閉じの動作は誰でも必ずできるようになります。 でも、言われてみない限りそんな動作をしようと思う日本人はまずいません。だからみんなのど声のままなのです。日本語を話すときには、この鼻腔弁は弛緩して開いたままですから、それを閉じようとするのは僕たちにとってまったく想定外の、ひどく違和感のある動きなのです。 これに対し、英語では逆に鼻腔弁が緊張して閉じ気味になった状態でしゃべるのがデフォルトなので、すでにその時点で日本語とはまったく異質の声になります。要するに英語は頭声が基本なのです。 ハサミ閉じの動作をするときは、ひたすら両前歯の根元付近を互いに近づけるよう意識を集中し、それ以外の筋肉はなるべく解放してあげるとよいでしょう。そのほうが効率よく声が出るし、何より楽ちんです。こうやって声を出せるようになると、低音から高音まで楽々とひとつながりで歌えるようになります。男声ならテノールやベースぐらいの音域(女声ならソプラノとアルト)は、どちらも一人で簡単にこなせます。 次に発音ですが、こうして鼻腔弁のハサミ閉じをしながら、口は脱力して広く開けましょう。形は母音に応じて変化させてください。つまり、鼻腔弁で発声し、それとは独立して口腔で母音を発音する、というイメージです。日本語では鼻腔弁を開いたまま口腔で母音を作る、というペアリングがデフォルトになっているので(これをカナ縛りと僕は呼んでいます)、このペアリングを解除して鼻腔弁を閉じながら母音を作るには少々慣れが必要ですが、練習すればなんでもありません。 それから、のどは常に弛緩したままにして、振動も緊張もさせないようにしましょう。でないとすぐのど声に逆戻りしてしまいます。 今日のところはここまでで十分だと思いますが、宿題としてもうひとつコツをお教えしておきましょう。それは息のしかたです。皆さんは口や鼻から前に息を出そうとしていると思いますが、そこをひと工夫する必要があります。鼻腔弁のハサミ閉じをする際に、息を吐き出すのではなく逆に顔の前から鼻の後ろへ息を呼び込むようにするとよいのです。結果的には口から息が前に出ることになりますが、のどから口へ息を送り出そうという意識は決して持たないほうがいいのです。 頭声の習得に向けて僕が提唱しているこの発声法は、日本語の発声の常識とはとてつもなく違うので、面食らう人も多いかもしれません。でもそれぐらいの違いを乗り越えないと、のど声から頭声へのシフトはおぼつかないのです。 ちなみに、鼻腔弁のハサミ閉じは、英語で子音を発音するときに必ずやらなければならない基本動作です。英語の子音は鼻腔弁で作られるといっても過言ではないのです。これについては次回以降に改めて解説するつもりです。いったんこれを覚えてしまうと、英語の子音の発音にたいへん説得力が出てきますから、どんどん面白くなってきます。これをやる人とやらない人の英語の発音には、雲泥の差が出るのです。 鼻腔弁のハサミ閉じ、というアイデアもそうですが、このサイトに公開しているアイデアは全部僕の血のにじむような実験と探究の成果なので、もし効果があると思って人に伝える場合は、考えたのは国井仗司だということを必ず言い添えてくださいね。決してパクらないこと。間違ってもエンブレムで物議をかもした某有名アートディレクターみたいな真似はしないでください…。

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声と「進化のいたずら」

今回はしばし技術論から離れて、簡単な思考実験をやってみたい。 まず、両手の薬指を見てほしい。そして、この指を動かす神経だけが、ほかの指と違ってものすごく迂回して配線されていると仮定してみよう。 想定するのはこんなシナリオだ。親指、人差し指、中指、そして小指を動かす神経は、脳から首、肩、腕を伝ってほぼ最短距離でそれぞれの指につながっている。ところが薬指の神経だけは、脳から首まで来たあとさらに鎖骨の下あたりまで伸び、それから向きを反転させて再び首に戻って肩から腕を通り、薬指につながっている、と仮想してみてほしい。 薬指以外の4本の指の神経は、おおむね1本の束になって首から肩、腕に延び、そこから4本に分化している、としよう。これに対し薬指の神経は、首のあたりで他の4本の指の神経から分かれ、だいぶ道草をくってから戻ってきて薬指につながる。とすれば、薬指の神経として分かれる部分は、もとを正せば指の神経束の中でもいちばんはじっこにあったはずだ。ここでは話を簡単にするため、親指よりさらに手首に近い側にくるはずだった神経が、回り回った挙げ句に薬指に落ち着いた、と考えてみよう。 すると何が起こるだろうか。 手を眺めながら、親指、人差し指、中指と順番に指を折っていくと、薬指だけが思うように動いてくれない。さらに小指を折っても、薬指だけは立ったままになるだろう。見た目とは神経の配線の順序が違うので、見かけの順序どおりに神経に命令を出しても、薬指は反応しないのだ。 小指だけを折ってみると、薬指もつられて少し曲がるので、日常生活に支障のない程度には薬指も使える。しかし、楽器を弾くなどの高度な操作はとてもおぼつかないだろう。 では、どうすれば薬指をうまく使えるだろうか。答は簡単で、たとえば右手だったら、親指のさらに右にもう1本の架空の指があると想像し、その空想上の指を動かすように脳から指令を出せばいい。薬指を動かす神経は、もともと親指の外側にあるべき神経だったという想定なので、見た目を無視してその神経本来の位置を操作してやれば、薬指はちゃんと反応するに違いない。 さて、なぜこんな思考実験をしたかはもうお分かりだろう。声帯を支配する神経(反回神経)が、まさにこの架空の薬指の神経のようにとんでもない遠回りな配線になっているので、それが実際にどんな影響を及ぼすかを推理してみたかったからだ。 反回神経の異常な配線ぶりについては以前から指摘しているとおりだが、この配線異常のせいで声帯が他の発声器官よりコントロールしにくくなっている、つまり「声帯の欺き」が生じているのではないか、と僕は想像している。 仮に右手薬指の神経配線が異常に迂回していたとしたら、右親指のさらに右にもう1本架空の指を想定し、これを操作することでほんとうの薬指がうまくコントロールできるに違いない。とすれば声帯もそれと同様に、本来の位置とは違う場所にある声帯虚像(鼻腔弁)を操作することでよりよくコントロールできるのではないか。それが僕の主張(国井仮説)のエッセンスだ。 僕自身が発声実験から感じる手応えからいうと、この仮説はかなり実効性があるように思う。だが実効性うんぬんの前に、ひとつ考察しておきたい点がある。 そもそも反回神経のようにえらく遠回りな配線ができたのはいったいなぜか、という素朴な疑問だ。 反回神経の属する迷走神経という脳神経の束は、一部が喉頭や咽頭につながってこれを支配するが、その他は内臓へと延びてこれを支配している。反回神経はこの内臓を支配する神経の束のほうに属していて、首を通過した後いったん胸に向かって延びていくが、胸部で枝分かれした後に向きを反転させて首に戻り、最終的に声帯を支配する筋肉や骨につながるのだ。 なぜこんな妙な設計になったのだろうか? 恐らくそこで考えられるのは、人間が進化してくる過程の中で、声帯が発達した時期がわりと遅かったのではないか、ということだ。 進化(発生)の過程で、声帯に向かう神経は本来なら喉頭や咽頭の神経と同じタイミングで分岐していればよかったのに、分岐し損なって胸部まで乗り越してしまい、居眠りから覚めたようにあわてて逆方向に分岐して声帯に向かったかのように見受けられる。声帯の神経は、はじめはなかったものが後で無理矢理ひねり出されたように見えるのだ。しかし、果たしてそんなやっつけ仕事のような形で生物が進化するものだろうか? 実はそういうものらしい。スティーブン・ジェイ・グールド(進化論に関するさまざまなトピックを一般向けに紹介したエッセイで知られる生物学者)は、進化は決してパーフェクトな設計図に基づいて進んできたわけではない、とたびたび力説している。キリスト教右派のアメリカ人が進化論を否定するためによく持ち出す「インテリジェント・デザイン」という考え方の誤謬を指摘するためだ。 インテリジェント・デザインとは、要するにこういうことだ。あなたが海辺かどこかを散歩していて、懐中時計を拾ったとしよう。あなたはこれを手にとって観察するが、見れば見るほどこの懐中時計が決して偶然の積み重ねでできたものではなく、時を知らせるために知的に設計されたものだとしか思えなくなる。生物もこれと同じに違いない。その精緻なデザインは決して偶然の産物ではありえず、全能の神が明確な意図の下に設計したからこそ、生物が存在し得るのだ――。インテリジェント・デザインの大雑把な論旨はこんな感じである。 ところがグールドによれば、生物の設計は決してそんなに完ぺきなものではない。古生物の化石など現存する証拠を検証していくと分かるが、生物は手持ちの器官を必要に応じて間に合わせに使いながら環境に適応して進化してきたのであって、その結果かなり不完全なデザインがそのまま残っている例も数多いのだという。 分かりやすいたとえとして彼が挙げた例の1つが、ニューヨークの街の発展してきた経緯だ。この街の道路や下水、電気などのインフラ網は、よく見ると決して合理的とは言えない迷路のような作りになっている。これは、過去の各時代の都合に合わせて作られたインフラがその都度定着してしまい、その後不都合が増えてきても簡単には変更できなくなって、それを迂回するように新しいインフラが付け加わっていった結果なのだという。同じようなことは世界中の都市で多かれ少なかれ起こっているはずだし、生物の進化の過程でも同じことが起きているのだ。進化の過程でいったん作られてしまった器官(インフラ)は撤去できないので、たとえ後で不都合が出ても、それを仕方なく残したまま進化は進んでいくのである。 たとえば人間の網膜の上には多くの毛細血管があり、厳密にいうとこれが僕たちの視覚をだいぶ邪魔しているらしい。神のような存在がパーフェクトに設計したのなら、網膜にこんな欠陥デザインを採用するはずがないではないか。むしろ、かつての生物が視覚を発達させる段階で、手持ちの器官から使えるものを使って適応してきた結果、こうした不都合な面が残ってしまったと考えるほうが自然なのだ。同様の例は枚挙にいとまがない、とグールドは言っていた(ような気がする)。 声帯に話を戻すと、僕たちの遠い祖先はたぶん必要に迫られ、もともと声を出すようには出来ていなかった咽頭や喉頭に、何とかして発声機能を持たせるようにしたのだろう。その過程で手持ちの神経から新しい枝が分岐してきたのではないか。そしてこの分岐した神経が声帯につながろうとして向きを反転させ、声をより簡単に出せるよう進化が進んでいった結果、妙ちくりんな反回神経の配線が残ってしまったのだ、と僕は勝手に想像している。 生物の進化は、その場限りの間に合わせの積み重ね、という側面を持っている。反回神経や声帯の欺きも、おそらくそうした進化の負の遺産なのかもしれない。だが何度も述べてきたように、ちょっと視点を変えてそんな不合理の裏をかいてやりさえすれば、マイナスをプラスにすることだって可能なのである。真に説得力のある発声と発音は、そうした進化のいたずらを逆手にとることから生まれるのだ、と僕は思う。 僕たち人間は、よくも悪くも進化の足跡や過去の歴史を引きずっている。それをしっかりと直視できるかどうかが、僕たち自身の存在意義をわずかなりとも高めるカギなのかもしれない。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「声のワープ現象」

鼻腔弁で発声した声は、まず頭頂部へ向かったところで姿を消し、そこから不思議にもワープして口から出現するような感覚がある、という話を前回したが、この「声のワープ現象」は、ひょっとしたら英語発声の仕組みの急所を突いているかもしれない。 なぜそんなことを言うかというと、英語の子音をそれらしく発音すべくいろんな角度から実験すればするほど、この「ワープ現象」に類似した出来事が子音でも起きているのに気づくからだ。 以前取り上げたthの発音がその好例だろう。thをうまく発音するコツは、有声音でも無声音でも同じで、決して舌先と歯の間から声(息)を前に押し出そうとしないことにある。(詳しくは過去のエントリーをご覧いただきたい。)舌先と歯の間から声や息を出さなかったらthにならないではないか、と常識的には誰もが思う。しかし、その先入観にとらわれている限り、本当にthらしい音にはならないのだ。 では、声(息)の流れをどう意識したらよいのか? 以前の僕の答は、舌の左右に声(息)を通す、というものだった。たぶんこの答が常識の範囲内ではいちばん正解に近いのだと思う。しかし実験を重ねるうちに、もう一歩踏み込んでみたくなった。ほんとうの正解は常識を超えたところ(つまりワープの世界)にありそうに思えてきたからだ。 声帯を支配する反回神経がきわめて特殊な配線になっていることは、もう何度となく説明しているが、おそらくその異常配線の結果、僕たちの声帯の位置覚は倒錯している、と僕は見ている。実際には口腔より下ののどにある声帯が、口腔より上にあるかのように脳が錯覚してしまっている、という、一見途方もない仮説だ(国井仮説)。 この仮説が正しいとしたら、声帯を出た声は、直接口へ向かっていくのではなく、いったんどこか別方向に進んだ後に途切れて、その後で口腔から出現するように感じられても不思議はない。むしろ、そういうイメージを持ったほうがうまく声をコントロールできるはずだ。だとしたら、今後は「声はワープする」というのが新しい発声のキーワードになるかもしれない。 大切なのは、反回神経に起因する声帯位置覚のずれをしっかりと認識し、それを計算に入れた上で声帯をコントロールすることである。 従来の発声では、人体図をそのまま鵜呑みにして、「横隔膜から送られた息が声帯を鳴らし、その響きが口腔その他の空洞部分で共鳴する」、という発声モデルが支配的だった。というか、基本的にそれ以外のモデルは存在しなかったのではないだろうか。 だが、脳が声帯の位置について錯覚を起こしている、と仮定すれば、こうした従来の発声モデルの呪縛から解放されるし、これまで謎だったいくつかの現象も容易に説明がつく。たとえば、理想的な発声とされる頭声がその典型的な例だ。そもそも頭には空洞がない。それでいて頭に声を響かせろというのは、従来の発声モデルで考える限り無理難題もいいところだ。まあ、英米人の場合は普段から頭声を多用してしゃべっているので、頭声なんて別に不思議でもなんでもないのだろうが、日本人の声はのど声の傾向が強いので、いったいどうやったら頭声が出せるんだろうと頭を悩ませるアマチュア声楽家は多いのではなかろうか。 ところが、声帯位置覚に先天的なずれがあると仮定すると、この疑問は氷解する。頭声というのは、最も無理なく発声したときに当然振動して響くべき部分が響いているに過ぎないのだ。ただ、声帯の神経配置がきわめて変則的なので、声帯から正しい響きが出たときには、僕たちの脳はそれがのどではなく鼻腔から上の部分、すなわち頭の中で響いているように感じるのではないか。それが頭声なのだ。 つまり、人間が本当にちゃんとした声を出したときには、頭の中で声を発しているように感じるのが本来の姿なのかもしれない。その感覚をつかんだ人と、まだつかめていない人の発声には、かなりのギャップがある。ある意味、禅の悟りに到達した人とそうでない人くらいの落差かもしれない。でも実際には、頭声なんか禅の悟りよりずっと簡単に到達できるはずだ。ちょっと思考さえ柔軟にすればね。 要するに、頭声というのは脳の錯覚から生まれた現象なのだ。この脳の錯覚をありのままに受け入れて、声帯はのどではなく頭の中(鼻腔弁)にある、と意識することが、結局は正しい発声への近道なのである。ちょっと禅問答っぽいかな、これ? 脳は錯覚を起こすことがある、というパラメーターを新たに計算に入れると、それまで理屈では納得できなかった疑問も氷解することがある。発声のナゾも、まさにそうした問題の1つではないかと僕は思っている。 さらにこの脳の錯覚は、声の通り道についても人体図とは違った感覚を僕らに与えているに違いない。それが最初にも挙げた声のワープ現象だ。 英語のthやr, l, f, v, pなどの発音がうまくいかないのも、おそらく僕たち日本人がこのワープ現象をよく認識していないせいではないだろうか。子音にも声のワープ現象が何らかの影響を与えているはずなのに、ほとんどの日本人はそれに気づかず、人体図から考えた理屈だけで子音の発音を再現しようとするからぎこちなくなるのだ。 僕は以前からいろいろと子音の発音方法を探ってきたが、特に上に挙げたような子音を発音するときは、外に息を破裂させるようにするとかえって逆効果で、むしろ内側に破裂するような感覚、すなわちimplosion(explosionの反対語)を意識するとうまくいくことに気づいていた。子音をはっきり発音するためには、口先で息や声を強く出そうとするよりも、後頭部あたりに向かって子音を思い切りぶつけて発音するようにしたほうが、不思議とそれらしい音が出るのだ。 ただ、概念的にこれをうまく説明できる図式がどうも組み立てられなかった。物理的な息の流れに反しているからだ。 従来の発声モデルにとらわれている限り、子音は口腔の出口付近でしか出しようがない。息はのどから出て口腔を通って口から出て行くだけなので、ほかにどこも操作できるところはないと思われる。息を後ろにぶつけたほうがうまく発音できるのに、このモデルではその感覚を合理的に説明できないのだ。 しかし、この従来の発声モデルには「脳の錯覚を考慮していない」という欠陥があった。このことを考慮すると、話は変わってくる。 もし反回神経のいたずらによって「声帯の欺き」が生じているとしたら、少なくとも意識の上では、声帯と口腔の位置が入れ替わった不連続な発声モデルを考えるほうが理にかなっているのだ。 さらに、僕はこれまで口腔の上部に位置する声帯虚像(鼻腔弁)について、実際の声帯を単に上に移動しただけであるかのように想像してきたが、もしかしたらもうひとひねり加える必要があるかもしれない、と思うようになった。 考えてみると、反回神経はその名の通り反回転しているので、単に声帯の位置認識にずれを生じさせるだけでなく、声帯自体の前後の傾き具合についても認識のずれを生んでいるかもしれない。前後に任意の角度で回転が生じているかもしれないし、さらには180°回転して上下反転しているかもしれないのである(ちなみに左右の認識反転は生じ得ない。反回神経は左右一対になっていて、右側は声帯の右半分、左側は声帯の左半分につながっているので、左右は反転しようがないからだ)。僕は最初、鼻腔弁が水平になっていて、声はそこから上に向かうとばかり考えていたが、もしかしたら鼻腔弁は傾斜しているかもしれないし、あるいは垂直になっていて、意識上の声は上ではなく後ろに向かっているのかもしれないのだ! そう考えた結果、以前から話している天窓ガラスは口蓋の真上ではなく、むしろやや後ろの、後頭部付近にあるように意識してやるほうがよいのかもしれない、と思うようになった。 そこで早速試してみた。 うん、これはいける。当たりかもしれない。 感覚的には、前回紹介した上下方向の声のワープとはやや方向が違ってくる。 まず、発声スペース内の鼻に近いところに垂直に立つ鼻腔弁がある、と意識してみる。 そして、声はこの鼻腔弁から後頭部に向かって出て行く。両耳の間をとおって首筋の上あたりの部分に来たところで、声はいったん姿を消す。そしてワープした後、いきなり口の中から前に出てくるような感覚だ。 口蓋を境として発音スペースと発声スペースを明確に分けておく点は、以前と同じだ。 図示すると、こんな感じだろうか。 普通は赤い点線の矢印のように、肺から来た息はのどを通って、さらに口から出ていくのだが、脳は神経のいたずらによって、声帯がまったく違う場所にあるように錯覚してしまう(A’→B’の部分)。 とすると、肺からAまで来た息は、まずA’にワープし、鼻腔弁を経由してB’に向かった後、もう一度ワープしてBに戻り、そこから口の先へと出て行くことになる。本来AからBにかけてあるべき部分が、A’からB’にかけての位置にあるように脳が錯覚してしまうのだ、と仮定するとわかりやすい。これが声帯の欺きである。 (その後実験を重ねてみた結果、B’の位置はこの図よりも少し上のほうがよいかもしれない、とも思うようになった。鼻腔弁が垂直より30°ぐらい前に傾斜し、B’←A’の線も30°ほど左上がりに傾斜するようなイメージだ。でもたぶん個人差もあるだろうから、そうした微調整は各自で試みてほしい。) 常識的な人体図からは想像もつかないが、反回神経のいたずらによる錯覚を考慮すると、脳が意識する声帯の位置や配置が上図のようになっている可能性は決して皆無ではないし、僕が感じる実際の声の手応えから判断すると、そのほうが正解に近いように思う。 母音はというと、発声スペースの奥の天窓ガラス部分(B’)で形成し始める感じになる。そして、そこからいつのまにか声は口から出てくる。B’からBへ声がワープするような不思議な感覚だ。それくらい声が軽々と出るのである。SFの宇宙船がワープ航法で別の宇宙へジャンプするような感じかな? B’(ワープ入口)とB(ワープ出口)のポジションをなるべく広く離すよう意識するほど母音が明瞭に出せる、ということも、やってみてわかった。 子音はどうだろう。thでまず試してみると、こちらは鼻腔弁のあたり(A’)からthを発音し始めるように意識を集中させると効果的だ。最後は口先から明瞭にthの音が飛び出してくる。最初いったん後頭部のほうに子音のエネルギーをぶつける感じだが、そのエネルギーはBにワープして口先から出てくる。発音スペース(口腔)内では特に何も操作しなくてもよい。というか、発音スペースはほぼ完全にバイパスする格好だ。ついでに他の子音も試してみたが、どれも結果はきわめて良好だ。まずA’の付近でエネルギーを矯めてから、それを一気にB’に放出すると、口先からシャープな子音が出てくるのだ。 英語の子音は日本語の子音より息が強い、と言われるが、それを再現しようとしてのどで息圧を高めるのは間違いだ。そのやり方ではいくら強く発音しても本当に英語らしい子音の響きには到達しない。英語に特徴的な強い破裂音は、実はのどで息圧を作っているわけではなく、鼻腔弁から後頭部にかけての部分(声帯のコントロールセンターがある位置)で息圧を高めることで生まれるのだ、と僕は主張したい。もちろんこれは、反回神経がもたらす錯覚を逆手にとっただけのことなのだが。 子音を発音するときには、母音を邪魔しないよう基本的には口腔の周辺を伝って子音を出すべきである。舌の両側や頬の内側を活用するよう僕が勧めている理由はそこにある(ただし、A’付近でエネルギーの矯めを作って、それがB’とBを経由して口腔から出てくるのであれば、口蓋の天井を伝って子音が出てきてもよい)。しかし、日本人はこうしたワープ経路を使わずダイレクトにのどから口へ声を出そうとする人がほとんどなので、舌と口蓋の間に息を通そうとすればするほど息が無駄に使われ、母音にも歪みが生じるし、子音も下手くそにしか聞こえない。エネルギーの矯めがなく、力強い子音には聞こえないのである。口腔の出口付近で子音を強く出そうとするだけでは、うまくいかないのだ。 かといって、より奥の肺やのどから息を強く出そうとしても、息はスカスカのままで、英語らしい矯めのあるシャープな子音は生まれない。むしろ声帯の欺きを踏まえて、鼻腔弁から後頭部にかけての発声スペースにいったん舞台を移し、そこで息圧の矯めを作ることが英語らしい子音を生む原動力なのだ。発声スペースは息の圧力を高めるポンプのような役目も果たすのである。ここをフル活用することで、話す声や歌声はより伸びやかで豊かになり、子音や母音も輝きを増す。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「発音と発声の分離」アップデート

言葉をはっきり発音しようとすると、それまでうまくいっていた発声が乱れることが多い、という話を前回したが、これをちょっと違う角度から検討してみよう。 この現象が起きるのはおそらく、発声で使う身体の部分と、発音のために使う部分とが、一部重複しているためと考えられる。この重複したスペースが、発声・発音の各プロセスでそれぞれ異なる命令を受ける結果コンフリクトが生じ、発声のほうが犠牲になってしまうのだ。 とすれば、発声と発音の重複スペースを極力少なくすることで、この問題は解決できるのではないか。そう考えて、僕は「発音と発声の分離」というテーマを課題の1つに掲げてきた。 人によっては、発音と発声は不可分だと思うかもしれないし、発音と発声はそもそも別ものではじめから分離されている、と思うかもしれない。 僕の意見はちょっと違う。発声というのは声帯の振動を増幅するテクニックであり、これに対し、発音は出た声(無声の息も含む)に変化をつけて異なる母音や子音を作り出すテクニックだ。とすれば、発声と発音は決して絶対的に不可分ではなく、どこかでつながっている部分もあるはずだ。ただし、工夫次第でこれを完全に分離することも可能に違いない。一般的にみて、発声と発音を明確に分離するのが英語やクラシック声楽、明確に分離しない(というか一体としてとらえる)のが日本語、というふうに僕はとらえている。 一般には、声の出所はのどであり、発音に使われるのはそれより上にある舌、歯、唇、頬、上あご、下あご等の部分だと考えられている。なので、常識的には発音と発声が重複するなどとはちょっと考えにくい。しかし実はそこに大きな盲点があった。 それが以前にも取り上げた「声帯の欺き」である。 声帯をコントロールする神経(反回神経)は、いったん胸部にまで下りてから再びのどに戻るという異常に迂回した配線になっている。恐らくはそれに起因して、声帯がのどではなくあたかも上あごか鼻腔の付近にあるかのような錯覚が脳に生じているのではないか、という仮説を僕は立てている。 ならばこの錯覚を逆手にとり、鼻腔付近に声帯があるかのように意識しながらその声帯の虚像(鼻腔弁)をコントロールしてやれば、かえってダイレクトに声帯への命令が伝わり、声帯本来の働きが得られるのではないか。僕はそう考えて実験を重ねてきた。自分の声に表れる手応えからいうと、これは場外ホームラン級の大当たりだった。 ではこの声帯の欺きは、発音・発声の重複とどう関係しているのだろうか? 声帯の欺きによって何が起きるかというと、少なくとも体感的には、発音をコントロールする部分(主に口腔)よりも上に、発声スペースがのっかる形になる。常識的には発声する部分の上に発音をコントロールする部分がくるはずなのだが、それとはまるで逆の図式だ。 常識的には、発音スペース(だるま:口腔をイメージしたもの)の下に発声スペースがあるはずだが、声帯の欺きによって脳は両スペースの上下関係が逆転しているかのように錯覚している(国井仮説)。したがって、「口腔より上の高さで発声する」という常識外れの感覚をつかむ必要が出てくる。これに気づきさえすれば、発声と発音の両方をよりうまくコントロールできるようになる。 体感的にいうと、声の振動は口腔のやや上部(鼻腔弁)から発振され、さらに頭頂部へ向かっていったん消えるような感覚になる。そして、そこから声は不思議にものどの上部から再出現し、最後に口腔から出て行く。声の流れが不連続で、上下関係も常識とは逆なので、物理的には説明しがたいが、声帯の神経配置にずれがあるせいでこうしたワープ感覚が生じるものと僕は想像している。 整理すると、声楽的に正しい声は鼻腔弁で生まれ、そこから頭頂に向かう。ここまでを発声スペースと定義しておこう(発声スペースには鼻腔全体も含まれる)。 その後、声は上方にワープしていったん消えた後、のどから再び出現し、口腔を通って口の外へ出て行く。この最終部分を発音スペースと定義する。 発声スペース、発音スペースのどちらも、風船のような膨らみを持つ空間をイメージするとよい。あるいは右上の図のように、上下を入れ替えただるま落としのようなものを想像してもいい。 発音と発声を分離するためには、この2つのスペースの位置関係(常識とは正反対)を明確に自覚し、さらに発声と発音の各プロセスに相互干渉が起きないようにすればよいのである。 発声に関しては、「のどで発声するのではない」と改めて自分に言い聞かせ、発音スペースが口腔よりも高い位置にあることを改めて確認しておいてほしい。決してのどには頼らないことが、どんなに多様な発音を駆使しても影響されないピュアな発声への王道なのだ。 今回注目したいのは発音スペースだ。特に、発音スペースと発声スペースの境界がどこにあるかを自分のからだで確かめておくことが大切なのである。 発声スペースを決して侵害しないよう注意しつつも、できるだけ発音スペースを広く確保することが、明確な発音を得るカギだ。発声スペースさえ侵害しなければ、発声には乱れが生じず、常に一定の発声が保たれる。その上で発音に多様性を持たせればよいのだ。 発声スペースと発音スペースの境界は、口蓋だと考えられる。しかし実際には、僕たちが口を大きく開けてはっきり母音を発音しようとすると、その上の発声スペースに含まれる筋肉も動員してしまいがちになる。口を開けた結果、口蓋より上にある鼻腔や上咽頭の筋肉までつられて動いてしまうと、発声が歪むのは避けられない。なので、母音を発音する際には、口蓋より上の部分は微動だにさせないぞ、というくらいの気持ちで口を開けることが肝心だ。発音のために使うスペースは、発声スペースと一切重複させてはならないのである。発声スペース(鼻腔弁から上の部分)は声を作るという重要な役割を担っているので、そこへ余計なストレスをかけるのは避けなければならないのだ。 イメージ的には、母音をできるだけ明瞭に発音しようとすると、つい発音スペースの天井が高くなりすぎて、発声スペースに侵入しがちになる。それを避けるには、口蓋より上にはみ出る部分を何が何でも抑え込む、という意識を持つことだ。理想的な母音の広がりに比べると、ややてっぺんの部分がカットされて窮屈だが、ここが妥協のしどころだ。わずかな犠牲を払うだけで豊かな発声が維持できるからだ。発音の明瞭さは、口腔を横や下に押し広げることで補える。 要するに、風船状の発音スペースの天井は常にややフラットにしておかざるをえないのである。右上の図でいえば、だるまの頭をこの図よりもやや平べったくしたような感じかな。 日本語の場合はのど発声なので、上述した発声スペース(鼻腔弁より上の部分)を使う慣行がほとんどない。したがって発音スペースは青天井で高さ制限がない状態となり、発音をはっきりさせようとすると、発声スペース内の声帯コントロール系統(鼻腔弁)にも運動命令が伝わってしまう。その結果、声帯に必要以上の緊張が加わり、さらには声帯もどきも張り出しくるので、のど声にならざるをえないのだ。 これに対し英語では、発声スペースと発音スペースを明確に分離する傾向があり、発音スペースは決して鼻腔弁より上の発声スペースを侵害しない。そのため発声が損なわれず、しかも母音や子音も明確に出せるのである。 日本語と英語の声がきわめて異質に聞こえる原因は、おそらくここにあるのだと僕は考えている。 鼻腔弁のあるポジションには、実際の器官と、神経の錯覚による虚像器官(鼻腔弁)とが同居しているので、重複したどちらの器官のほうに脳からの命令が向けられているのか分かりにくいし、動きも混乱しがちになる。それを避けるためにも、発声スペースと発音スペースの分離を意識することが必要なのだ。これを訓練すれば、純粋に鼻腔弁だけをコントロールできるようになる。つまり、声帯のダイレクトなコントロールが可能になるのだ。さらに、声帯もどきを引っ込める命令も混乱なく出すことができる。 逆にこの分離があやふやなままだと、日本語発声(のど声・のど発声)からの完全な脱却はまず不可能なのである。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「吐息あくび」で声帯もどき退治

前回みきわめた2つの「声帯もどきセンサー」による監視システムをフルに働かせると、それだけで声の質が見違えるように変わってくる。 注意点は、まず決してのどぼとけを圧迫しないことだ。吐く息と一緒にのどぼとけが前に押し出されるような感覚がある場合は、のど声になっている。まずのどの力を抜こう。 次に、「吐息あくび」の感覚を思い出そう(詳しくは前回を参照)。たとえばダイビングで耳抜きをするとき、鼓膜の内側に空気が入る感覚があるが、そのエリアまで口内空間を広げるようにするとよい。 この2点に気をつけながら、日本語の母音を発音してみよう。 特に、「吐息あくび」をしながら発音することが大きなポイントだ。最初はだいぶ違和感があるかもしれないが、このやり方でもちゃんと日本語の母音に聞こえるようになるので、何回でも繰り返し練習してみるといい。そして、普通の「あいうえお」の発音とどこがどう違うかを、実地で確かめてみてほしい。 ひとつコツを伝授しておこう。上あごの奥で「吐息あくび」のフォームを作ったら、これを崩さないよう保ちながら「あいうえお」を発音するとよい。もし「あいうえお」を発音しようとしたときに、吐息あくびの領域を侵害するような動きがある場合は、その動きを除外しよう。吐息あくびは発声の基本フォームなので、これを歪めるような動きは含めてはならないのだ。僕たちがふつうに使っている「あいうえお」の発音命令セットの中には、これを歪めるいわば「不純」な命令も混じっているので、まずはそれを排除しようというわけだ。 以前僕は、口蓋の天井付近に透明な天窓があると想定して、その天窓ガラスにハーッと息を吹きかけて曇らせるような、上向きの息で「あいうえお」を発音すると英語の母音に近くなる、という話をした。そして、その上向きの母音を「あ‘ い‘ う‘ え‘ お‘」という記号で表したのだが、覚えておられるだろうか? 今やっている「吐息あくび」まじりの母音も、実はこれとほぼ同じなのである。前回に比べると、鼓膜のあたりまで口内空間を広げる、という要素が加わっているが、実はこれについても、「翼ある息」という項ですでに指摘しているとおりだ。 要するに、「吐息あくび」まじりで母音を発音すれば、自然と「天窓ガラス」に向かって「翼ある息」が出る、という仕組みなのだ。でも、のどを力ませると途端に声帯もどきが出動してぶちこわしになる。なので、のどぼとけのセンサーも併用して、のど声・のど発声にならないようくれぐれも注意しよう。 「吐息あくび」のフォームを乱さないように「あ‘ い‘ う‘ え‘ お‘」を発音してみると、ふつうの「あいうえお」との違いがよく分かってくる。 ふつうの「あいうえお」の発音命令セットには、声帯もどきを出動させる命令が含まれており、これを取り除いたものが「あ‘ い‘ う‘ え‘ お‘」なのである。 「あいうえお」の息は口から前に向かう方向性を持つが、これは声帯もどきが息の流れを遮る結果として起きる現象だ。声帯もどきを封じ込めれば、息はまっすぐ上に上ってくるので、いやでも「あ‘い‘う‘え‘お‘」になり、従来の「あいうえお」より力の抜けたいい発声が得られる。 これを習得すると、声帯もどきは引っ込めたままでも実質的に「あいうえお」と等価の母音が得られ、しかものど声から脱出できる。もちろんこの母音は、英語の発音に応用しても絶大な威力を発揮するのだから、いいことずくめだ。 さて、声帯もどきを引っ込める以外にも、実は母音を明確に発音するための重要なポイントがもう1つあって、これを身に付ければもう鬼に金棒なのだが、それは次回のお楽しみとしておこう。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「声」と母音、子音のビミョーな関係

声帯が振動して生まれたばかりの声は、細くて響きが貧弱で、そのままではちょっと頼りない。 発声というのは、この生まれたての「声のタネ」を太く大きく育ててるテクニックで、物理的には管楽器が小さな音を増幅する仕組みと似ている。 正しく発声するためには、声の通り道を確保し、声帯の響きを邪魔するものを排除することが必要になる。すでに見てきたように、のど声というのは声帯の上を声帯もどき(披裂喉頭蓋ひだ)で覆い隠してしまうやり方なので、声帯本来の響きを損ない、声のエネルギーも減衰させてしまう悪癖である。そうならないように工夫を凝らすことが、自分の本来持っている声を存分に活かす近道だ。 前回までに、ずいぶんいろんな角度からそうした工夫を紹介してきたので、正しい発声に到達するための筋道についてはある程度めどが立ったと思っている。 さて、純粋に発声だけ考えていればよいなら話は比較的簡単なんだが、これに母音や子音が加わってくると、がぜん事情がややこしくなる。母音や子音を付け加えようとしたとたん、不必要にのどや口に力が入り、せっかく素直にできるようになった発声が歪んでしまうことが多いからだ。 個人的にも、僕がこれまでいちばん習得に苦労したのがこの部分だった。初期に覚えてしまったクセのある母音や子音のフォームはいつまでもあとを引きやすく、変えるのはなかなか容易ではない。そのため、はっきり発音しようとすると発声が歪んでしまう、というパターンに陥りがちなのだ。 そこでいろいろ考えて試行錯誤を重ねた末に、ようやくある解決策にたどり着いた。 ひと言でいうと、発声と発音を分離すればよいのだ。 発声と発音を分離する必要性については以前にも触れたが、前回は明確な答が出ていない状態だった。で、その後も自分なりに試行錯誤をくり返してきた。 結論からいうと、発声と発音を分離するカギは発音の側にある。(もちろん、すでにのど発声を脱却して無駄な力の抜けた声が出せるようになっていることが前提だが。) 僕たちが母音や子音をはっきり発音しようとするときには、あるべき発音のフォームが自分の心のスクリーンに描かれていて、それに合うように口や舌や顔の筋肉を動かしているはずだ。自分では意識していなくても、たとえば「せ」とはっきり発音しようと思ったときには、「せ」を発音するために必要な筋肉の動きがワンセットで記憶から呼び起こされ、発音器官はこの命令セットに従って発音することになる。 問題はこの命令セットの中に、必ずしも純粋な発音には必要ではない命令も含まれている、という点だ。具体的にいうなら、「声帯もどき」を出動させる命令が、日本語の発音命令セットの中に組み込まれてしまっているのである。そしてこれを修正しない限り、日本語をしゃべろうとすると「のど声」にならざるを得ないのだ。僕のいうカナ縛りとは、このように「声帯もどき」を張り出させる命令が日本語の発音命令セットの中にバンドルされてしまっている状態をいう。 ほとんどの人は、自分が持っている発音命令セットは不変・不可侵だと思っているので、そこにメスを入れることなど思いもよらない。ところが英語の発音は日本語の発音とかなり異質なので、僕たちが当たり前と思っている発音命令セットの一部を意識的に変えてやらないと、それらしい音は出てこない。 自分が持っている発音命令セットに固執したがるのは、ある意味で人間の本性なのだが、問題はそこでどれだけ柔軟になれるかだ。その答え次第で、英語音声の世界への切り込みの深さはずいぶんと違ってくる。多少の意識変革さえ厭わなければ、英語本来の音が自然と自分に染みついて、リスニングで苦労することも、不明瞭な発音で相手に聞き返されることもなくなる。 つまるところ、カナ縛り発音を自分の能力開発への障壁とみて克服するか、神聖不可侵なアイデンティティの一部とみて死守するか、が問われているのである。人によって答は違うだろうし、それはその人の自由だ。僕自身はカナ縛りを脱却することで得られるものが大きいと思うので、そう主張しているだけの話である。 さて、話を戻そう。発音命令セットの中に発声を阻害するカナ縛り要因が含まれているとしたら、その命令さえ排除してしまえば発声には悪影響が及ばなくなり、問題は解決するはずだ。 すなわち、母音や子音を発音するときに、発音命令セットに「声帯もどき」出動命令が含まれていないか絶えず監視し、見つかったらすぐにその命令のみキャンセルすればよい。そして最終的には、「声帯もどき」フリーの発音命令セットを確立してデフォルト化することを目標にすればよい。 その第一歩は、「声帯もどき」監視システムを設置することだ。 ファイバースコープをのどに挿入しておいて、常に声帯もどきが引っ込んだままになっているよう監視できれば一番確実なのだが、残念ながらあまり実用的なアイデアではない。 次善の策として考えられるのは、自分の体の一部を「声帯もどきセンサー」として使うことだ。 それにはまず、体のどの部分が声帯もどきセンサーにふさわしいかを見きわめる必要がある。 やり方は簡単で、声帯もどきが一番顕著に張り出した状態と、一番引っ込んだ状態を人為的に作り、両方を比べて体のどこにどんな違いが表れるかを観察すればいいのだ。 声帯もどきが目一杯張り出した状態の好例は、冷たいビールをくっと飲んで「あ”~!」という満足げな息混じりの声を出すときだ。 一方、声帯もどきが引っ込んだ状態の分かりやすい例は、あくびをしたときである。ただし、あくびというのは結構複雑な命令セットなので、声帯もどきを引っ込める以外にもいろんな動作が混じっている。特にこの実験では、息を吸わずにあくびをする状態を作ってみてほしい。できるようになったら、今度は息を吐きながらあくびの動作をしてみよう。これを「吐息あくび」と僕は名付けている。これをやると、首の内部がかなり開いているのが実感できるはずだ。特に両耳の内側あたりまで空間が広がる感じがすると思う。これこそ、声帯もどきが引っ込んでいる証拠だ。なお、吐息あくびのときに口はあまり大きくあけ過ぎないほうがいい。でないと邪魔な命令が混じってしまって、効果が不明確になるからだ。 合唱のボイストレーナーの中にも「ポイントはあくびだ」と説く人は何人かいたが、どうも僕にはピンとこなかった。しかしこうして「あくび命令セット」の中身を分析し、必要な要素だけを抽出してみると、初めて合点がいった。(ボイストレーナー諸氏ももう少し知恵を絞って教えてくれればよかったのに。研究不足もいいところだと思う。) さて次に、冷たいビールののどごしを味わった直後の「あ”~!」と、上述した吐息あくびとを、交互に繰り返してみてほしい。 のどの動きだけでなく、口蓋の後方上部の動きにも注目しよう。 僕がやってみた感覚でいうと、「あ”~!」のときにはのどぼとけが後ろから(というかのどの中から)前へちょっと押されるような感じがする。それに対し、吐息あくびのときには両耳の付け根あたりがやや後ろに引かれるような感覚があり、のどぼとけはニュートラルだ。 前に述べたように、おそらく声帯もどきの出入りを支配しているのは「披裂軟骨」と呼ばれる一対の軟骨だと思われる。これがおもちゃの水飲み鳥みたいに前へ頭を振った状態が、声帯もどきが出張っている状態だ。このときは、たぶん水飲み鳥の頭付近とのどぼとけをつなぐ筋肉が収縮しているに違いない。 これに対し、声帯もどきを後ろに引っ込めるときには、水飲み鳥の頭付近と両耳の付け根あたりをつなぐ別の筋肉が収縮すると考えられる。 とすれば、声帯もどきを引っ込めたままにするためには、1)のどぼとけ付近とつながる筋肉を弛緩させておく、2)耳の付け根あたりとつながる筋肉を収縮させる、の2点を実行する必要がある。 これで声帯もどきセンサーの候補が決まった。1つはのどぼとけ付近の筋肉だ。このあたりに少しでも緊張を感じるようなら、それは声帯もどきが出動しているというサインだと思ってよい。 もう1つのセンサーは、両耳の付け根付近の筋肉だ。こちらはのどぼとけとは逆に、多少緊張していないと声帯もどきがそろりと出動しかねない。あくびをするときくらいの緊張感がこの部分にないときは要注意、というわけだ。 これで「声帯もどき」監視システムができあがった。次はいよいよこの監視システムを使って、母音や子音の発音命令セットから声帯もどき出動命令を排除する番だ。少し長くなったので、これは次回に譲ろう。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「脱のど声・脱のど発声」へ

前回は「声帯もどき」をアクティブに封じ込める方法について述べたが、ちょっと補足しておこう。 合唱をやっていると感じるのだが、おそらく日本のアマチュア合唱団の男声は9割以上の人がこの「声帯もどき」(披裂喉頭蓋ひだ)を声帯の上に張り出しながら歌っているように思う。要するに、のど声なのである。中には、自分では声帯をビンビン鳴り響かせているつもりの人も多いようだ。ところが、実際には声帯が「声帯もどき」でブロックされているので、クラシックの声楽としてはNGの声になってしまう。確かに、のど発声で歌えばのどにかなり強い振動が感じられるし、そうした心地よい手応えも手伝って、自分の耳には声が響いているように聞こえるので、ますます自分ではのど発声に自信を持ってしまうのかもしれない。しかし客観的に聞くと、その種の声はデメリットが大きく、場合によってはレッドカードものなのである。 日本人の英語学習者の大半がのどに頼った声で発音してしまうのも、多分これと同じ日本人的な習性のなせるわざだろう。とすれば、のど発声を捨てて、のどを意識しない発声(脱のど発声)を目指すべきだ。 のど発声というのは声帯の上に膜(声帯もどき・披裂喉頭蓋ひだ)を張り出し、声帯を半分以上覆い隠してしまう、かなり非効率的な発声法だと思う(前回・前々回を参照)。そうやって出す声は、実は自分で思っているほど張りがあるわけではない。自分のすぐ近くでは大きく聞こえても、少し離れると音のエネルギーが急激に減衰してしまう。要するに、声の通りがよくないのである。なぜなら、のど発声では声の振動の大半が「声帯もどき」の膜にまともにぶつかって、これを揺らすことにのみ精力が費やされてしまうからだ。そのため、自分の感覚ではのどがビンビン鳴り響いているように思えるのだが、それは局所的な振動に過ぎず、のどで声を出そうとすればするほど実際の声のエネルギーは失われていく。要するに、のど発声というのは声帯の上に膜をかぶせて弱音器を付けているようなものなのだ。 この「声帯もどき」をまったくしゃしゃり出させず、声帯の上が完全に吹き抜け状態になったままオープンに声を出せるようになると、共鳴が耳の後ろや後頭部で体感でき、響きもまったく異質でパワフルになるし、のどの振動は皆無になる。(これは、手っ取り早くのど発声かそうでないかを見きわめる目安となる。もしあなたが発声時に後頭部ではなくのどに大きな振動を感じているようなら、それはのど発声から脱却できていない証拠だ。その声は「のど声」と思ってまず間違いない。) のど発声の最大の難点は、自分では声帯を振動させて声を大きく増幅しているつもりなのに、実際は「声帯もどき」に声のエネルギーを吸収させているに過ぎない、という点である。この悪の連鎖を断ち切るには、「自分が鳴らしているつもりだったのは実は声帯ではなく『声帯もどき』で、これは発音器官ではなく弱音器だ」という気づきが絶対に必要となる。一見すると自分の体感とはまったく矛盾するこの事実に気づかない限り、無理のない伸びやかな発声には決して到達できない。残念ながら、日本のアマチュア合唱団員の中にはこの悪の連鎖にとらわれたままの人がきわめて多いようだ。日本人の英語学習者もこれと同様で、のど声でしか英語を発音できない人が大半を占める。その原因は、日本語の一般的な発声に起因している、と僕は見ている。日本語のノリではっきり発音しようとすればするほど「声帯もどき」がのさばってきて、声帯を膜で覆ってしまうからだ。 だからこそ「声帯もどき」をアクティブに封じ込める工夫が必要なのだ。 ちょっと方法論的な話になるが、前回のように発声の仕組みについて仮説を立ててモデル化し、自分の体にそのモデルを投影して、実際の声をよりよくコントロールできるかどうかを検証する、というプロセスはきわめて重要だと思う。 たぶん僕たちはみんな、実際には何らかの発声モデルを頭に描いていて、無意識のうちにそれに従って声を出したり発音したりしているのだと思う。その固定観念化した発声モデルを、無意識のレベルから目覚めさせることができれば、よりよい発声モデルへと改良する方法も自然と見えてくるのではないだろうか。 僕が以前から引き合いに出している「カナ縛り」という概念は、日本人の間で固定観念化しているこの発声モデルへの気づきをうながすために僕が考案したものだ。自分の発声モデルがどれだけ既成の日本語発声モデルに強く支配されているかをしっかりと見きわめておかないと、そこから逃れてより伸びやかな声を得ることは難しいからだ。 英語の発音に適した発声モデルを追求するためには、同時に日本語的な発声モデルについても振り返って分析する必要がある。そして、両者の決定的な違いに迫るにつれて、よりオーセンティックな英語発音が得られるだけでなく、日本語の発音にもよい影響が及ぶに違いない。カナ縛りを脱却することができれば、のど声ではないのに明瞭で聞きやすく、しかも心をなごませるような日本語の発音を手に入れることもできるに違いない。 その意味で、上述した「声帯もどき」を引っ込めたまま封じ込める発声モデルは、「カナ縛り」発声モデルを無効化して、日本語の発音に革命的な変化を導く役割を果たす可能性が高い。英語発音を改善するために探り当てたこの新しい発声モデルは、実は日本語の発音をも進化させるポテンシャルを持っているのではないか、と僕は見ている。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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さらば「声帯もどき」

声帯の上に天幕かひさしのように張り出して声を遮るひだ(披裂喉頭蓋ひだ)については、前回ビデオその他で紹介した。もうお分かりのとおり、この「声帯もどき」こそがまさに正しい発声の大敵なのである。ところが困ったことに、日本語を話すときにはこの声帯もどきをせり出させることが必須であるかのように思われている。「はっきり日本語を発音すること」=「声帯もどきを出動させること」、という誤った先入観が、大多数の日本人の無意識領域に根強く定着してしまっているのだ、と僕は見ている。 実は、声帯もどきを動員しなくても日本語をはっきり発音することは可能なのだが、幼少期に覚えて使い慣れた声帯もどき発声(のど発声)から脱却することは、マインドコントロールを解くことと同じで、かなり困難をきわめると覚悟したほうがいい。逆に、そうした覚悟さえあれば、必ず脱却できるのである。(のど発声のマインドコントロールにかかっている人は、ここまで読んだ時点ですでに思考をストップし、新情報をブロックするモードに入っているかもしれない。自分だけは絶対オレオレ詐欺にかからない、と思い込んだまま息子を名乗る誰かに数百万円を振り込んでしまうお年寄りみたいにならないよう、ぜひオープンマインドで…というか自分の独善を疑う気持ちを忘れずに…発声を見つめ直してみてほしい。) それにしても、声帯の上に声帯もどきのひだが突然出てきて膜を張るさまは、何度見てもびっくりする。何よりその変わり身の速さが面白い。いったいどこからこの膜が出てくるのかと皆さんも不思議に思うのではないだろうか。 この様子を見ていて、あるものを思い出した。ゴクラクチョウの1種が、求愛ダンスで羽根を広げてみせるシーンだ。 ゴクラクチョウの仲間には、ほかにも求愛時にいろいろと面白い変身をやってみせるものがあるらしい。本来は飛ぶためにある翼を、この鳥たちは求愛の儀式用に変化させていったのだ、という説明が同シリーズの別のビデオでなされている。 考えてみると僕たち日本人もゴクラクチョウと同じように、特定の器官(声帯の上部のひだ)を本来の目的とは違う用途に使うよう進化させてきたのかもしれない。もしかしたら、声帯をそうやって覆い隠すようにして出す声が日本人の異性に好まれるので、求愛のために声帯もどきやのど声を発達させたのだろうか? ま、それはさておくとして、声帯をひさしで覆ってしまう日本的なのど発声は、英語やクラシック声楽の観点からは悪癖とみなしうる。だから、できればそうでない発声も身に付けておいて損はないはずである。少なくとも、そうしたほうが「声の文化」に対する理解ははるかに深まるに違いない。 日本語をしゃべるとき、おそらくほとんどの人は無意識にこの声帯もどき(披裂喉頭蓋ひだ)をパッとせり出させて、声帯の上にひさしを作っている。少なくとも僕は、これまでの観察や体験を通じてそう確信するに至った。で、とりあえずこの仮説に基づき、発声を改善する方法を考えてみた。具体的にやったのは、声帯にひさしをかけないよう訓練することである。 いろんな角度からこれを実践してみたが、結果はきわめて良好のようだ。参加しているコーラスでも声の伸びがずいぶんよくなってきたし、英語朗読でもかなりサウンドに手応えが感じられる。たぶん僕自身、無意識のうちに声帯にひさしをかけていた部分があったのだろう。それをすっきり取り払おうとすることで、より自分本来のナチュラルな発声に近づいたのではないかと思う。まだまだ改善の余地はあるが、前に比べて一歩前進したと思うと素直にうれしい。 僕の試してみた工夫を簡単に説明しておこう。 前回述べたとおり、のどで何かしようとしないことは大前提だ。のどを意識的に操作しようとすると、かえって声帯もどきがでしゃばる結果になるからである。 しかし、「何もしない」だけという消極的なアプローチでは、ブレークスルーは得にくい。そこでもう少し積極的な工夫が必要となる。 で、こう考えてみた。 もし僕が想像するとおり鼻腔弁が声帯を模したような形になっていて、声帯のコントロールセンターとしてのどではなく鼻腔の奥あたりで機能するとしたら、「声帯もどきのコントロールセンター」はそのさらに奥の、高さとしては鼻腔弁よりやや上のあたりにあるように意識されるのではないか、と。つまり、両コントロールセンターの位置関係は、実際の声帯と声帯もどきの位置関係と同じだと仮定するのである。 声帯もどきをせり出させる動きは、のどを狭める動きと連動しているように思う。しかし、逆にこれを積極的に引っ込めたままにしておく動作は、のどをリラックスさせるだけでは十分にコントロールできない(この結論に至るまでにはずいぶん試行錯誤を重ねた)。だとすれば、声帯もどき格納用の別のコントロールセンターがあってもおかしくない。そして、声帯と鼻腔弁の相似性を思い起こせば、声帯もどき格納用のコントロールセンターは第二の声帯(鼻腔弁)の後ろ上方にある、と考えるのが自然であろう。 こうして実験の目標が定まった。まず鼻腔弁の後ろ上方(両耳の間かそのやや後ろの後頭部付近だろうか)に、これを水平に囲む弓なりないし馬蹄形の物体があると想像してみる。これが、声帯もどき(披裂喉頭蓋ひだ)の格納されている状態を意識に投影したものだと考えてほしい(鼻腔弁が声帯を意識に投影した虚像であるのと同じ図式だ)。 便宜上、この声帯もどきの虚像を「鼻腔弁テント」と呼ぶことにする。もしこのテントが全開して張り出すと、鼻腔弁の上部をほぼ完全に覆う形になる。今やろうとしているのは、このテントを常時引っ込めたままにしておくことである。これによって、実際の声帯もどきも連動して引っ込んだままになるのではないか、というのが基本的な考え方だ。 さて、次に声を出してみるのだが、ここからはもっぱら鼻腔弁と鼻腔弁テントのほうだけを意識するようにし、声帯や声帯もどきからは意識を逸らす(要するにのどを意識しない、ということだ)。 鼻腔弁の左右の膜が中央で合わさって声を作る部分は、なるべくきれいに前後に伸びる細い直線を形づくるよう意識する。そして、鼻腔弁の左右の膜はできるだけ広く左右にストレッチさせるよう意識しながら声を出す。ここまでは今まで僕がやってきたとおりだ。 そこに、新しい動作を付け加えてみる。つまり、鼻腔弁テントを後ろに引っ込めて馬蹄形に格納し、その形を保つことだ。そして声を出すときにはあたかも弓を引くように、この馬蹄形をさらに後ろに広げるようにイメージしてみる。 こうすると、鼻腔弁の上部の空間には何も邪魔するものがなくなる。開閉式ドームの天井を開放したような状態だ。あるいは、それ以上にドームの天井を広げる力を加えるような感じである。 このコントロールがうまくいくと、実際の声帯の側でもそれと呼応した動きが起きる。つまり、声帯もどきはまったく出動しなくなり、声帯の振動が遮られることなくストレートに上って出て行くのだ。 そして、体感的には鼻腔弁がしっかりと鳴るし、鼻腔弁テントは引っ込んだままになって、響きが頭全体を満たすように感じられる。特に後頭部の付近(馬蹄形の奥の内側)に、かつて未体験の強烈な響きが鳴り渡る。歌声ならばこの響きこそが真のフォルテだ。この異次元の響きを体験したら、さらにこれを育てていろんな母音・子音と組み合わせ、強弱自在に使いこなせるよう工夫を重ねるとよい。それが次なる目標だ。 僕はこの実験を重ねてみて、まさにブレークスルー的な声の変化が起きることを実感した。皆さんにもぜひお勧めしたい。 おそらく、鼻腔弁をしっかりならすことと、鼻腔弁テントを後方に格納し続けること、この2点が正しい発声の2大要素なのではないかと思う。日本語のカナ縛り発声(のど発声)は、その両方の点で理想的な発声とは大きくかけ離れているのである。 くり返しいうが、意識をのどではなく鼻腔や後頭部のほうに置いて間接的に声帯と声帯もどきをコントロールすることが、正しい発声への近道だ。「のど」は意識からかき消してしまうことが本当に大切なのである。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「のど発声」の正体を見た!

ウィキペディアで「声帯」をサーチしてみると(http://ja.wikipedia.org/wiki/声帯)、右上部に声帯の解剖図が出ていて、その下に「呼吸時と声を発しているときの声帯」という図が載っている。 ネットでいろいろ声帯の画像を検索しても、だいたい似たような図が出てくる。だから僕も、声帯はたぶんそんなふうに見えるんだろうと想像していた。 ところが、だ。 ファイバースコープで声帯を観察したあるビデオ画像を見て、驚いてしまった。(大阪医科大学の耳鼻咽喉科学教室ホームページに掲載されているもの。9秒目から12秒目ぐらいが重要なポイントだ。) 一部をキャプチャしたので、特に発声時の画像を上と見比べてほしい。(比較のため、キャプチャ画像は上下反転してある) 呼吸時(左)のほうはだいたい上の図と同じだが、大きく違うのは発声時(右)だ。ビデオのキャプチャ画像では、下唇みたいに見える部分が上にせり上がって、声帯の本体をほとんど覆い隠してしまっているのがわかる。(ビデオでも同じ様子が見てとれる。ただしビデオは上下が逆になっているので注意。写真はいずれも上が首の前方になるよう180度回転してある。) ただ単に呼吸しているときは、この「下唇」はウィキペディアの図と同じ位置にある。ところが発声しているときは、「下唇」がでしゃばってきて声帯を覆い隠すのだ。 なぜこれが僕の興味をひいたかというと、日本人に多い「のど声」はおそらくこうして生まれるのではないか、とひらめいたからだ。(ちなみにこのビデオの被験者はたぶん日本人女性。) 無理なく発声している場合は、声帯はウィキペディアの図のように2本の弦がぴったりと閉じ、弦の上から下まではっきり見える。(スウェーデン人?の上手な歌手4人[ソプラノ/アルト/テノール/バス]が4声の合唱曲を歌いながら、ファイバースコープでリアルタイム観察したそれぞれの声帯を並べて見せているYouTubeビデオがあるが、どの歌手の声帯を見ても、ほぼ全体がしっかり見える状態のまま歌っている。ちなみにこのビデオでは上下が最初に示した写真と逆になっているので注意。) ところが日本的なのど声で発声すると、「下唇」部分が声帯の弦に覆いかぶさるように張り出してきて、声の出口を塞ぐ格好になる。少なくとも、最初のビデオはそうした現象をはっきりとらえている。ちなみにこの「下唇」部分は、「披裂喉頭蓋(ひれつこうとうがい)ひだ」と呼ばれている。 以下のサイトにも同様の図や写真がある(ふかさわ耳鼻咽喉科医院HP)。このサイトにある発声時(上から3番目)の写真を見ると、やはり「披裂喉頭蓋ひだ」がぐっとせり上がって、声帯をほとんど覆い隠してしまっているのがわかる。ウィキペディア等の図とは大違いだ。本来は声帯を塞ぐものがあってはならないはずなのに、どうも日本人が発声する際には、この「披裂喉頭蓋ひだ」が出張ってきて声帯を覆うのがデフォルトになっているようだ。 しゃべるときにこうして「披裂喉頭蓋ひだ」を使って気道を狭めてしまうことが、日本人の「のど声」の大きな原因ではないだろうか。日本語の発音と連動してのどが締まってしまうこの現象こそ、僕の用語でいう「カナ縛り」なのだ。 最初に挙げたビデオをよく見てみると、「披裂喉頭蓋ひだ」が出っ張ってくるときの動きが面白い。「披裂喉頭蓋ひだ」(ビデオでは写真と逆に上唇の位置にある)は、あたかも左右の腕を上げて頭上でアーチ型に手を組んだような形をしている。それが次の瞬間には、手を組んだまま両腕をぐっと前に突き出して、両肘をくっつけるように動くのだ。そして声帯はほとんど両腕の後ろに隠れて見えなくなる。(* 注1) こうして声帯を覆い隠してしまうと、声帯から出た音の流れが阻害されるので、声量も声質も損われる。この動きは、正統的な発声を追求する上では邪魔者でしかない。本来なら最初に挙げたウィキペディアの図のように、声帯全体が障害物なく見えるような形で発声するのが筋だろう。 では、日本人が発声しようとするとなぜ「披裂喉頭蓋ひだ」が出張ってきて邪魔するのだろうか。 ここからは前回の仮説の続きになる(仮説の内容については前回や前々回を参照してほしい)。 日本人の多くは、声帯を鼻腔弁でコントロールする術をよく知らないので、声を出す際にはのどで操作しようとする。ところが声帯につながる神経は、いくらのどを操作しようとしても動いてくれない。鼻腔弁のあたりに声帯のコントロールセンターがあることに気づかない限り、うまくいくはずがないのだ。それでもなんとかのどで声を出そうと模索した結果、のどへの指令に比較的反応しやすい「披裂喉頭蓋ひだ」を動かす術を見つけ出したのではないだろうか。 この部分を閉じると声帯もこれに引きずられて曲がりなりに閉じるので、ここさえ操れば声が出せるかのように自分では感じるのかもしれない。そのバイオフィードバックが次第に強化されていったのだろう、と僕は想像している。実際は声帯そのものをコントロールしているのではなく、「披裂喉頭蓋ひだ」を介した間接的な操作の色合いが濃い。そしてついには、日本語の五十音の発音を構成する要素として「披裂喉頭蓋ひだ」を使うことが当然視されるようになった。カナ縛りが日本語発声法と同化してきた背景には、おそらく何かこのような事情があったのに違いない。 「披裂喉頭蓋ひだ」の動きを見ればわかるように、この部分を閉じた状態は声帯を模したような形に見えなくもない。のどで声帯を操作しているかのような感覚が生まれるのは、この相似性にも起因しているのかもしれない。ところが実際は、「披裂喉頭蓋ひだ」を操作すると声帯が覆い隠されてしまい、声帯本来の機能を阻害するだけなのである。この誤解に気づけば、のどで声を操作しようとすることがいかに無意味で有害かがわかるはずだ(少なくとも声楽的にはね)。 要するに、日本人がのどを使ってコントロールしていると思っている部分は実は声帯ではなくて、「披裂喉頭蓋ひだ」という「声帯もどき」なのではないか。 僕たちがふだん声帯をコントロールしているつもりでのどに力を入れているのは、実は似て非なる「披裂喉頭蓋ひだ」を出動させているだけなのだろう。この部分は、本来であれば何もしないでおくべきなのだ。それこそが正しい発声への近道となる。声楽で「のどに力を入れるな」「のどで発声するのではない」と口をすっぱくして言われる理由も、まさにそこにある。 声帯のコントロールは鼻腔弁で行い、のどでは何もコントロールしないのが正解なのだ。少なくとも声楽や英語の世界ではそうである。 のどで何かやるとすれば、今まで僕たちがのどでコントロールしていた「披裂喉頭蓋ひだ」を、おとなしく引っ込めたままにすることぐらいだろう。これは「のどで声を出す」という意識が残っていては絶対にできない。「声はのどで出すのではない」と自分に強く何度も言い聞かせて、はじめて可能になるのである。日本人にとってカナ縛りはきわめて支配力が強いので、「『のど発声』はクセ声だ」と自己暗示をかけ続けなければ、その呪縛は容易には解けないだろう。 カナ縛りを解いてのど声を退治するには、ほっておくとすぐ出張ってくる「披裂喉頭蓋ひだ」を檻に戻してやる必要がある。日本人の大半は、この檻の蓋を開け放したままなのだ。野獣の檻を封印し、声を声帯からストレートに口や鼻に向かわせることができれば、声楽や英語の発声課題はもう8割方解決したようなものだ。 注1:この「披裂喉頭蓋ひだ」の出動を主導していると思われるのが、ひだの粘膜中に埋め込まれている一対の「小角軟骨」と呼ばれる突起だ。 http://www.anatomy.med.keio.ac.jp/funatoka/anatomy/Rauber-Kopsch/band2/II-185.html この図で、上にある一対の三角餃子みたいな骨[披裂軟骨]の先端、くちばし状のとがった部分が小角軟骨である。その根元にあたる披裂軟骨は、付随する筋肉とともに声帯の開き加減をコントロールする役目を担っている(具体的には、声帯につながっている底部の突起を水平方向に回転したり、互いに接近させたりすることで声帯の開きを調節するのが本来の働きだ)。 したがって本来なら、声帯から離れた位置にある「小角軟骨」は何もせずに声帯の動きを見守っているべきなのだが、上記のビデオ等でみる限り、この部分が日本人の発声時には前に動いて「披裂喉頭蓋ひだ」をせり出させるようだ。この「小角軟骨」の動きは、披裂軟骨にも声楽的な発声時とは違った「前後方向の回転運動」を強いる。したがって声帯の動きも本来とは異なる制約を受けることになり、発声に無理が出てくると考えられる。 とすれば、披裂軟骨を前後に回転させないことが「のど声」を防ぐ一つの方法かもしれない。僕たちがのど声を出すときには、のどに力を入れて披裂軟骨を前に回転させているので、先端の小角軟骨が前にせり出して、披裂喉頭蓋ひだが声帯の上にテントのように張り出す…そう考えると実態とうまく合致する。日本人はこの動きと発声・発音をバンドルして五十音として覚えているので(カナ縛り)、このリンクを解除してやらないかぎりリラックスした発声はできない。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「頭声」というフィクション

声楽ではよく「声を頭に響かせろ」とか「頭声(ヘッドボイス)を使え」などと言われる。のどに力を入れず、頭の中に音を共鳴させろ、という意味合いだ。実際、この頭声をよく理解して使いこなせるかどうかで声の質には雲泥の差が出てくる。そもそも高い音は頭声を使わなければ出せっこないのだ。出せても、けものの断末魔のような聞くに堪えない声にしかならないし、出している本人も必死の形相になる。 いわゆる地声や胸声などといわれるものは、しょせんはのど声に過ぎない。頭声というのはこれとは次元の違う、まったく別の発声から生まれる声なのだ。ちゃんとしたバスやバリトンの歌手は(もちろん女性アルト歌手も)、基本的に最低音までぜんぶ一種の頭声で歌っている。 地声と頭声の違いは、歌声を聴いてみれば誰にでもはっきりわかる。頭声のほうは高い声まで楽々とのびやかに響くのに対し、地声は一見力強いようだがしなやかさに欠け、高い音域は頭打ちでつらそうに聞こえる。小田和正が頭声、スマップやMr. Childrenが地声、といえばわかりやすいだろう。 そして、英語の音声も実は頭声を使うのが基本なのだ。だから、地声(胸声)を主体とする日本語に比べて異質な音声に聞こえるのも無理はない。 ただ、この頭声という概念はなかなか実感として把握しにくい、というのも事実だ。 なにしろ、頭の中にはそんなに音の響く空洞があるわけではない。落語の林家木久扇師匠じゃあるまいし、脳ミソが空っぽな人はそういないのだ。現実には頭にはスイカみたいに水分が詰まっていて、音が共鳴するような造りにはそもそもなっていない。なのに「頭に響かせる」という教えが声楽を中心として脈々と受け継がれているのはどうしてか。 おそらく頭声というのは、理想的な発声に近づくために生み出されたフィクションなのだろう。昔の声楽家たちが、発声テクニックを弟子に伝授しようとしていろいろ自分たちのやり方を言葉にしようと試み、その結果いちばん通じやすかったのが、「頭に音を響かせる」という言い方だったのではないだろうか。それが年月を経るうちに一種の神話というかレジェンド的な地位を獲得したものと考えられる。 もちろん実際には頭に音が響いたりはしない。しかし、そう教えることによって、頭の中になにか声をよくする仕掛けがあるのだ、ということだけは弟子に伝わる。そこで弟子たちは苦労を重ねながら、各自で頭の中に潜む発声メカニズムを探りあてていく、という図式だ。声楽を志すだれもが、「頭声」というフィクションの提示を受けて、ほんとうの発声のヒミツを解明しようと試みるのである。ある意味きわめてまだるっこしい非効率的なやり方ではあるが、これが曲がりなりに成功を収めていることも確かだ。 でも、もっと気づきの効率を高めるべきだと僕は思う。「頭声」というフィクションは確かに有用な面もあるし、少なくとも声楽家の業界では広く受け入れられているが、やはりストレートには納得しにくい概念だ。それに、何より習得に時間がかかりすぎる。日本人の英語発音・発声を変革するには、もう少しこの概念を分かりやすくしなければまずい。技術伝承の手段としてフィクションを使うのであれば、もっと別のフィクションを考え出したほうがいいのではないか。 そこで考えた末に僕が行き着いた1つの答が、「声帯は頭の中にある」というフィクションだ。ほんとうは声帯はのどにあるのだが、これがあたかも頭の中にあるかのように意識しつつこれをコントロールすると、声帯がそれにうまく応えてくれる、という意味である。僕たちの声帯は、これを支配する反回神経の配線がきわめて特異なせいで(詳しくは前回を参照)、その位置認識(位置覚)に先天的な狂いが生じているのだ、と僕は考えている。だとしたら、その狂いさえ意識的に補正してやれば、より的確な声帯のコントロールが可能になる。その補正手段というか方便として僕が提唱しているのが、第二の声帯ともいうべき「鼻腔弁」なる架空の器官なのだ。つまり、声帯を制御しようとする指令をのどに向けるのではなく、上咽頭から鼻腔にかけてのエリアに声帯の「生き霊」みたいなもの(すなわち鼻腔弁)があるとイメージして、ここを操作してやればよいのだ。 従来の「頭声」というフィクションは、あくまで「声が共鳴する場」を頭の中に求める考え方なので、発声の大元たる声帯はやはりのどだという意識が抜けきれない。したがってのどに頼る構図を覆すには至らないことが多い。 これに対し「鼻腔弁」というフィクションは、声帯そのものが頭の内部にあるかのように意識してこれを制御しようという概念なので、意識は完全にのどから離れる。ここが最大のメリットだ。しかも僕の体験からいえば、声帯のコントロールが別次元のように容易になり、声が楽々と出るようになる。要するに、頭声のいいところだけを盗み食いできてしまうのである。 「のどで出した声を頭で共鳴させる」という従来の頭声の概念に比べ、「声帯そのものが頭の中にあるかのように発声する」という新しい頭声の概念は、同じフィクションとはいえ天動説と地動説ぐらいの違いがある。いわば「発声のコペルニクス的転換」なのだ。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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声帯の「欺き」

ここ2回ほどにわたって、「鼻腔弁」(びくうべん)と命名した部位を紹介してきた(詳しくは前のエントリーを参照してほしい)。その後、僕自身この箇所の開閉を意識しながら声を出す実験をいろいろと重ねてみたが、やはりその効果は絶大のようだ。 あたかもその場所に、じかに声帯が備わっているように感じられるのだ。 鼻腔弁を開閉すると、それに呼応するかのように声帯が開閉するのである。そのため、まるで鼻腔弁で発声しているような錯覚すら持ってしまう。今までなかったほどダイレクトに声帯をコントロールしている、という手応えがあるのだ。 僕は以前この近辺の部位について「第二の声帯」あるいは「発声ポイント」といった呼び方をしてきたが、それは当を得ていたように思う。 欧米人の歌手の中には、発声練習として猫の鳴き声のような「ニャニャニャニャニャー」という声を出す人が結構いる。ベット・ミドラーがある映画で発声練習するシーンでもこれを使っていた。なんでそんなことをするのか以前は不思議に思っていたが、これはまさに鼻腔弁を絞り込む練習だったのだ。こうして鼻腔弁を絞り込むことで、声帯が一番効率よく機能する状態を自分で再確認できるのである。 しかし、声が鼻腔弁の周辺で共鳴を得て増幅される効果はあるにせよ、ここで空気振動が始まるわけではない。あくまで声帯はのどぼとけのあたりにあるはずなのに、この鼻腔弁があたかも声帯そのもののように感じられるのは、いったいなぜなのだろうか? 声帯の物理的な位置と体感的な位置にこうしたギャップがあることが、どうも不思議だった。 で、いろいろと考えてみた。 もしかしたら、鼻腔弁のあたりをコントロールすると、声帯も一緒にコントロールされるのかもしれない。つまり、鼻腔弁が声帯のリモコンあるいはコクピットみたいに機能しているのではないか。 理屈の上ではこの仮説で十分に説明がつくし、体感的にも納得できる。要するに、鼻腔弁が「声帯のツボ」的な役割を担っていて、ここを刺激すると声帯がしかるべく機能してくれる、というイメージだ(この「声帯のツボ」という考え方は、以前にもここでご紹介したかと思う)。 だとすれば、鼻腔弁の付近と声帯をつないでいる神経があるのではないか。それを確かめるには、脳から鼻腔や上咽頭や声帯につながる神経の経路をたどってみればいい。 そこで手っ取り早くネットで調べてみたら…残念ながら、はずれだった。神経図をいくつか見てみたが、鼻腔・上咽頭付近と声帯の間には、直接的な神経のつながりが存在しないのだ。 しかし思わぬ収穫があった。声帯をコントロールしている神経が、実に興味深い特性を持っていることがわかったのだ。 その神経の名は「反回神経」。僕の造語ではなく、れっきとした医学用語だ。迷走神経と呼ばれるグループに属する脳神経である。この神経がなぜ興味深いかというと、声帯を動かすための神経なのに、脳から直接声帯に伸びるのではなく、まず首に下りてきてから声帯の脇をいったん素通りし、わざわざ鎖骨の後ろや心臓の大動脈弓をくぐってから再び首に戻って(すなわち反回して)、はじめて声帯につながるのである。 次のYouTubeビデオが参考になると思う。 反回神経麻痺/ミルメディカル 家庭の医学動画版 – YouTube 声帯を駆動するこの反回神経は、なぜか非常に遠回りした挙げ句に声帯に戻ってくるのだ。 そこで考えた。反回神経がこれだけ遠回りしているとしたら、僕たちが考えている声帯の位置と、脳が認識する声帯の位置とが大きくずれている可能性もあるのではないか、と。 声帯はのどぼとけの奥にある。しかし僕たちの脳は、声帯が実際とはまったく違う位置にあるように錯覚しているかもしれないのだ。その錯覚上の声帯の位置こそが鼻腔弁ではないか、というのが僕の仮説である。いわば声帯の蜃気楼のようなものだ(「まぼろし声帯」あるいは「ファントム声帯」なんていう名前で呼んでみても面白いかもしれない)。 実をいうと、そもそも「鼻腔弁」なる器官が存在するというはっきりした証拠はなく、むしろ多分に架空の存在としての要素が強い。しかし、だとしても鼻腔弁の有用性が損なわれるわけではない。たとえ架空の存在でも、認識上は実在しているように機能するのであれば、それは存在しているのと変わらないからだ。ちょっとパラドックス的だけどね。(仮に鼻腔弁そのものが神経の錯覚の産物だったとしても、それを操ることでうまく発声できるとしたら、それを使わない手はない。そう考えてみると、実在とフィクションの区別は結構あいまいかもしれない。) ちょっと話を戻そう。反回神経というやつは、迷走神経という神経系統から枝分かれしたものなのだが、同じ迷走神経の根元近くでは、咽頭や喉頭の筋肉を動かす神経も分岐している。反回神経は、迷走神経が胸のほうまで伸びた後にはじめて分岐し、方向を変えて声帯に戻ってくる(ちなみに迷走神経はその後、内臓にまで伸びてこれを支配する)。そのくらい配線が込み入っているとすると、もしかしたら声帯が喉頭や咽頭よりも上にあるかのように、逆転して脳に認識されていることもあり得るのではないだろうか。たとえば、もともとは咽頭を制御する神経よりも上にあった神経が、進化の過程で次第に反回神経として伸びていって声帯を司るようになったのだとしたら、体感として声帯が鼻腔弁付近にあるように感じられても不思議はないはずである。 以上はあくまで僕の仮説だが、実際的にはそう考えると納得のいく面があることも確かだ。 少なくとも、発声器官のうち声帯につながる神経だけが異常に遠回りした配線となっているという事実は、発声のあり方に重大な影響を与えているに違いない。声帯の実際の位置と、神経配置からくる位置認識(正式には位置覚というらしい)のギャップが、何らかの形で僕たちを欺いている可能性が高いのだ。その欺きに気づいた人の中から、たとえば声楽家として超人的な声を操れるような人たちが生まれているのではないか、と僕は考えている。 日本語と英語の関係にこの仮説を当てはめるなら、おそらく英語(および類似の言語)の発達してきた環境では、「鼻腔弁の付近で声帯を操れる」という知覚が本能的に共有されてきたのではないだろうか。その大きな要因として、英語系の言語では鼻腔の響きがごくふつうに用いられていることが挙げられる(反論される向きもあるだろうが、日本語と比較すればこうした言語のほうが鼻腔を多用することは紛れもない事実だ)。だから、こうした言語をしゃべる人はもともと鼻腔を使うことに比較的抵抗がなかった。したがって彼らは、発話プロセスの一部分として、鼻腔弁の効果的な使い方を自然と身に付ける機会に恵まれていた、と考えられる。 これに対し、鼻腔をほとんど使わない日本語などの発達過程では、鼻腔弁による声帯のコントロールが可能だと気づく機会がはるかに少ない。その結果、「声はのどから出るのだから、のどさえ鍛えればいい声になる」という考え方が支配的になったと推測される。この「のど支配」の考え方は一見理にかなっているようだが、結果的には僕たち日本人が声帯の「欺き」に気づくチャンスを薄れさせた、と僕は見ている。 もちろん日本語でも声帯は使われているので、必ずしも鼻腔弁を意識しなくても声帯を曲がりなりにコントロールできることは間違いないが、問題はコントロールの質だ。声帯はのどにあるはずだ、と頭で思っている限り、いくら声帯を直接コントロールしようとむきになっても周辺の筋肉が動員されるばかりで肝心の声帯には効率よく伝わらず、気持ちだけが空回りして力みが入ってしまう。これでは声の充実にはつながらないのである。もちろん曲がりなりに声は出るが、たとえば歌うときには高い音域がつらくて出せなかったり、無理がたたってのどを痛めたりする。 それよりも、鼻腔弁を「声帯の仲介者」だと認識してこれを使ったほうが、かえってよりストレートに、しかも精緻で起伏に富んだ声帯のコントロールが可能になる。かなり高い音も容易に出せるし、英語で重視される強弱アクセントも自在に使えるようになるのだ。 ことクラシックの声楽に関する限り、「のどで発声する」という一見理性的な考え方こそが上達を妨げる要因となっていることは、業界の常識だ。英語の発音に関しても同様で、のどで声を出すという意識をいかに克服するかが、実は決定的な上達のカギを握っている。いわば、「声帯を欺き返してやる」のがヒケツだ。そのためには、「のどでは発声しない」と自分に言い聞かせることが最大のポイントとなる。のど発声を信じている限り、あなたの声は声帯に欺かれたまま「のど声」に終わるだけなのだ。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「I」と「愛」の発音を区別してますか?

というか、この発音の違いを「認識しているか」と聞くべきかもしれない。 実は両者は発声からして違っているのだが、おそらくほとんどの日本人はこれを区別していないし、その差を意識すらしていないはずだ。 要するに、両者の発音は「同じ」だと思っている人が多いのである。問い詰められれば「違いがある」と答える人もいるだろうが、実演してみせられるほどはっきり違いを認識しているかどうかは疑問だ。 試しに、音声学のセンセイ方に違いを実演できるかどうか聞いてみたいところだ。たぶんできないセンセイがほとんどだろう。彼らがいくら理屈をこねて違いを説明したところで、実際に使い分けられなければ話にならないのだ。 そういう基本的な違いをとことん探究して解明してこなかった日本のセンセイ方は、音声学者も英語指導者もひっくるめて、怠慢もはなはだしいと僕は思う。センセイのこころざしが低ければ、当然ながら優れた教え子たちは育ちにくい。でも、教え子たちのほうももっと発奮して自立したほうがいい。そこいらのセンセイは、たいてい当てにならないと思って間違いないのだ。 さて、前に紹介した次の表を思い出してほしい。日本語と英語の発音時の「ハナみち」の状態の違いを示したものだ(忘れていたら前回の記事を読み直してほしい)。 ・・・・・・・・・・・口蓋帆        鼻腔弁 日本語     狭       広 英語       広      狭 これにしたがって「I」と「愛」の発音の違いを検証していこう。 まず日本語で「愛」と発音してみよう。これは皆さんネイティブなので完ぺきにできるはずだ。 口蓋帆はあまり意識には上らないが、上咽頭の後壁にくっつくように持ち上がって鼻への通りを狭め、ハナみち(上咽頭)にはあまり息が入らない状態になっている。 ハナみちから鼻腔にかけてはほぼ完全に脱力したままだ。どちらかといえば、鼻孔(鼻の穴)がちょっと左右にだらんと引っ張られるぐらいの感じかもしれない。これが鼻腔弁の緩みきった状態である。 では確認のためもう一度「愛」を発音しておこう。口蓋帆を意識的に持ち上げたまま、鼻腔をやや左右に押し広げるぐらいの感覚でどうぞ。「愛」。 今度は英語の「I」を発音してみる。先入観をなくして、ちょっと次の指示どおりにやってみてほしい。 まず、先ほど持ち上げた口蓋帆をリラックスさせて落とし、ハナみちに息が入りやすくする。口は開けても閉じたままでもいい。できる人は、両耳を後ろに動かすようにしてみると、よりハナみちの開きが大きくなって効果的だ(耳の後ろの筋肉は退化しているが、訓練すれば使えるようになる)。 そのまま呼吸を続けながら、次にハナみちから鼻腔にかけての息の出入りを絞ってみよう。鼻腔の左右を通る息の境目がだんだん圧迫されていき、最後は左右の鼻孔が中央に寄って1つになって細く息が出入りする、といったイメージを持つとよいかもしれない。これが鼻腔弁を狭めた状態だ。 口蓋帆を落としてハナみちを開いたまま、鼻腔弁を狭めて鼻からごく細く息を出しながら、英語の「I」をゆっくり発音してみよう。しょっぱなからaの音がまるで「あ」とは違って聞こえるはずだ。末尾のiも、「い」とは異次元の音になっている。英語で「私」というときの「I」は、実はこんな音だったのである。 鼻腔弁が緩んだままだと、ハナみちに入った息が締まりなく鼻から出てしまうので、単に日本語の「愛」を鼻声にしただけのように聞こえる。あくまで鼻腔弁をきっちりと絞って発音しよう。 それからもう1つ、「のどで声を出す」という意識は捨てること。それではのどに力みが入るだけだ。むしろ、「鼻腔弁で声を出す」と考えるほうが正解だ。この発声方法は、以前述べた鼻メガホンという考え方とも深く関係している。 ただし、鼻メガホンを鳴らすのにあまり多くの息は要らない。フルートや尺八を吹く人は知っていると思うが、ただたくさん息を吹き込んでも空回りするだけで音にはならない。逆に、ちょうどよい角度で歌口に息を当ててやれば、少量の息でも芯のある大きな音が出るのだ。鼻腔弁の使い方もこれに似ていて、少量の息で大きな声が効率よく出るようになっている。そのちょうどよい息圧や弁の絞り加減を探りあてることが大切なのだ。 一見発音が似ているように見える単語のペアを、いくつか思いつくまま下に挙げておく。上と同じやり方で、日本語と英語の発音の差を検証してみると面白いだろう。 愛    I 言う    you はい。    Hi. 能    no 陰    in 性    say サンプル録音を作ったので、参考までに掲載しておく。   慣れてきたら、同じ要領で英単語だけでなくセンテンスも読み上げてみよう。そして、次第に長い文章にも挑戦していったほうがいい。この発声を身に付けると、英語らしい響きやリズムが自然とわき出てくるので、さらに効果が実感できるはずだ。   英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「鼻腔弁」を意識する

前回出した宿題を実践した人は、ハナみちの入り口と出口のロケーションをすでに体で理解しているはずだ。 でも念のため、別の角度からハナみちの場所を確認しておこう。 まず、上の前歯の根元を舌先で触ってみよう。そこから上あごの天井(口蓋)に沿って舌先を後ろにすべらせてみてほしい。口蓋の真ん中あたりで、急に口蓋の硬さが変わる部分があるはずだ。そこまでは骨があるので硬いのだが、そこから後ろは骨がなくなって柔らかい。なので、口蓋の前半分は硬口蓋とよばれ、後ろ半分は軟口蓋と呼ばれている。軟口蓋の一番奥には、口蓋帆と口蓋垂がある。 ハナみち(上咽頭あるいは鼻咽腔[びいんくう])の場所は、この軟口蓋の真上にあたる。口蓋帆の裏から、軟口蓋と硬口蓋の境目の真上付近までをつなぐパイプ状のエリアだ。 参考:http://www.anatomy.med.keio.ac.jp/funatoka/anatomy/Rauber-Kopsch/2-03.html (図86と87の中で、口蓋垂から鼻腔にかけてのエリアがハナみちに該当する) ハナみちの入り口では、口蓋帆が弁(バルブ)の役目を果たす。つまり、口蓋帆が後方の咽頭壁に近づいたり離れたりすることで、息の出入りを調節するのだ。 そしてハナみちの出口部分にも、同じように息の量を調節する弁がある。これを仮に「鼻腔弁」(びくうべん)と呼んでおこう。これは発見者たる僕の造語である。鼻で息を吸ったり吐いたりしながら鼻の奥を狭めてクンクンいわせるときに使われる部分がそうだ。(西洋のクラシック音楽を歌うときなどは、この鼻腔弁がおそろしく強力な武器になる。発声がそれまでとは次元の違う領域に入っていくみたいなのだ。「ベートーベンは鼻腔弁で歌え」、なんてキャッチフレーズが使えるかも。)ただしこの鼻腔弁の所在は、解剖図を見ただけではよくわからない。 そもそも鼻腔はかなり複雑な構造をしていて、単純なパイプ型ではなくいろんな出っ張りや仕切りがあちこちにある。しかも、副鼻腔と呼ばれるさまざまな形をした小さな空洞が鼻の周囲に点在していて、おそらくこれも声の響きや声質を補助する役目を果たしていると思われるが、一見しただけでは何がどう作用するのかわかりづらい。だから鼻腔弁も、口蓋帆のように1枚の膜が入り口を塞いだり開いたりするのとはちょっと仕組みが違うのだ。 だが、上で述べたように鼻の奥の筋肉や粘膜を操作すれば、息の通路を任意に狭めたり広げたりできることは確かだ。たぶん複数の筋肉が連携して、通路の微妙な開け閉めを手伝っているのだろう。僕の体感では、鼻腔の奥あたりでハナみちの上や左右の壁が狭まったり広がったりしながら、息の量や息圧を調節しているように思う。とするとこの鼻腔弁は一枚岩ではなく、一種の複合的な弁ではないかと考えられる。(少なくとも歌うときには、高声域と低声域のチェンジを境にこの鼻腔弁の場所が前後にやや移動するような実感がある。) それはともかくとして、ここでは鼻腔弁の位置を意識するための実践的な方法を紹介しておこう。 口を閉じ、静かに鼻で息を吸う。吸いながら、鼻の奥をやや狭めて息をブロックしていく。鼻をすする感覚と似ていなくもないが、鼻先ですするのではなく、鼻の奥の高い部分を狭めながら息を吸うようにしてみよう。あなたが眼鏡をかけていると仮定して、眼鏡の鼻あてパッドが鼻すじの左右に触れる場所を想像してみてほしい。その箇所を見えない手でつまんで、鼻腔を狭めるような感覚、といえばわかりやすいだろうか。 こうして息を吸うと、抵抗が生まれて空気摩擦による息音がかすかに聞こえ始めるはずだ。さらに鼻の奥を狭めると、吸う息が断続的にブロックされたり開放されたりして、クーッという音や小さないびきのような音がし始める。そこまで強く狭めることはせず、柔らかに鼻の奥を狭めたり緩めたりしながら息を吸い続けてみよう。 なぜ息を吸いながら練習しているかというと、こうすれば口蓋帆のほうは常にリラックスした状態になっているからだ。息を吐きながらやってもいいのだが、そうすると口蓋帆のほうで息をブロックしてしまう可能性があり、そうなるとハナみちの出口を開閉しているのか入り口を開閉しているのか自分でわかりづらい。だから最初は、息を吸いながら開け閉めを練習したほうが鼻腔弁を意識しやすいのだ。 やってみると、鼻腔弁は鼻のいちばん奥の、それも天井付近にあることがわかるだろう。そしてこの弁は、息の通り道のてっぺんを左右からつまむように作用する。 鼻腔弁は、ふつう日本語で使われることはない。日本語をしゃべっている限り、この弁は常に開放状態にある。だから僕たちはこの弁をふだんほとんど意識していない(しいていえば鼻をかむときに使うぐらいのものだ)。だから、鼻腔弁の位置を探る作業をするときは、まったく新しい神経回路をつくってやる、ぐらいの心構えで、しっかり気持ちをフォーカスして取り組んでほしい。 息を吸いながらこの鼻腔弁を絞ったり緩めたりできるようになったら、今度は同じことを息を吐きながらやってみよう。ここでも注意点は、口蓋帆でハナみちの入り口を塞がないでおくことだ。口蓋帆は開放したままで、息を吸ったり吐いたりしながら鼻腔弁を意識的に絞ったり緩めたりしてみよう。 この練習をやれば、どのあたりの筋肉を使えば鼻腔弁を調節できるかが明確に意識できるようになってくる。鼻腔弁をコントロールする動きは、耳を動かす筋肉や顔の筋肉の一部とも連動しているかもしれない。自分の体のどの部分がどう動くかを細かくチェックしながら練習して、いつでも鼻腔弁の動作を再現できるようにしておきたい。この鼻腔弁の開閉テクニックは後で大いに重宝するので、しっかり覚えておこう。 さて、これでハナみちの入り口と出口が自分の頭部のどのへんにあるかが認識できたはずだ。この出入り口2カ所の弁をそれぞれ絞ったり開いたりする練習方法についても、ひととおり解説を済ませた。 先にも述べたとおり、鼻腔弁は日本語ではまず使われることがないし、また使う必要もない。なぜなら、日本語ではハナみちの入り口が口蓋帆でほぼ閉じられている状態なので、そもそも鼻腔弁のところまで十分に息がとどかないからだ。だから日本語では鼻腔弁が常に開放状態になっている。つまり、日本語をしゃべっている限り鼻腔弁は緩みっぱなしだ。いわば無用の長物なので、その存在すら認識されてこなかったのである。 ところが英語(および似た系統の言語)では、この鼻腔弁が大活躍する。前回もちょっと触れたが、鼻腔弁は英語のあらゆる音の形成を左右する中枢的な役割を担っているのである。そして鼻腔弁の機能をフルに発揮させるためには、口蓋帆を開放しきっておくことが必須となる。 この違いは、表にしてみるとわかりやすい。 ・・・・・・・・・・・口蓋帆        鼻腔弁 日本語     狭       広 英語       広      狭 日本人が英語をしゃべるときは口蓋帆でハナみちを閉じてしまうので、英語として聞くと違和感が生じやすい。逆に、日本語をしゃべる英米人の多くは、口蓋帆を弛緩させて鼻腔弁のほうをあやつりながらしゃべるので、いかにも外人的な日本語に聞こえてしまうのだ(米国人TVタレント・パックンの話し声を思い起こしてほしい)。 この違いを理解して実際に使い分けられるようになれば、誰でも日本語と英語の間をより簡単に行き来できるはずである(少なくとも音声面ではね)。 次回は鼻腔弁と英語発音のつながりについて、より実践的に考えてみたい。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「ハナみち」の入り口と出口

ハナみちの入り口(口蓋帆)をリラックスさせる方法については前回説明したので、皆さんもすでにこれを弛緩させる方法は身に付けたものと仮定して話を進めよう。 皆さんがそこまでたどりついただけでも大きな収穫なのだが、実はその先にさらに重要なポイントが待ち受けている。 「ハナみち」は正式には上咽頭あるいは鼻咽腔などと呼ばれ、口蓋帆から鼻の付け根に向かうパイプ状のスペースを指す。簡単にいうと口腔と鼻腔をつなぐ通路だ。 その入り口にあたるのが口蓋帆で、ここはすでにご承知のとおり、息の通り具合を調節するバルブのような役割を果たす。日本語はこの部分をほとんど閉じたような状態で話すのが普通だが、英語を英語らしくしゃべるときはここを開いたままにしておくのが基本だ。ここまでは前回述べたとおりである。 さて、ハナみちに入った息は、その後しばらく前に進んでから鼻腔に入り、最終的には鼻の穴から出て行く。そこで質問だが、自分のハナみちと鼻腔の境目がどこにあるか、あなたは認識できるだろうか? おそらく考えたことすらない人が多いに違いない。しかし実は、このハナみちの出口(ハナみちと鼻腔の境)を自分で把握できるかどうかが、あなたの発音と発声にさらに重大な変化をもたらすのである。 なぜならこの「ハナみちの出口」こそが、英語的な発音・発声の決定打を生むからだ。 この「声をめぐるエッセイ」を書き始めてほぼ1年になるが、その間に僕は何度も「第二の声帯」あるいは「発声ポイント」とでもいうべきものが存在する、と書いてきた。そしてその場所は鼻の付け根あたりではないか、と推測してきた。 僕が実体験から存在を直感していたこの第二の声帯が、今ようやくその正体を現した。この「ハナみちの出口」こそが、第二の声帯だったのである。この箇所さえうまくコントロールできれば、英語の母音も子音も自由自在に操ることができる。この場所が、いわば英語の発音・発声の中枢なのだ。 この「ハナみちの出口」(とりあえずそう呼んでおくが、そのうちもっと気の利いた名前をつけるつもりだ)は、口蓋帆と同様に自分で意識的に開閉できる。次のような実験をしてみれば一目瞭然だろう。 まずは口を閉じて、普通に鼻で息を吸ったり吐いたりしてみよう。口蓋帆は常時リラックスさせておく。その状態で、鼻を通る息をブロックするように鼻の奥を狭めてみる。詰まった鼻で息を吸ったり吐いたりするときのように、息のパイプを閉じられる箇所があるはずだ。その位置は、前回開閉の仕方を覚えた口蓋帆よりもずっと前方にあることがおわかりだろうか? そこがハナみちの出口なのである。 鼻で息を吐きながらクンクンいうときに鼻の奥が狭まったり開いたりするが、それと同じ場所、といえばわかりやすいだろうか。 ここをバルブないし弁として使って息をコントロールすることで、英語のほぼあらゆる音をうまく操ることが可能になるのだ(それについては次回以降に譲ることにする)。ただしその前提条件として、口蓋帆をリラックスさせ、ハナみちの入り口を開いたままにしておくことが必要だ。日本語を話すときのようにハナみちの入り口が狭く閉じられていると、ハナみちの中まで十分に息が到達せず、出口で効果的な息のコントロールができなくなってしまうからだ。 宿題として、次回までにハナみちの出口のありかをしっかりと自分で意識できるようにしておいてほしい。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介してい ただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。

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「ハナみち」の開き方

今回は、「ハナみち」を開く方法について考えてみよう。 ハナみちとは、要するに息が口から鼻へ向かう通り道のことだ。 鏡を見ながら口を開け、奥をのぞき込んで見ると、口蓋垂(のどちんこ)とこれを吊り下げている口蓋帆と呼ばれる膜の後ろに、このハナみちが隠れている。日の当たらないこのスペースを、医学では「上咽頭」というらしいが、それだと一般人にはまったくぴんと来ないので、僕が勝手にわかりやすい呼び名を付けた。 ハナみちの入り口部分は、閉じたり開いたりできる。その際に使われるのが、先に述べた口蓋帆だ(舌の背の部分も併用されることがある)。 試しに口を大きく開けてみよう。そして、鼻から息が出ないように口だけでハーッと息を吐いてみる。(もし舌の背の部分がせり上がって口の奥を狭めていたら、舌をリラックスさせて下げ、息の出口を広げておこう。)舌がせり上がっていないのに鼻にまったく息が通らず、口だけで息を吐いている状態が作れたら、口蓋帆がハナみちを塞いでいると思ってよい。この状態を記憶しておこう。 さて、今度はこの口の状態をあまり変えずに、鼻からも息を出してみよう。そのとき口内のどの筋肉がどう変化するかを注意してほしい。 ハナみちを塞いでいる口蓋帆が緩んで、息がハナみちに通っていく感じが体験できるはずだ。 こうしてハナみちの開閉をくり返してみれば、口蓋帆が口のどのあたりにあるかを実感できるだろう。 そしてやがては、口蓋帆を意識的にコントロールすることも可能になってくる。多少時間はかかるかもしれないが、この訓練はやっておいて損はない。というか、ぜひやっておいてほしい。 なぜかというと、前にも述べたが日本語はハナみちを塞ぐように発音するのがデフォルト(基本形)なのに対し、英語ではハナみちを開いたまま発音するのがデフォルトだからだ。その違いを再現できないと、日本語と英語の発音の差がうまく出てこないのである(国井の経験則)。 僕たち日本人は、日本語であれ外国語であれ、はっきり発音しようとするとついデフォルトのハナみちを塞いだ発音になりがちだ。だからいわゆるカタカナ発音になってしまうのである。これが「カナ縛り」だ。日本語と似た系列の外国語ならば問題は少ないのだが、あいにく英語の場合は日本語と比べてあまりに声の違いが大きいので、こうしたカタカナ発音のままだと弊害が起きる。 さて、口蓋帆に戻ろう。口蓋帆をうまくリラックスさせると、息は自然に口と鼻の両方を通るようになる。この状態が英語発音ならびに英語発声のデフォルト状態だと思ってほしい。 口蓋帆が緊張すると、ハナみちが塞がれてしまう。日本語を発音する場合は、口蓋帆は常時緊張した状態にあり、ハナみちはほとんど閉じられたままになる。この緊張状態が、日本語においては「ノーマル」ととらえられている。つまり、僕たちはそれが当たり前だと思っている。ところが英語においては、このハナみちを閉じた発音の響きがなんだか固くて異質なものに聞こえるのである。 英語を発音する場合は、口蓋帆を緊張させずにハナみちに息を通してやるのがノーマルな状態なのだ。この違いを体感できるまで訓練を積めば、あなたの英語発音にはきっとブレークスルーが訪れるはずである。 それにはある程度時間がかかるかもしれない。子どもの頃から慣れ親しんだカナ縛り発声は、日本人のアイデンティティとも密接につながっているので、これを解くのは容易ではないのである。はっきり発音しようとすればするほど逆効果になるので、自分の本能に逆らって口蓋帆をリラックスさせなければならないのだ。だからこそ、意識革命が絶対に必要となる。 今日は口蓋帆をリラックスさせる方法について述べたが、さらに大事なポイントが2、3ある(ハナみちの入り口の大きさ、出口の大きさ、鼻腔内の息の流れなど)。それをしっかり把握しておかないと、まだ本当に納得のいく英語発音には到達できないのだが、これは次回以降に回すことにしよう。 とりあえずは、目をつぶっていても自分の口蓋帆が今どこにあるか意識できるように訓練しておいてほしい。そして、口蓋帆を意識的に操ってハナみちを閉じたり開いたりできるようになることを、当面の目標にしよう。その際に、舌の背で口の奥を塞いでしまわないよう注意してね。 英語音読 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。また、紹介していただく際には必ずクレジットを入れることをお願いしたい。  

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発想の転換=「発声の転換」

英語を英語らしく聞かせるには、ちょっとした発想の転換、というか「発声の転換」が必要だ。 ところが、そのことに気づいている日本人は驚くほど少ない。しかも、実際にやってみせることのできる人に至っては、今のところ限りなくゼロパーセントに近い。いるにはいるが、割合としてはきわめてまれなのだ。しかも、自分でやってみせられる人の中でも、発声の違いをうまく他人に説明できる人はさらに少ない。要するに彼らは、個人芸の世界から脱却できていないのである。ほんとはこういう人たちこそ、もっと真剣に発声のノウハウを他の日本人とシェアできるよう研さんを積むべきなのだが…。そんなことを言っていても、ただでマジックの手の内を明かす人は誰も出てこないだろうから、じゃあ僕がやろうと決心したわけだ。 なぜ日本人は英語の発音が苦手なのか。答は簡単だ。ほとんどの人は、日本語のスタンダードな発声に縛られて、そこから脱却できずにいるからである。このおそろしく強力な呪縛のことを、ぼくは「カナ縛り」と名付けている。日本語のカナを頭に浮かべただけで、僕たちの発声が自然と日本語風になってしまう、という現象を表現したものである。 では、日本語のスタンダードな発声と、英語のスタンダードな発声はどう違うのか。 ひとことで言えば、違いは「ハナみち」の開き具合の差なのである。(ハナみちについては前回を読み返してほしい。) この違いを頭と身体で実感しない限り、ほんとうに英語らしい声はあなたのものにはならないだろう。 逆に、この違いさえしっかりつかんでしまえば、英語の声はおもしろいほど簡単に再現できる。 「日本人は英語の発音が下手だ」というのは間違いで、正しくは「日本人は英語の声の出し方を知らない」というだけなのである。英語の声の出し方をマスターすると、英語の発音はいやでもよくなるのだ。日本人は単にその努力をいつまでもいつまでも怠り続けてきたのである。声の違いを深く探ろうともせず、実践に移そうともしてこなかったのだから、発音がうまくなるはずがない。単に上っ面だけのものまね発音を競い合ってきただけなのである。要するに、皆さんは(というか僕たちは皆)これまであまりにも怠慢だったのだ。 残念ながら、このことを理解し実践もできる指導者は、これまで日本には(そしてたぶん欧米にも)ほとんどいなかった。そもそも発声に目を向ける英語指導者が少なかったし、たとえ発声に着目した人がいても、その人たちの理解ははなはだ怪しいものだった。禅問答のように難解で、しかも的外れな発声指導が横行していたのだ。自分でろくに検証すらせずに、やれ腹式呼吸だ、やれ息の強さだ、やれのど発声だなどと、見当違いな思いつきを永遠の真実であるかの如くに説く人たちが多いのは、実に嘆かわしい事態である。結局彼らは多くの真剣な学習者に時間と労力の無駄を強いてきたに過ぎず、うまく発音できない学習者を大量に生産してきた。その罪は、きわめて重いといわざるをえない。 もう僕たちは意識改革すべき時期に来ている。 まずは英語の発声を理解し、マスターすることに照準を合わせよう。英語と日本語ではそもそも歩んできた歴史が違う。英語は英語的な声にうまく乗って響くように発展してきたし、日本語もまたしかりである。ある言語本来の声を追求するのは、言葉を学ぶ王道でもあるのだ。そうしたルーツを踏まえて声から言葉を探究していけば、発音は必ずよくなるはずだし、言語そのものへの理解も深まるに違いない。それこそ外国語を学ぶ上でもっとも重要なポイントではないだろうか? 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。  

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英語の「ハナみち」

「英語らしい声」を出すには、どうすればいいんだろうか。 その1つの答が、以前紹介した「国井モデル」だが、このほどそれをさらにシンプル化するコンセプトを考え出した(ずいぶんブログを更新していなかったが、その間にもいろいろ試行錯誤していたのだ)。 これを「国井モデル2号」と呼ぶことにする。基本的な原理は変わらないが、国井モデル2号はアプローチがちょっと違っている。国井モデル1号が経験測から導かれた感性的なものだったのに対し、国井モデル2号はあくまで物理的・合理的な観点に立って構築されている。 出発点となるのは、僕が以前から主張している次の概念だ。 すなわち、「英語の声は鼻からも出す」という考え方である。 これを検証するため、僕は自ら何百本となく朗読音声を録音して公開してきたし、特に最近の録音ではそこそこの水準に達していると思われるので、鼻を使うというコンセプトが間違っていないことは曲がりなりにも証明済みと考えている。 問題は、これをどう説明すれば誰にでも再現できるようになるか、だ。 で、こう考えた。なるべくシンプルにしようと。 そして、ポイントをたった1つに絞ってみた。 そのキーワードは、「ハナみち」。 「ハナ」はもちろん鼻のことだ。 「ハナみち」とは、吐く息がのどから口の奥を通って、鼻に出て行くときの通り道を指すと思ってほしい。特に、口から鼻への出入り口のことを「ハナみち」と呼ぶことにしたい。 「ハナみち」を重視する理由はこうだ。 そもそも鼻も使って声を出すには、鼻に息が通らなければ話にならない。ところが、日本語ではあまり鼻に息を通さないのが普通なので、よほど意識しないと鼻への通路が狭いままになってしまう。 というか、鼻への通路(ハナみち)の存在自体、僕たちはふだんあまり意識していないのだ。 だから、ハナみちはどこにあるんだろう、と考えてもすぐには答が浮かばない人も多いに違いない。 なので、まずはハナみちの位置をはっきり自覚することから始めてほしい。 口を開けて鏡を見てみよう。奥にはのどちんこ(口蓋垂)が見えるはずだ。その付け根から左右にアーチ状のひだが見えるだろう。これが口蓋帆という膜だ。 そしてこの口蓋帆の裏側に、鼻へと通じる通路が隠れている。 この通路は口蓋帆の裏にあって、鼻先へ向かうにつれて左右に分かれ、2本のストローのような管になる。 今意識してほしい「ハナみち」というのは、その入り口の部分だ。口蓋帆の裏に隠れている、鼻に通じるゲートウェイの部分である。 ここであるヒミツをお教えしよう。実はこの「ハナみち」は、訓練すれば自分で意識的に広げたり狭めたりできるようになるのだ。 そんなこと知ってるさ、などと早とちりしないでほしい。もちろん、鼻から息を出さずに口だけで息を吐こうとすれば、口蓋帆は自然とハナみちを塞ぐことになるので、ハナみちの開閉は誰だってできる、と思われがちだ。しかし僕が重視しているのは、開け閉めの程度を意図的に調節すること、そして特に、日本語では考えられないほど広く開けることなのである。 オールオアナッシングで開けるか塞ぐかだけなら、確かにだれでもできる。しかし、ハナみちの開き加減を自在にコントロールすることは、ふだん日本語しかしゃべっていない人にはなかなかできないはずだ。なぜなら、ハナみちの開き具合を調節するというパラメーター(変数)が、日本語では狭めに固定されているからだ。(これを僕はカナ縛りと呼んでいる。) 逆に英語の場合は、このパラメーターが広めに固定される傾向が強い。概してハナみちを広げたまましゃべるのが英語の特徴なのだ。その開き具合は、僕たちが想像するよりはるかに広い。僕たちが英語国民の話す日本語に違和感を持つのは、一部にはその影響もある。たぶん英語国民のほうでも、実はハナみちの開きの違いに気づいていないのでうまく日本語をまねできない、という事情があるんだろう。 ともあれ、僕たちが英語をそれらしい声でしゃべるには、ハナみちを思い切ってひろげたまま話すことが早道であり、大切なのだ。 「ハナみちを意識し、ハナみちを開く」。 英語らしい声を出す国井流のヒケツは、まさにこれなのだ。 どうだろう、国井モデル2号って、ずいぶん簡単でしょ? もちろん、簡単なだけに補足すべき事項も多いんだけどね。 この先のロードマップとしては、 ハナみちを開くためのテクニック、 母音・子音とハナみちの開きの関係 などを解説する必要があるが、それはまたおいおい説明するとして、とりあえずは、ハナみちの場所を寝ても覚めても意識できるようにしておこう。それをきっかけに、あなたの英語人生に大ブレークスルーが訪れる…かもね。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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「翼ある息」と国井モデル

ホメロス作と伝えられる古代ギリシャの叙事詩「イリアス」や「オデュッセウス」には、「翼ある言葉」(英語ではwinged wordsなどと訳されている)というフレーズが幾度となく出てくる。どんな意味かは諸説あるらしいが、含みがあってなかなかいい言い回しだ。言葉に翼が生えて飛び立つ様子を想像してみると、なんだか面白いでしょ? そういえばギリシャ神話には、翼の生えたサンダルを履いて空を飛ぶ神だか英雄だかがいたような気がする(ググってみたらヘルメス[別名マーキュリー]だった)。 言葉やサンダルに翼が生えるくらいだから、もっと想像の翼を広げて、息に翼が生えている様子を思い描いたっていいだろう。 なぜこんな話を切り出したかというと、発声がうまくいっているときは、あたかも息に翼が生えたように軽々と声が出るような気がするからだ。というか、国井モデルで鼻メガホンに向かう息の柱と、口メガホンに向かう息でこれを背後から補助する関係は、もしかしたら息の柱の背後から翼が生えている感じに近いのかもしれない。自分の声が息に乗って軽々と飛翔するさまをイメージするだけでも、自然といい声になりそうな気がしてくる。 というわけで、今回は少し呼吸について考えてみよう。 いろんなボイストレーナーの指導方法を見ていると、腹式呼吸とか呼吸法とかいう切り口から入るのが1つの常套手段のようだ。でも、僕はあまり呼吸法にはこだわりがない。というかむしろ逆で、カナ縛りでのどや首や下あごがカチンカチンに緊張している人にいくら正しい呼吸法を教えても、何の効果もないしかえって逆効果だろう、ぐらいに思っている。 むしろ、カナ縛りが解けて正しい声の出し方が理解できてくれば、自然と腹式呼吸になってくるはずなので、そもそも指導の順序が間違っているのである。最初は、呼吸法は発声とは別物、ぐらいに考えたほうがいい。発声の補助として呼吸法は役立つかもしれないが、呼吸法が正しければ発声も矯正できる、ということには決してならないのである。 僕が「国井モデル」を提唱したときあえて呼吸法には一切触れなかったのも、そうした理由からだ。でも、もうだいぶカナ縛りの解き方については十分説いてきたので、そろそろ封印していた呼吸の話に触れてもいいだろう。 ちょっとおさらいしておくと、僕たち日本人が従来から無意識のうちに使ってきた声の出し方と、英語や西洋の声楽で使われている声の出し方との間には、決定的な違いがある。国井モデルは、その違いを誰もが認識できるよう明確に図式化したものである。 簡単にいえば、国井モデルは(1)鼻メガホンを優先的に響かせる、(2)鼻メガホンに向かう息の流れを遮ることなく補助的に口メガホンを響かせる、という2つの枠組みからなる。詳しくは以前のエントリーを読み返してほしい。 この枠組みさえしっかり抑えれば、これまでとは異次元とも思えるほどの新しい呼吸が自然と導かれるはずなのだ。 僕がこの呼吸について記述する必要を感じたのはなぜかというと、1つには、声を出せない環境に置かれたときにもサイレントで発声準備をしておきたいからだ。夜とか電車の中とか、声を出すと人に迷惑がかかるような状況は、人の多いコミュニティに住んでいればいくらでもある。それでも、いざとなったらいつでも正しいモデルで発声・発音できるよう体を準備しておきたい場合もあるだろう。そんなときに備えて、国井モデルにつながる呼吸法をしっかりイメージしておけば、寝起きだろうが電車の中だろうが図書館の中だろうが、いつでも人にはばかることなく練習できてしまうのだ。 さて、国井モデルの構成からまず明らかなのは、息を吐くときには鼻メガホンへ向かう息を常に保ち続けるような呼吸が求められる、ということである。つまり、どんな母音や子音を発音しようが、どんなに忙しく口を動かそうが、のどから鼻メガホンへ向かう息の流れは妨げないような呼吸が理想なのだ。 図式化するなら、常にのどから口蓋帆の裏に向かって1本の透明な柱が送風管のように伸びているような感じだろうか。 特に大切なのは、口から鼻に息が入るポイントを自分でしっかり意識して、常にそこから鼻のほうへ向かう息のベクトルを保持することだ(もちろん息を吐く場合の話だけど)。 たとえていえば、噴水の頂点かサーフィンの波がいつもこのポイントにあって、絶えずそこから前向きに何かが動き出しそうな、運動ポテンシャルに満ちた状態である。 これは、口を開けたまま息を吐くときもまったく同じだ。ともすると、口で息をし始めたとたんに鼻に向かう息のベクトルが消滅して、口だけで息を吐いてしまいがちになるが、決してそんな状態に陥らないよう工夫してみてほしい。ここがカナ縛りに逆戻りするか国井モデルに踏みとどまれるかの境目なのである。 そこで、冒頭に述べた「翼ある言葉」のたとえが役に立つかもしれない。先ほど、息が口から鼻に入るポイントに噴水の頂点かサーフィンの波をイメージする、という話をしたが、このポイントで息のベクトルを維持するためには、単に下から息で押し上げるだけではなく、噴水の頂点ないしサーフィンの波の背中の部分に想像上の翼をつけてみるとよい。そして、これを羽ばたかせて引っ張り上げる力を加えてやるのだ。 つまり、普段僕たちが考えているような、横隔膜などで息をポンプのように押し出す呼吸にのみ頼るのではなく、鼻メガホンに向かう息の背に翼を生やして、引っ張り上げる力をプラスしてやるイメージだ。以前に述べた僕流の声の「支え」というのも、考えてみるとまさにこの引っ張り上げる力なのである。 息を押し上げる力に翼で引き上げる力が加わることで、より呼気が楽に流れる。そして、この2つの力が交わる点が、発声・発音の大事なポイントでもあるのだ。国井モデルでいえば、鼻メガホンに向かう息と口メガホンに向かう息が交わるのがこのポイントだし、子音や母音の発音の起点となるのもやはりこのポイントなのである(これは僕が最近試してみて、かなり効果があると思っているイメージの1つだ)。 国井モデルに翼のイメージを付け加えるとすれば、このポイントしかないだろう。ここに翼を付け加えることで、口メガホンを響かせる息の流れ(子音や母音を作る息の流れにあたる)がやや上向きになり、鼻に向かう息の流れも同時にサポートされる。意識の上では、噴水の頂点かサーフィンの波頭の部分を背後から抱えて引き上げるようなイメージだ。 口を開けたままこのやり方で息を吐くと、息の大部分が頭の上や左右方向に発散され、口から出てくる息はきわめて少なく感じられるはずだ。そして、そのままa, i, u, e, oと母音を変えながら息を出してみると、母音の変化を作るポイントは噴水の頂点かサーフィンの波頭の背後、つまり翼の付け根の部分に絞られることがわかる。それ以外の部分を力ませて操作する必要はまったくないのだ。口の形はそれなりに変わるだろうが、口はリラックスしきっている。のどに至ってはまったく形も変わらなければ力みもない。 翼のない息で声を出すと、声の支えがなくなり、響きがすぐ重力に負けて口のほうに落ちて、平べったいカナ縛り発声に収束していく。これに対し、翼ある息で発した声は常に重力に逆らって、頭蓋骨を浮遊させるように伸びやかに響く。そのとき胸から下の呼吸は自然と腹式呼吸になっているはずだ。 こうして翼ある息でサイレントのまま準備練習をしておくと、声を出せる環境になったときにも無理なく本調子で国井モデルの発声・発音ができる。あなたもリラックスして、大空へ向かって息を高らかに飛翔させるように呼吸してみては? 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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「国井モデル」と子音の発音

国井モデルは、声の成分別にみるなら、次の3種の音を合成するテクニックといってもよい。すなわち、(1)鼻メガホンで響かせる基本音声、(2)母音、そして(3)子音の3つである。 国井モデルでもっとも重視するのが(1)の鼻メガホンで鳴らす基本音声だ。この成分こそが、豊かな声の響きの核となるからである。鼻メガホンは声を出している間中、常にきれいに鳴らし続けておく必要がある。したがって、鼻メガホンに向かう息の流れをできるだけ妨げないようにすることが、国井モデルの基本となる。 ハミングだけ練習しているときにはそれほど面倒は起きないのだが、これに母音や子音をつけようとすると、とたんにいろんな障害が出てくる。鼻メガホンへの息の流れが途切れたり、歪んだりし始めるのだ。だから、これを回避するための特殊なテクニックが必要になってくる。 母音の作り方については、すでに前回そうしたテクニックについて述べたので、今回は子音の作り方に的を絞って解説を続けよう。 子音を発音する際に、僕たちはつい口の中心に子音のエネルギーを集めようとしがちになる。しかし英語に関する限り、実はそれがまさに一番やってはいけないことなのである。 このことは、英語を教えたり指導したりする立場にある人の間では、残念ながらほとんど認識されていない。だから学習者の皆さんが知らないのも無理はない。だって教わっていないんだもの。裏を返すと、学習者の皆さんがこの点にさえ気をつけて練習すれば、かなり短時間で別次元の発音クオリティを手に入れることができるはずだ。 僕は以前にもthやl、rなどの子音をうまく発音するヒケツとして、舌の中心から子音を押し出すのではなく、舌の左右を通る息で子音を作るとよい、ということを指摘した。国井モデルの考え方に照らしてみると、これはきわめて理にかなっている。 国井モデルでは、息の本流は鼻メガホンを鳴らす方向に向かうので、口の奥では垂直に伸びる息の柱が噴水のように常にわき上がり、口蓋垂の後ろへ流れ込んでいる。そして、この息の柱を邪魔しないように、後ろからもう1つの息の流れが左右に分かれて口メガホンに入り、ステレオ状の2本の支流となって頬の内側を伝いながら前へ向かう。この息の支流が、声に母音や子音の響きを付け加えるのだ。 これに対し、一般的な日本語の発声・発音モデル(カナ縛りモデル)では、息の流れはのどの奥から、開いた口の中心に向かって一直線に伸び、声も母音も子音もぜんぶ一緒になって口メガホンから出てくる。つまり、機能別に分化されていないオールインワン状態である。また、鼻メガホンの響きはほとんど利用されることがない。 ほとんどの日本人はこのカナ縛りモデルでしか声を出したことがないので、英語をしゃべろうとするときも当然このモデルで声を出そうとする。この状態では、はっきり発音しようとすればするほど息のエネルギーが口の中央に集まってしまうので、鼻メガホンの響きがない浅い声になるだけでなく、母音や子音も広がりのない平坦な音に聞こえてしまう。 これに対し、国井モデルではまず、息の流れを交通整理する。優先レーンは鼻メガホンに向かう垂直の流れ。そして、後ろからこれを迂回しながら前へ向かう口メガホンの息の流れが左右2本付け加わる。それによって、母音と子音が形成される。この図式をよく頭に入れて発音するよう心がけるとよい。 とくに子音については、あるコツを覚えておくとかなりうまく発音できる。 そのコツとは、「奥歯を意識すること」である。 いちばん奥の歯は、上下左右に4本ある。まず口を軽く開けて、顔の右半分を意識しよう。そして、右側の上下の奥歯が円柱のようなものでつながっている様子をイメージする。同様に、左の上下の奥歯についても円柱でつながっているさまを思い描く。この2本の円柱に挟まれたエリアは、息が鼻メガホンに向かって垂直に上っていく優先レーンの領域だと思ってほしい。つまりこの領域は、口メガホンの息に関しては常に遮断機が下りて通せんぼ状態になっていなければいけないのだ。(ここがカナ縛りモデルと国井モデルの最大の違いでもある。) ということは、国井モデルで口メガホンを鳴らすには、左右の奥歯よりもさらに右および左に息を通すことが求められる。 言い換えると、奥歯と頬のあいだの空間を吹き口として、左右の頬の内側伝いに息の通り道を設けることが、国井モデルで口メガホンを鳴らす方法、ということになる。 特に子音については、息を左右の奥歯のさらに右および左から回り込ませるような位置を起点にすると、かなりうまくいく。こうすることで、子音の息は左右の頬の内側を伝って進み、唇の左右からステレオ状に出て行く。th、l、rの発音のコツとして述べた「舌の左右を意識する」というのは、この頬の内側を流れる息を使うことにも通じるのだ。 今まで僕たちの考えてきた子音の息の出し方とあまりにかけ離れているので、最初はみんな戸惑うだろう。でも、この戸惑いのフェーズさえ乗り越えてしまえば、実は国井モデルの子音のほうがずっと楽に出せて、しかも明瞭に聞こえる。左右の奥歯の外側から頬伝いにステレオ状に息を送ることで、英語特有の切れのあるシャープな子音が生まれるからだ。th、l、rはもちろん、s、z、f、v、wなども、これまでとはまったく別次元の音になる。 s、z、f、v、wなどの子音を発音するとき、皆さんの意識は前歯や唇の中央付近に集中していないだろうか? 僕は長い間ずっとそう思って発音してきたし、そのやり方での発音クオリティが特別いいわけではないけれど、まあ通じるレベルだからそんなものだろうと思って、それ以上あまり考えずにいた。なので、これが間違いだと気づくまでには気の遠くなるくらい長い時間がかかってしまった。皆さんには同じ間違いをくり返して欲しくない。 最終的には確かに前歯の付近で摩擦音やら何やらが出ることになるのだろうが、それはあくまで現象的な説明に過ぎない。音声学ならそこで思考停止してもいいのかもしれないが、発音を実践する上ではさらに一歩も二歩も踏み込む必要がある。発音や発声のテクニックは、単なる現象の記述とはまったく別ものだからだ。 現象どおりに前歯や唇の中央付近で発音しようとしても、なぜかうまくいかない。ところが、奥歯の後ろから両頬に回り込むように子音の息を発してみると、左右から前に進んできたステレオの息が最終的には前歯の付近で合流し、立派な子音になる。つまり、子音の出発点として意識する場所を左右の奥歯の後ろあたりにシフトすることで、不思議にも前歯付近から出る音がより明瞭化するのだ。 カナ縛りモデルと国井モデルのこうした構造的な違いを意識しないかぎり、いくら英語らしい発音をしようとしても徒労に終わるだろう。それは、これまでの英語教育がいやと言うほど実証してきたとおりだ。逆に、国井モデルへの切り替えさえできれば、英語的な発音が面白いほど簡単に身につくはずである。 しかも、国井モデルは日本語の発音にも応用でき、未来の日本語音声のクオリティを高める役目も果たす。ぜひ活用していただきたい。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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「国井モデル」と母音の発音

前回提唱したこの発声・発音モデルについて、その後さらに考察を加えたので、簡単に整理しておこう。 「国井モデル」のいちばんの特徴は、鼻メガホンへの息の流れを最重要視することだ。発声の基本は、声帯でものどでも口でもなく、鼻メガホンを鳴らすことだととらえるのである。 声を出さずにふつうに鼻で呼吸しているときの息の流れを意識してみてほしい。これがそのまま、国井モデルの息の本流となる。のどから鼻腔を経由して鼻孔から出る息の流れを、なるべく歪めずに保持することが基本だ。 この基本的な息の柱に声が加われば、ハミングになる。なので、これを便宜上「ハミングの柱」と呼ぶことにする。 国井モデルのもう1つの特徴は、ハミングの柱を邪魔しないよう気をつけながら、さらに口メガホンを鳴らす息の支流を別途付け加えることで、発音を明瞭化する点にある。 図式化すると、ハミングの柱が太く垂直に伸びているところへ、後ろから別の息が川の水のように流れてきて二手に分かれ、柱を回り込みながら前へ進むような感じだ。 (このバリエーションとしては、垂直に伸びるハミングの柱の根元から、前に向かって川の水がわき出るように口メガホンを鳴らす、という図式もあり得る。つまりハミングの柱の前方に、のどから口へ向かう息の流れを作るやり方だ。このほうが2つの息の流れが完全に分離され、一見より自然で合理的なように思える。ところが実際には、この方法だと鼻声に聞こえやすく、またカナ縛りも解けない。不思議とデメリットが多いのだ。ハミングの柱をはさむように後ろから母音や子音を作り始めるほうが、最初はちょっと違和感があっても結局は近道になる、と僕は見ている。) 要するに、本流である鼻メガホンの息(垂直に伸びるハミングの柱)と、支流である口メガホンの息(柱の周囲を回り込みながら前へ流れる)を最適に複合させるのが、「国井モデル」のエッセンスなのだ。中でも、鼻メガホンに向かう息の柱を妨害しないよう、口メガホンの息の流れを後ろから左右二手に分けて回り込ませる、というパターンは常識を覆すもので、おそらく今までだれも明確に意識していなかった画期的なテクニックではないかと自負している。 従来の日本語の発声・発音では、口メガホンの息ばかりが王道として扱われ、鼻メガホンはほとんど使われてこなかった。だから、いくらハミングなどで鼻メガホンの息を使う練習を積んでも、日本語を発音しようとする瞬間に口メガホンの息のほうが優勢になり、せっかく作った鼻メガホンの息の流れを遮断してしまっていたのだ(カナ縛り)。 これに対し国井モデルでは、口メガホンの息が左右二手に分かれて、鼻メガホンへ向かう息に道を譲る。したがって、英語を発音するときも日本語を発音するときも、鼻メガホンへの息の上昇流は途切れない。常に鼻メガホンが鳴っている状態になるので、響きが豊かになる。しかも口メガホンの左右の幅が広がるので、母音と子音がより明瞭に発音できる。 国井モデルで英語を発音するときは、口メガホンの吹き口を日本語の場合よりさらに高くもっていくよう意識するとよい。前回説明に用いた3人1組のシンクロナイズドスイミングチームのような動きをイメージすると、母音と子音のつながりがなめらかになり、より英語らしい響きが得られる。 これに対し、国井モデルで日本語を発音する場合は、口メガホンの吹き口をやや低い位置に設定したほうが、より音節の区切りが明瞭になって聞きやすい。各自でいろいろと工夫してみるとよいだろう。 試しに、日本語のアイウエオを、一般的な発音と国井モデルでやってみよう。国井モデルでは、口蓋に向かってガラスを曇らせるようにハーッと息を吹きかけるような流れが常に基本となる。こうすることで、鼻メガホンに息が送り込まれ続けるのだ。国井モデルの「アイウエオ」は、「ア’イ’ウ’エ’オ’」と表記する。「’」は、鼻メガホンに向かう息の柱を意味していると思ってほしい。 一方、アイウエオに相当する母音の変化(ア’イ’ウ’エ’オ’)を作るのは、口メガホンの息である。のどの奥で垂直に噴水のように伸び上がるハミングの柱を意識し、その噴水の流れを乱さないように気をつけながら、柱の背後から二手に分かれて川の水が流れ出てくるように口メガホンへ息を送る。そして、ハミングの柱の断面の形を母音に応じて変化させるよう意識するのがコツだ。 日本語のアイウエオでは、息が前方に向かっているので、僕たちはふだんから前向きの息の柱を意識しながらアイウエオを発音していると思う。つまり、僕たちはこの前向きの柱の断面の形を、アイウエオの母音に応じて変化させているのだ。一方国井モデルでは、息の柱が前向きではなく上向き(垂直)になっているので、ア’イ’ウ’エ’オ’の母音の変化は、垂直の柱の断面(ないし底面)の形を変えることで作られる。そして、母音の違いに応じて太さや形の変わるこの柱を、後ろから回り込んではさむようにしながら口メガホンの息を左右に送るのである。口メガホンの息の量は少しでよい。鼻メガホンに送る息のほうがメインで、口メガホンは発音を明確にするための補助的な役割さえ果たせばよいのだ。 まずは無声で、そのあと有声で、国井モデルの「ア’イ’ウ’エ’オ’」を発音してみよう。これまでの「アイウエオ」との違いを、自分で比較しながら実感してみてほしい。 国井モデルの「ア’イ’ウ’エ’オ’」は、英語の短母音a, i, u, e, oにほぼ等しいといってよい。「ア’イ’ウ’エ’オ’」が発音できれば、英語の母音の基礎はもうマスターできたも同然なのだ。 次回は国井モデルと英語の子音の関係について考える。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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平泳ぎ vs. 「国井モデル」

  鼻腔を共鳴管として使う仕組みのことを、僕は「鼻メガホン」と呼んでいる。日本語ではかつてほとんど使われることのなかったこの仕組みは、英語では以前から当たり前のように使われている単純きわまりないものだ。 だが、いくら僕がそう言葉で説明しても、はなから信用しない人もいるだろう。「鼻腔への通路は、鼻音(n、m、ngなど)や鼻母音を出すとき以外は閉じられている」という通説(俗説?)もあるらしいので、なおさらだ。鼻腔への通路が閉じられているとしたら、鼻メガホンの存在は否定されることになる。 でも、僕はこの通説こそが間違っている、と考えている。せっかく人間には鼻腔という共鳴管が与えられているのに、それを頭ごなしに「使うな」というほうがおかしいのだ。むしろ、「使えるものは上手に使え」というほうがよほど理にかなっている。それに、英語圏では実際使ってるんだもんね。 ネットを見ていると、英米人の間でも、たとえば歌うときに鼻に息が通るのはよいか悪いか、といった論争があるようだ。「鼻声は絶対によくないので鼻に息を通してはいけない」、「いや鼻も響かせたほうがよくて、鼻声に聞こえるのは鼻と口その他の共鳴のバランスが悪いからだ」などとやり合っている(当然僕は後者のほうが正しいと思う)。ただ、一般に英米人のしゃべる声を聞いてみる限り、彼らが日本人よりずっと鼻の響きを多用していることは明らかだ。きっと英米人の中にも、それと意識せずに鼻を共鳴させている人が多いんだろうと想像される。実際、露骨には鼻声に聞こえない程度ながらも、かなりしっかりと鼻腔を響かせている人が大半だ。 これはなかなか大事なポイントである。鼻を共鳴させていることは、おおっぴらにしすぎないほうがかっこいいのだ。鼻声というのは日本でもネガティブな意味で使われるが、英語圏でもnasal voiceはよくないとされる。ただし、安易にnasal voiceはバツ、とも言い切れない。まったく鼻の響きを排除してしまったら、それもバツとなるに違いないのだ。要するに、聞いた感じがよろしくないnasal voiceはバツ、聞きやすいものはマル、と思えばいい。 口メガホンと同期させながら、いろいろ工夫してさりげなく鼻メガホンの共鳴を加えるようにすれば、自然に響きが豊かになるので違和感が少ないし、聞き手の好感も得やすい。逆にそうした許容範囲内であれば、めいっぱい鼻メガホンを使ったほうがいいのだ。だってそのほうが格段によく声が響くから。(歌ってみるとその差は歴然だ。)このさりげなさと露骨さのちょうどいいバランスを追求してほしい。でも練習のときなら、ちょっとやり過ぎるぐらいがいいかもね。 鼻メガホンだけを鳴らすだけなら、そうむずかしくはない。純粋な鼻メガホンの響きに近いハミングは、誰でもまがりなりにできる。ほんとうにむずかしいのは、鼻メガホンをしっかり響かせながら、同時に口メガホンを併用して母音や子音をクリアに発音することなのだ。鼻メガホンが効いていても母音や子音がきれいに響かなければ、「鼻声」だとやゆされることになる。 日本語の場合は逆に鼻メガホンの響きがほとんどないため、子音や母音ははっきり出せても、響きが平べったくなって損することが多い。 さて、ここでちょっと前回やったことを思い出してほしい。窓ガラスを息で曇らせる、というやつだ。ただし前向きではなく、口蓋の奥の天窓に向けてハーッと吹きかける。この要領で上向きに出す「ハ」を「ハ’」と表記したが、この「ハ’」を発音するとき、鼻腔にはどの程度息が入っているだろうか。 それを簡単にチェックする方法がある。鼻をつまみながら発音してみるのだ。 鼻をつまんだまま「ハ’」を出してみると、鼻先がやや膨らむので、鼻孔の先近くまで息が来ているのがわかる。でもそこで行き止まりなので、逃げ場を失った鼻腔内の息は、口腔にオーバーフローする。 そのオーバーフローした息がどう流れるかを、しっかりと自分でトレースしてみてほしい。僕がやってみた結果では、オーバーフローした息は口腔のいちばん奥に戻され、そこから左右に分かれて頬の内側を伝い、口の左右から前に出て行く。つまんでいた鼻を開放しても、「ハ’」というときのこの息の流れは変わらない。 これは日本人の常識では考えられないような経路だが、鼻メガホンをめいっぱい使うとき、口メガホンのほうではこのオーバーフローした息だけが使われる感じなのである。これは今まで誰も教えてくれなかったコツだが、英語を発音するときはめちゃめちゃ重宝する。うそのように発音のクオリティが変わるのだ。 以前thの発音のヒケツとして、舌先の中央から前にthを押し出すのではなく、むしろ舌の左右に息を流すようにするとよい、と説明したことを覚えておいでだろうか? これがなぜ有効かというと、鼻腔に入りきらずにオーバーフローした息が口腔の左右からリリースされる、という英語的な息の流れにかなっているからなのだ。舌の左右を使うthは、この「ハ’」の息の流れに自然に乗るのできれいに響くのである。また、「lやrは舌の左右を使って発音する」と僕が説いたのもこれと符号する。口腔内の息の流れは、口の真ん中ではなくステレオ状に左右を通るのが英語本来の形なのだ。 日本語の「ハ」は、のどの奥のほうから開いた口の中央に向かって息を出す感じだが、「ハ’」では息がまず真上方向に上昇して鼻腔に向かう。のどから口蓋に向かって、息が常に太い柱のように吹き上げている感じだ。そのあと息の一部は鼻腔を通って出て行くが、一部は鼻腔に入りきらず、オーバーフローして口腔に押し戻される。そして、噴水のように吹き上げ続けている息の柱の脇を回り込むように左右の頬を伝いながら、最後に口から前へ出て行く。 この「ハ’」の息では、なによりもまず鼻メガホンを鳴らすことに重点が置かれている。そして口メガホンを鳴らす息は、あくまで脇役である。間接照明のように鼻腔からオーバーフローした後、えらく遠回りをしながら口の左右から出てくるのだ。これまでの「ハ」の単純明快な息の出し方に比べると、「ハ’」の息の流れはかなり複雑に見えるが、それでいて全体としての音の響きは「ハ」よりもはるかに豊かで聞きやすい。 要するに、核となる声の響きを鼻メガホンで作り、これに母音や子音の響きを口メガホンで付け加えるのだ。この種の分業体制が英語的な声の基本構成であることは、以前にもちょっと触れたかと思う。そのほかにも、頭蓋骨の上あごより上だけを使うことや、下あご以下は完全に脱力すること、前から風を受けて左右に翼を広げるようなハミング、発声と発音の分離など、有効と思われるイメージをこれまでいろいろと紹介してきたが、鼻メガホンというコンセプトを足がかりに、ようやくそれらを有機的に結びつける再現性のあるテクニックがはっきりと見えてきた。 この鼻メガホン系の息の出し方は、従来の日本語の息の出し方とまったく異なっている。 日本語の息を水泳にたとえるなら、のどから口へ向かって1人のスイマーが平泳ぎでまっすぐ水平に進む、というシンプルな図式だろう。 これに対し鼻メガホン系の息では、まず3人1組のスイマーがのどから口蓋に向かって垂直に伸び上がるように泳ぐ。そして主役を務める中央の1人が、口蓋帆の裏からバタフライのように前方へダイブして鼻腔に入り、鼻メガホンを響かせる。 脇を固める2人は、口蓋の直前でのけぞりながら後ろ向きにダイブしたあと、背泳のターンの要領でくるりと前方に向きを変え、さらに後続の3人1組のスイマーたちを邪魔しないよう左右二手に分かれて、クロールで口の左右に向かう。そして最終的には3人のスイマーが再びきれいにそろって前に出てくるのだ。 全般にアクロバット的でダイナミックな息の流れである。競泳というよりはシンクロナイズドスイミングに近いかもしれない。いくつかの泳法が複合しているが、究極のフリースタイルともいえるだろう。 このシンクロ風のルーティーンというか一連の息の流れは、これから何度も引き合いに出すことになるので、何かひと言でうまく表現する必要がある。そこで考えた末に、これを「国井モデル」と名付けることにした。 「国井モデル」:鼻腔と口腔を通る2つの息の流れを複合的に誘導することにより、豊かな響きを鼻メガホンで作りながら、同時に母音と子音を口メガホンでクリアに形成する発声・発音モデル。日本人の英語発音を一変させるのみならず、日本語の音声表現をもより豊かにする可能性を秘めている。 次回はこのモデルについて、さらに考察する。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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天窓ガラスと鼻メガホン

前回述べたように、従来の日本語はのどから口へストレートに声を出そうとする傾向が強い。その結果、使うのは口メガホンだけで、鼻メガホンはほとんど休眠状態となっている。 たとえば窓ガラスを拭くときに、こびりついた汚れにハーッと息を吹きかけて曇らせる場合を考えてみてほしい。このハーッという息は、のどからストレートに出てくるもので、日本語の「ハ」の出し方とほぼ同じだ。 ところが、英語でHa!とかHuh?とかHi!とかいう場合には、出し方がこの「ハ」とは明らかに違う。もっと高いポジションの吹き口から、鼻と口の両方のメガホンに同時に息を通すように発音するのだ。 そこまでは前回説明したとおりだ。しかし、この違いをもっと日本人に体感しやすい形で説明する方法はないだろうか。 そこで、こんなことを考えてみた。ガラス拭きで「ハーッ」と息を吹きかけるとき、のどから上がってきた息は前向きに方向転換する。これはごく普通にやっていることなので、僕らは普段この方向転換を意識してはいないが、このとき息は、のどから出たところで上方向から前方向へと向きを変えているのだ。「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」はどれも同じで、僕たちは息を前にはっきり方向転換させてから、口の前のガラスに吹きかけるように発音しているのである。 では、窓ガラスが口の前ではなく、口腔の天井(口蓋)にあるとイメージしたらどうだろうか。この想像上の天窓ガラスに、ハーッと息を吹きかけてみよう。息を前に方向転換していては、天窓には当たらなくなってしまう。だから肺から上がってきたそのままの方向で、口蓋の奥を覆う天窓ガラスを曇らせるように、上向きにハーッと息をかけるのである。できれば息がやや上後方に弓なりに反るぐらいでちょうどいい。前方向のガラスを曇らせるのと要領は同じだが、息の方向を変える必要がない分だけ、無駄な力はいらなくなる。そして、口の前方向へはあまり息が出て行かない。息の一部は鼻を通って出て行く。 これをもっと短時間でやると、従来の日本語の「ハ」とはちょっと違った、鼻メガホン系の「ハ」になる。天を突くハなので、これをもじって点付きのハ、すなわち「ハ’」と表記しておこう。 同じように、口蓋の奥に設けた天窓のガラスを息で曇らせるような要領で、ハ’、ヒ’、フ’、ヘ’、ホ’と発音してみよう。頭のてっぺんの天窓ガラスに向かってはっきり「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」と言うようなイメージだ。無理に息を前に向けようとせず、ひたすら天に向かって息を送るのである。このイメージを使うと、普通のハヒフヘホとの違いがわりと簡単に実感できるのではないだろうか? このとき何が起こったかというと、息の方向が前から上にシフトした結果、メガホンの吹き口がのどから口蓋付近にまで上昇したのである。「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」は息がのどから前に出て口メガホンだけを使っていたのに対し、「ハ’、ヒ’、フ’、ヘ’、ホ’」では、高い位置に上った息が口腔や鼻腔のカーブに沿って自然に方向転換し、一部は鼻メガホンに、一部は口メガホンに向かうのだ。 日本語では息を前向きにして口から出そうとする傾向が強く、「はっきり発音する=息を前に向ける」という図式が、小さい頃から僕たちの頭に擦り込まれている(これこそ「カナ縛り」である)。しかも、それをあまり自分では意識していない。だから鼻メガホンを多用する英語や西洋の声楽などに接すると戸惑ってしまい、違いがよく分からないまま日本語流ののど声で通す結果になる。ところが実は、天窓方向を意識しさえすれば日本語のカナ縛りは解け、まったく違った鼻メガホン系の響きが得られるのだ。 どうせなら日本語の五十音の発音の向きを徹底的に天窓化してみるとよいかもしれない。従来の日本語の発音は単に1つのやり方に過ぎないことが分かれば、もっといろんな可能性に目を向けることができるはずだ。そうすれば日本語の音声表現の幅も広がるだろうし、高位置の吹き口から鼻・口両メガホンに息を通す、という英語の発音・発声の基本形にも無理なくたどり着けるだろう。   英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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頭に潜む「楽器」の鳴らし方

ちょっとこの写真をみてほしい。何だかおわかりだろうか? http://enandis.com/en/designs/megaphone.html これはiPhoneを右上の吹き口に差し込んで、音を自然に増幅させるアイテムだ。イタリア製でデザインもなかなか美しく、ちょっと楽器のようにも見える。材質はセラミック。Megaphoneという商品名は、一見ベタなようだが「メガホン」と「電話」のかけことばになっている。 スマホの小さな音も、このような共鳴体を使えばアンプなしでも結構大きな音になる。電気を使わないこうした増幅の仕方は、英語ではパッシブ・アンプリフィケーションと呼ばれている。ごくシンプルな仕組みだが、多くの管楽器は基本的にこれで音を大きくしている。昔の蓄音機もこの原理を使っていた。こうした簡易メガホンの仕組みは、そのまま人間の声を出す仕組みにも当てはまるに違いない。 ある日ふとこの写真を目にした僕は、「これだ」と直感した。僕はこれまで、口と鼻を共鳴体としてどう使うか、という問題をずっと考えてきたのだが、その原型がこれではないか、と感じたのだ。この製品では音の出口は1つしかないが、まあこれは口と鼻を一体化させたものと考えればいいだろう。適当に中に間仕切りを入れれば、人間の口腔と鼻腔と同じようなイメージになるはずだ。それよりも僕が強く興味を感じたのは、吹き口のポジションだ。上から斜め下に向かって音を吹き込むような形になっている。 前回も述べたとおり、鼻メガホンをうまく使うには吹き口のポジションを高くとる必要がある。口蓋垂や口蓋帆の後ろから息を吹き込むことで、口だけでなく鼻もメガホンとして活用できるようになるからだ。上の写真でiPhoneが差し込まれている部分は、まさにその理想的な吹き口のポジションなのだ。 自分の後頭部に、貯金箱のコイン投入口に似た大きな切れ目が水平に開いている様子を想像してみてほしい。そこにスマホを斜めに差し込むと、鼻の奥のちょうどいいポジションにスマホの底のスピーカー部分がくる。そこを吹き口として、口と鼻の両方をメガホンとして機能させるイメージだ。 この角度で吹き口を設定すると、いやでも鼻メガホンにも息が入らざるを得ない。もちろん一部は口メガホンにも向かう。だから自然と鼻・口両メガホンが同時に響くのだ。 これに対し、日本語では一般に吹き口がのどの奥の低い場所に設定されていて、角度はやや上向きである(下の青いメガホンの感じ)。息は口メガホンだけを鳴らすために使われ、鼻メガホンにはほとんど息が入らない。 https://www.ring-g.co.jp/item/10000184.htm 多くの人が抱える問題は、高いポジションに普段とは別の吹き口があることをまったく認識していない、という点だ。だから、英語で多用される鼻メガホンは眠ったままになっている。低い吹き口のままいくら英語らしい声を出そうとしても、そもそも息の通り道が違うのだからうまくいくはずがない。のどで発声せよ、などと言われてもうまくいかないのは、のどを意識している限り吹き口の位置は低いままで、鼻メガホンが使えないからだ。どうせならのどではなく、鼻の奥に意識を移したほうがよほどうまくいく。腹式呼吸をしなさい、などというアドバイスもそれと同じで、吹き口の高さが低いままだったら腹式呼吸なんかやっても何の意味もない。実際は順序が逆で、吹き口を高い位置に保持しようとすれば、いやでも腹式呼吸になるのだ。 まずはこの吹き口のポジションの違いをしっかりと意識に植え付けよう。そして、高い吹き口から鼻と口の両方に息を吹き込む、という、従来日本人にはあまりなじみのなかった感覚に、一刻も早く慣れることだ。 これができるようになると、英語だけでなく日本語の発音・発声も見違えるように変化する。好き嫌いはあるかもしれないけどね。そういえば最近のナレーターやアナウンサーなどの声を聞いていると、日本語でもすう勢として鼻メガホン系の声が勢力を伸ばしつつあるようだ。これを日本語として聞きやすくするには、特に子音に関して英語と少し違う工夫が必要だが、吹き口の高さの違いを克服する困難に比べれば、さほど難しいことではない。 もちろん歌声も劇的に変化する。発声が見違えるほど楽になり、声域も広がるのだ。 僕たちはみな鼻と口といういい楽器を持っている。だから、その両方を自然と響かせるように努力したほうがいい。チープなプラスチックのメガホンで応援団みたいに力んだ声を張り上げ続ける必要はどこにもないのだ。声はもっと楽に出る。変えるべきものはただ一つ、頭の中の意識だけである。   英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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「鼻メガホン」と母音・子音の関係

前回触れた「鼻メガホン」というコンセプトは、その後いろいろと実験を繰り返してみたが、かなり使えそうだ。というか、発声の核心に相当近いところを突いているんだと思う。 要するに、英語では鼻を共鳴管として使う、というのがポイントだ。これに対し、日本語は概してこの鼻メガホンに通じる部分を塞ぐような形で発声・発音する。その結果、のど声あるいはカナ縛り発声になってしまうのだ。 いちばん肝心なのは、たぶん共鳴管に息を吹き込むポジションだろう。 ちょっと鏡を見ながら口を開けて、奥をのぞいてみてほしい。鍾乳洞から垂れ下がる鍾乳石みたいに見えるのが、口蓋垂(いわゆるのどちんこ)だ。その後ろに、鼻腔へとつながる通路が隠れている。口蓋垂の根元はカーテンみたいに口蓋の奥の左右に広がっていて(口蓋帆[こうがいはん]と呼ぶ)、これが奥へせり上がって鼻腔への通路を塞ぐ働きをする。 日本語では一般的に、気持ちを込めて発音しようとすればするほど、口蓋帆は鼻メガホンの入り口を塞いでしまう。極端な例だが、CMなんかで俳優が冷えたビールをくーっと飲んで、そののどごしにたまらず出す「あ゛ーッ」というため息混じりの声なんかは、まさに口蓋帆が完全に鼻メガホンの入り口をブロックして出す音だ。逆にいうと、この口蓋帆をリラックスさせて自由にコントロールできれば、鼻メガホンに息を通して共鳴を付け加えることができる。これが第1のポイントである。 しかし、いくら口蓋帆を弛緩させて息が鼻腔へ通りやすくなっても、のどから出る息がほとんど全部口の方向へ向かってしまうと、鼻メガホンはないも同然だ。だから、意識的に息の出所を口蓋垂(および口蓋帆)の裏側にもっていくようにする必要がある。つまり、肺から上ってきた息が前方向に向きを変えるポジションを、普段よりかなり高くするよう心がけるのだ。これが第2のポイントである。 前回の説明では、口メガホンと鼻メガホンの吹き口がのどの低い位置にあるように図示したが、これに少し微調整を加えておきたい。英語的な発声では、鼻の奥、口蓋帆の裏あたりの高いポジションに吹き口を設定し、そこから鼻メガホンと口メガホンの両方に息を吹き込む、というイメージのほうが自然なように思うので、そのように修正したい。(吹き口が1つなので、口メガホンと鼻メガホンは常に同期することになり、コントロールすべき項目が1つ減るのも大きなメリットだ。) これに対し通常の日本語は、低いポジションの吹き口から口メガホンにだけ息が流れ、鼻メガホンは塞いで使わない、というイメージである。 さて、第2のポイントとして挙げた「吹き口を高いポジションに設定する」という点は、以前から述べてきた「発声ポジションを高くとる」という話と無関係ではない。というか、本質的にはかなり近い。ただし、吹き口はあくまで息の入り口であって、共鳴が作られるのはメガホンに息が入ってから後なので、吹き口は発声ポジションよりもだいぶ後ろにくることになる。 したがって、吹き口をコントロールするにはこれまでとはやや違った弛緩が必要となる。まず、口蓋垂と口蓋帆の位置を目で見て確認しておこう。そして、口蓋垂のちょうど真うしろあたりに口・鼻両メガホンの吹き口を置くようにイメージしよう。フーッと柔らかく息を吐きながら、息が口蓋垂や口蓋帆に当たって上下に二分割され、半分は鼻腔に、半分は口腔に流れるようすを意識してみよう。うまく息の流れが分かれたときには、口蓋垂と口蓋帆が弛緩しているので、その感覚をしっかり覚えておくとよい。無理に鼻に息を通そうとすると、今度は口腔が舌で塞がれる恐れがあるので、なるべく無理な力を入れずに鼻と口に平等に息を流すよう練習するとよい。 さらに言えば、鼻腔に入った息をさらに左右に分かれさせるよう意識すると、不思議と抵抗が少なくなり、驚くほど流れがよくなる。これもぜひ試してみてほしい。鼻メガホンを左右2本に分けて、ステレオで鳴らすような感覚である。(鼻の穴は2つあるので、鼻メガホンも同様に2つあると思えばいい。) フーッという息をうまく鼻と口に吹き込むことができたら、次はヘーッという無声音で試してみよう。日本語的な「ヘー」だと、まず鼻には息が入っていかない。吹き口が低すぎるのだ。吹き口を高く意識して、口の上半分と鼻だけでヘーッと柔らかく息を出すようにする。 これがうまくできれば、もう鼻メガホンと口メガホンの二重唱はできたも同然だ。日本語のヘーッとずいぶん感じが違うことをしっかりと味わおう。 さらにヒーッ、ホーッでも同じように練習していこう。 そして最後にハーッを同じく無声音で練習する。aは鼻メガホンを使った時にいちばん違和感がある母音なので、この練習は最後にもってきたほうがよい。 鼻メガホンを封印した普通の「はひふへほ」と、鼻メガホンを使って発音する「ハヒフヘホ」を聴き比べてみると、後者のほうはいつもの日本語とはだいぶ違って、英語っぽい音に聞こえるはずだ。そしてもう1つ、母音だけではなくhの子音も、日本語のそれとはまったく違った音に聞こえることにお気づきだろうか。 実は鼻メガホンを併用すると、子音のクオリティも激変するのである。 日本語の子音は、基本的に口メガホンだけで発音できてしまうし、吹き口のポジションも低い。 これに対し、英語の子音はたいてい鼻メガホンを併用し、吹き口のポジションも高い。そしてもう1つ重要なポイントは、子音を作り始める場所が鼻メガホンの吹き口と一致する、という点だ。英語ではどの子音を発音する場合でも、まず鼻メガホンの吹き口からその子音を作るよう意識することが大切なのである(国井の経験則)。 要するに、吹き口さえしっかり設定してコントロールすれば、それ以外の箇所はあまり考えなくてもうまく発音できるのである。のどにも舌にも唇にも、一切余計な力を加える必要はない。吹き口をうまくコントロールしながら発音するだけで、自然とリラックスした豊かな響きがついてくるのである。つまり、通常の日本語に比べて圧倒的に省エネで発声・発音ができる、というわけだ。 先ほどの「ハヒフヘホ」(h)の例にならって、もう1つ「サシスセソ」(s)も実践しておこう。 まずふつうに「さしすせそ」と日本語で発音してみる。 次に、鼻・口両メガホンの吹き口を高く設定して、特に鼻メガホンを左右2つ使うよう心がけながら、「サシスセソ」と発音してみる。その際、sの発音が始まるポイントを、メガホンの吹き口に一致させ(かなり口腔の奥深く、しかも高いポジションになる)、吹き口や流れる息の周囲をsの音が囲むようにイメージしながら発音してみよう。タバコの煙でわっかを作るようにsを発音する、と考えてもよい。 日本語では普通、開いた口の真ん中か少し前でsを発音する感じなので、それに比べるとずいぶん奥でsの音を作り始めることになる。しかも、常に母音の外側を子音が皮のように包んでいる感じにしたい。焼き鳥の串みたいに子音が母音の真ん中を貫き通すようだと、日本語の音になってしまう。 この子音の出し方を身につけて、すべての子音に適用してみよう。それができるようになれば、もう英語の子音は恐くない。僕が提唱するこの子音の発音則をマスターしてしまえば、英語の母音も同じように楽々と出せるようになる。真にカナ縛りから脱却できる日は、すぐそこまで来ているのだ。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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「鼻メガホン」の使い方

再び子音の話に戻ろう。thやl、rなどの発音のコツとして、舌を魚にたとえたのはご記憶のことと思う(細長いヒラメ、ウナギ、エイなど)。 これらの発音の完成度をさらに高める上で、僕的にはかなり役立っているコツがもう1つある。 どうするかというと、舌を魚にたとえたイメージはそのまま生かしながら、魚のしっぽの部分を頭に置き換えてしまうのである。あるいは、魚の体の後ろ半分をちょんぎって、そこに前半分のクローンを継ぎ足すようなイメージだ。つまり、舌はしっぽがなくて前にも後ろにも頭がある魚、と想像してみるのだ。 僕たち日本人の常識では、舌は常に前向きだし、息も常に前に出すのが当たり前だ。それ以外の息の出し方は、たぶん考えたこともない人がほとんどではないだろうか。 そこが最大の盲点なのだ。 僕たちは小さい頃から、息はのどの奥から口の真ん中を通って前へ吐き出すものだ、と信じ切ってきた。だから声を出すときの息の通り道といえば、野球の応援に使うプラスチックのメガホンみたいな形を思い浮かべる人がほとんどではないだろうか。 これはカナ縛り発声のアーキタイプ(元型)と言ってもよいほどパワフルなイメージで、容易には突き崩せないものである。 この単純なメガホンのイメージが頭に残っている限り、声を出そうとすると必ず息のルートが前だけを向いてしまい、そのまま音量を上げようとすればのどに力が入らざるを得なくなる。 その弊害が最も顕著に表れるのが、英語の子音を発音するときだ。 日本人が英語の子音を発音しようとするときは、必ずといっていいほど口先の部分に意識が集まってしまう。すでにthやrでも説明したが、僕たちは子音をつい口先から出す息に乗せようとしてしまいがちなのだ。これはほとんど本能的といってもよい。 日本人は子音が弱い、などという指導者も多いようだが、そういわれて僕たちがいくら口先に息を集めて圧力を高めてみても、どうも聞こえてくる音の質がほんものとは違うのである。(これは日本人の合唱練習などでもよく見かけるパターンで、「もっと子音を強く」と言われると、誰もが判で押したように口先部分の息圧を強めて発音するのだが、これでは決して納得のいくサウンドは得られない。) ほんものに近いサウンドを出すにはどうしたらよいか、いろいろ試行錯誤を繰り返した結果、僕はあるかなり有望な仮説に到達した。英語では(そしてたぶんその兄弟分のヨーロッパ言語の多くも)、声の出口として口だけではなく鼻腔も使っていて、鼻はエコーを付ける役目を果たしている、という考え方である。 日本語は口をプラスチックのメガホンのように使う、というイメージを上で述べたが、これに対し、英語はメガホンを2本使うイメージだ、と提唱したい。1本は口のほうに向かい、もう1本はいったん口の奥に戻った後で上に曲がりながらUターンし、鼻腔を通って前に向かう。最後は上下平行に鼻と口からサウンドが出てくるイメージである。 多くの日本人は、通常ほとんどこの「鼻メガホン」を使わない。だが英語では、鼻メガホンがたいへん重要な役割を果たしている。これをいかにうまく使いこなすかによって、英語らしいサウンドが出るか否かがほぼ決まるのである。 人間は、どの国の人でも同じだが、リラックスして軽く口を開けたまま息をすると、自然に口と鼻の両方から息が出入りするようにできている。なので、この人間本来の息の出し方に準ずるならば、自然と声も鼻と口の両方から出るはずなのだ。しかし日本人は言語の文化的背景から、口を通る声の成分ばかりを偏重し、鼻を通る成分は最小限に抑えてきた経緯がある。だからのど声が好まれる一方、英語の発音は苦手な人が圧倒的に多い。 なので、鼻メガホンを使うことには最初かなり抵抗のある人が多いに違いない。それを徐々に取り除いていくのがとりあえずの目標だ。 そのとっかかりとしては、子音から入るのがいちばんいいと思う。 先にも述べたが、日本人は子音を口先で作りたがる。シーッとかシュッとか、強く言おうとしてみればわかる。しかし、実はこのとき鼻メガホンは最初から完全に閉じられた状態なのだ。 これに対し、英語では驚いたことに強い子音を発音するときでも、鼻メガホンを閉じないのである。子音が強ければ強いほど、鼻メガホンを経由して出てくる成分も強くなるのだ。僕たち日本人の耳には口先だけで強く子音を発音しているように聞こえるかもしれないが、実は英語では鼻メガホンも口メガホンとほぼ同じ強さで鳴らしていると思ってよい。鼻メガホンの役割はエコーを加えることだが、エコーと基音とを完全にシンクロさせることで、音がより豊かに増幅されて聞こえるのである。 肝心なのは、口と鼻のメガホンから出る音を完全に同期させることにある。このバランスがとれていないと、鼻声に聞こえたり口先だけの声に聞こえたりする。 では、どうすれば口と鼻のメガホンを簡単に同期させられるだろうか? そこで活躍するのが、冒頭に述べた前にも後ろにも頭のある魚のイメージである。舌の中央から前と後ろが、鏡で映したようにまったく同じになっている、と想像してもよい。 舌の上の息の流れもまったく同様で、舌先から前に息を出す際には、同時に舌の後ろ側で口の奥に向かって同じ量だけ息を送るように意識するとよい。舌の中心から、前後にそれぞれまったく同じ量だけ息を送るイメージである。どちらが前でどちらが後ろかわからないくらいにすることがポイントだ。こうすることで、口と鼻のメガホンを通る息のバランスが保たれる。そして、口と鼻から出る音がぴったりシンクロして響き合うのである。 子音を発音するときに、僕たちはつい舌の先端の動きばかりを意識してしまうが、そのとき同時に舌の後ろ側もまったく同じように動かすことを意識すれば、前後のバランスがとれるのである。 sを例にとってみよう。ssss-と子音だけ伸ばしてみる。日本語で「スー」とイメージすると、たいてい口からしか子音が出ず、舌の先端あたりだけで摩擦音が鳴る感じになってしまう。これではまずいので、次に舌の後ろでも同時にsを作るように試みてほしい。舌の先端と後ろで同時に逆方向にsを発音するような感じだ。 後ろ向きのsは、口の奥から上に向かって鼻の奥に入り、Uターンして鼻から出てくるイメージである。これを意識するだけで、もうあなたの息は自然な響きを獲得し始めている。今までのように息を前に出すことばかりを考えるのではなく、半分を後ろに送ってから鼻へ向かわせるよう意識することで、のどの力みがとれ、弛緩したいい状態になるのだ。 ついでに f も試してみよう。日本人は、下唇を噛んで上前歯とのすき間から強く前へ出す音が f だと思っているが、このセオリーに縛られているといつまでたってもハイクオリティーの f は得られない。上に述べたように、鼻メガホンの入り口のほう(後ろ向き)にも同じく強めに息を送るようにすることが肝心なのだ。 なぜかというと、こうした子音は母音を導入する役割を担うので、母音が響きやすいようにコンディションを整えることが求められるからだ。口先だけで子音をいくら強く発音しても、その後に続く母音はのど声にしかならない。しっかり鼻メガホンにも子音を響かせておくことによって、次の母音にも豊かな響きが確保されるのだ。 これとまったく同じ要領に従えば、v もすぐにうまく発音できるようになる。口先だけで強く摩擦音を出そうとするのではなく、口の奥のほうでもミラーイメージのように v の音を送るように意識してみよう。奥に向かった影の子音は、鼻メガホンを通って最後に口からの子音と合流し、互いに強め合う。そして続く母音もより豊かな響きを得ることになる。 音声サンプル sound – fine – very この口と鼻の二重唱を絶えず保つことが、従来の日本語にはなかった英語的な響きを紡ぎ出すヒケツといってもよい。   英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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「発声ポジション」についての補足

ちょっとだけ子音から離れて、発声ポジションについて補足しておこう。これまで発声について説明してきた内容と重複するかもしれないが、少し角度を変えたアプローチをとってみるのもいいと思うので。 英語では日本語よりも発声ポジションが高い、と何度も述べたが、「発声ポジション」という言葉についてはちょっと説明不足だったかもしれない。 この言葉でいいたいのは、息が声に変わるポイント、という意味である。僕が考え出した概念で、あくまでイメージではあるが、発声の補助テクニックとしてはけっこう使えるのではないかと思う。 物理的には、肺から気管支や気管を通って出てくる息は、声帯を経てはじめて声になるので、声帯のある場所(=のどの奥)が発声ポジションでなければならないはずなのだが、たとえばクラシックの声楽では、特にのどを強調することはしない。むしろ逆に、のどをリラックスさせることが鉄則となっている。これはなぜだろうか? 人間の体感というのは不思議なもので、のどを意識すればするほどかえってのどが緊張し、のびやかな響きが出なくなってしまうのだ。 だから、クラシックの声楽指導ではのどにはほとんど言及しない。むしろ頭の後ろだの、鼻腔だの、額だのと、まるであらぬ方向に響きを向けさせようとする。そして、歌うときにはのどのことなど忘れてしまうくらいに力を抜くことを目指すのである。 英語の発声も、これと大いに通じるところがある。ただ日本人にとって難しいのは、日本語ではのどに力を入れる発声がデフォルトなので、僕たちは母音や子音をはっきり発音しようとするだけでついのどに力が入ってしまうのだ(これが「カナ縛り」である)。 これを打破するためには、日本語での発声ポジションと英語の発声ポジションの違いを明確に意識する必要がある。そこで、肺から出る息がどこまで息のままで、どこから声に変わるかを、自分で意識しながら探ってみるとよい。そしてさらに、ハミングしながら息が声に変わるポイントをいろいろと変えてみよう。 声になる前の息が「無色透明」だとすると、声になったあとの息には「色」が加わる、とイメージするとわかりやすいかもしれない。自分の息がどこで声に変わるかを意識し、そこではじめて息が無色からカラーになるさまを想像する。その変化が起きるポイントが、発声ポジションというわけだ。 あるいは、息が声に変わるときに光を放つ、というイメージを持ってもよいだろう。息が発声ポジションを通過した途端に、まばゆく光り輝き始める様子を思い描くのである。どちらも目的は同じなので、自分に合ったイメージを選んで練習すればよい。 まずは常識的に(というか日本語的に)、のどで息が声に変わる、と意識してハミングしてみよう。のどのあたりで息が無色から自分の好きなカラーになったり、息が光り始めるようなイメージだ。 次に、発声ポジションをのどよりやや上、口の奥あたりまで上げてみる。息がのどを通り過ぎてもまだ声にはならず、口の奥に達したところで初めて声に変わるよう意識しながらハミングしてみるのだ。無色透明な息が、口の奥まで来たところでカラーになったり光り輝くような様子をイメージしてみよう。 やってみると、違いがかなり実感できるのではないだろうか。発声ポジションを少し上げるだけで、もうのどの奥はだいぶ力が抜けているのである。ただし、今やったポジションで発声していると、のどの入り口が緊張したままなので、浅い平べったい声にしか聞こえない。 そこでさらに、発声ポジションをもっと上に、そしてより前へと移動する必要がある。鼻の中、あるいは鼻先、さらには鼻の前ぐらいに発声ポジションを置いてみるといい。そのポイントまで息は無色透明のままに保ち、そこから息に色やまばゆい輝きが付くかのようなイメージだ。繰り返すが、設定した発声ポジションに息が達するまでは息を声にせず、無音ないし透明のままに保つよう意識すること。のどを入り口から奥まで完全にリラックスさせることが、この練習の目的なのだ。 (現実にはありえないことだが)声帯がのどではなく鼻の付近にあるかのように意識することで、のどの力が抜けた発声が容易にできるのである。これが僕の言う第二の声帯、あるいは声帯のツボなのだ。 さらにいうなら、子音が作られる場所(口内や唇)よりもさらに遠くに発声ポジションを置くことができればもっとよい。常識では、まず声があって、それが子音を後押しする格好になるんだろうが、それではのどが力みがちになる。だから、あえて自分をだますのである。子音の発音ポイントよりも遠くに発声ポジションを設定すれば、自然と力みのない声が出せるようになるのだ。ちなみに声楽では、声をさらに遠くに飛ばす(すなわち発声ポジションを自分のはるか前方に置く)ことも、当たり前のように説かれている。(これは英語による発声指導ではprojectionという用語で説明されることが多い。) 「発声ポジション」という考え方は、あながちでたらめではない。昔の蓄音機は、電気を一切使わないにもかかわらず、針先の振動を音響的に増幅して結構大きな音を鳴らすことができた。振動しているのはレコードに触れる針先なのだが、そこでは音はほとんど聞こえない。共鳴管を通ることで、はじめて耳に聞こえる音になるのである。つまり、音になるポイントは共鳴体を通過するところ、あるいはその先なのだ。 人間の体も同じで、声帯から出る音はごく小さく、そのままでは聞こえない。息が体を通ってしかるべく共鳴を獲得しながら成長し、最後にちゃんと聞こえる声になるのである。そう考えれば、声帯が発声ポジションではないことは明らかだ。いくら一生懸命になって声帯をふるわせようとしても、効果はないのである。同じく、のども発声ポジションではありえない。共鳴体をいろいろ経た後、最後に蓄音機のラッパ管のように出てくるところ、あるいはその先が、本当の発声ポジションになるのだ。「発声ポジションはのどではなくもっと高いところにある」と僕が口をすっぱくして説いてきた理由は、そこなのである。 日本語は主に口をラッパ管に使うが、英語では鼻腔もかなり併用するので、同じラッパ管でも発声ポジションはもっと上になる。なので、その場所から最も豊かに響きが出てくるようにしよう、というのがハイポジションでの発声を目指す理由の1つなのだ。 この近辺に発声ポジションを意識し、そこではじめて息が声に変わるようにイメージしていけば、のどは完全にリラックスし、遠からずのど声から脱却できるはずだ。 世間には「発声はのどの奥でやる」と思っている人が少なくないようだ。声帯はのどの奥にあるんだから当然のようにも思えるが、前述のとおり実はそこには大きな落とし穴が潜んでいる。この一見もっともらしい理屈に縛られて、かえってのどから力が抜けなくなってしまうのだ。加えて、日本人は元来のど声が好きなので、二重にがんじがらめになりやすい。だからある意味、頭を柔らかくして理性と闘うぐらいの決意をしないと、リラックスした発声はできない。 ではどうするか。「のどで発声するのではない!」と自分に言い聞かせ続けることだ。これは英語でも声楽でも鉄則だと思ってほしい。のどの入り口だろうと奥だろうと、のどは発声には一切無関係だと信じ切ることだ。カナ縛りとの葛藤も加わるので、ここがほんとうの天王山になるのだが、いったん克服できると面白いほど簡単に声を響かせることができるようになる。だからぜひ探究してほしい。(完全に無理のない発声を習得した後は、わざとのどに力を入れて声色を変えたりすることも自由自在になるが、それまでは決してのどに力を入れないことを心に誓ってほしい。) 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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rとlの発音をマスターする極意

前回の内容を読んで実践していただければ、もうrもlもマスターできたも同然なんだが、もう少しだけ説明を加えておこう。 日本人がrとlの発音を苦手としている原因は、いったいどこにあるかおわかりだろうか? それは、「子音は開いた口の正面中央から出す」という暗黙の了解が日本語にはあるからだ。 たとえば「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ」と五十音の最上列だけ読んでみればわかるように、僕たち日本語ネイティブスピーカーは母音(たとえば「あ」)で開いた口の中心に子音を作ろうとする傾向が強い。こうしたほうが、母音と子音が一体化して明瞭に聞こえるからだ。 d, k, sなどの子音は、舌の出る幕が比較的少ないので、こういう日本的な発音に当てはめても破たんしにくいのだが、やっかいなのはthをはじめlやrなど、本来は舌をセパレーターとして使って左右にステレオで息を出しながら発音する子音だ。 僕たちの日本語的な本能からいうと、子音を発音するときに舌が口の真ん中にでしゃばってきて中央をブロックするなんて、邪道もいいところだ。ところが英語では、舌を息のセパレーターとして機能させないと正しいthやlやrは出せないのである。 日本人がthやlやrの発音が苦手なのは、まさにこの葛藤からきている。それでいて、この葛藤に気づく人はあまりにも少なかった(というか、誰か気づいた人がいただろうか?)だから僕たちは、舌が命のthやlやrを発音するときでも、つい舌を出動させるのをためらってしまうのだ。しかも、出動の方法も大抵間違っている。このままでは、ほとんど手の施しようがない。 とすると、日本人にこうした子音をちゃんと発音させるには、ちょっとした荒療治が必要かもしれない。 (ただし前提としては、上あごから上だけを使って発声するハイポジション発声が求められるので、それもいっしょに練習しておいてほしい。mやnのハミング練習は特に大事だ。) 荒療治のやり方はいくつか考えられるが、とりあえず1つだけ紹介しておこう。 最初に、nでハミングしてみる。このとき、舌先は自然と口蓋と前歯の根元あたりに付ける形になるはずだ。舌全体は、口をブロックする格好になっている。決して無理に口から声を出そうとせず、むしろ自然に鼻腔から出るにまかせるようにする。なるべく高いポジションから声が出ていくようにするのである。 それと同時に、舌の両脇を意識してみよう。息が舌の両脇の上を流れ、左右2本の気流となって鼻のほうへ抜けていくさまを想像してほしい。nのハミングは、こうして舌の両脇から鼻のほうへ抜ける2つのステレオ気流が生み出す音だ、と考えてほしい。このとき、息が口の正面に向かうような動きはまったくない。もし口の正面に息を向かわせている自分に気づいたら、方向を修正して、もっと気流を鼻腔に向かわせるようにする。そのほうが、ハミングの響きも豊かになるのだ。 それから、息が声になるポイントは、息が鼻から出ていく直前ぐらいだと考えてほしい。決してのどで声を作ってから鼻へ送ろうなどとはしないこと。これはのどに力が入る原因になる。発声ポジション(第二の声帯、あるいは声帯のツボ)はあくまで高く、鼻の付近、顔面に近い場所にあるのだ。 さて、ここでlの練習に移ろう。舌は先端をややすぼめて上前歯の裏に軽く当てる。そして、舌の左右両端から鼻腔に向かう2本の気流を意識しながら、息を送る。そして鼻の付近で左右2本の息を声に変えて、lを発音する。 注意してほしいのは、舌の左右から舌の裏側に息が回り込まないようにすることだ。もし息が回り込んでしまうと、その先は口の正面から逃がすしかなくなる。日本語の子音ならば口の正面から音を出すのが筋なのだが、あいにく英語のlではそこは使わない。口の正面は実質的にブロックしながら、あくまで左右にステレオで息を流すことが、正しい英語のlを響かせる必須条件なのである。 荒療治として、lを発音する口や舌のフォームを作ったあと、人差し指を立てて上下の唇に触れさせてみよう。そして、lの音が人差し指に当たることなく、その左右に分かれてステレオで出て行くように発音するのだ。 すでに舌がセパレーターとして口の中で立ちはだかっているのだが、日本人の本能としては、子音を口の正面で出したくってうずうずしてしまう。だからつい舌の両端に息を回り込ませて、正面に息を出そうとする衝動が働くのだ。それを抑えるためにこの荒療治をやるのである。 いくつかlで始まる単語を発音しておこう。 音声サンプル(lead, light, lest, law, lootの順に、2回繰り返す。カナ縛り発音の例は今回省略する) では、rはどうだろうか。前回指摘したとおり、rは舌の両脇をlよりダイナミックに動かして発音する点が違うが、口の正面からモノラルで音を出さない、という点はlと共通している。なので、先ほど述べた荒療治がそのまま使える。 従来の指導で多かった「舌の先端を内側に巻き込んで前に展開させる」ような前後の動きをしていては、日本語的なrの発音にしかならないので、これは封印しよう。むしろ、舌の左右両端をエイかマンタのヒレのようにゆっくり羽ばたかせる動きを意識したほうがいい。 先ほどのように、人差し指を立てて上下の唇に触れさせたまま、舌の両端を羽ばたかせるようにrを発音してみよう。立てた人差し指に声が当たらないようにすること。しっかり左右に音をセパレートさせ、なるべく高いポジションから音が出るようにする。 音声サンプル(read, right, rest, raw, root 同上) 最後に、lとrの比較練習をしておこう。lの舌の形は、エイではなくウナギかアナゴのようにまっすぐでヒレがない。その左右をするりと息が抜けていく感じは、rのヒレが生み出す抵抗感と比べるとはっきり違いがある。その差をよく意識して自分のものにしよう。 これができれば、あなたのrとlの発音にはもう文句のつけようがなくなるはずだ。 (ちなみにthの舌の形はlとrの中間で、魚にたとえれば細長いヒラメだろうか。左右の縁側が息に多少の抵抗感をもたらすが、rほど顕著ではない。) 音声サンプル(lead – read; light – right; lest – rest; law – raw; loot – rootを1回ずつ、最後に応用としてa real thriller) 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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thとrの相似性

英語の子音の中でも、rの発音ほどひどく誤解されているものは、他にないのではないだろうか。日本人がrの発音を苦手とする理由も、たぶんそこにある。 誤解されているのは、「舌の形」だ。一般的には、ゼンマイを巻き込むように、あるいはスキー板の先端のように、舌の先をぐっと上に反らせ、そこに息を当てながら発音する、といった指導が多い。ところが実は、これはどうしようもないほど間違ったやり方なのだ。 なぜかというと、そうやってrを発音した場合は、後に続く母音が必ずと言っていいほどカナ縛り発声になってしまうからだ。 試しに、舌の先をスキー板の先端みたいに反らせてrを発音してからaの長母音を続けてみると、どうなるだろうか。 舌の先は緊張が解けてまっすぐに伸び、その上を転がるように母音が続いて、口の正面真ん中を出て行くことになる。日本語のラとかなり似た音だ。舌の先端が口蓋に触れない点と、発音し始めの舌先の位置がラよりも口の奥にある点が違っているが、そのあとの母音の出方はラと変わらない。だからほとんどの学習者は、ラとraの母音の違いに気づくことなく、発音フォームを固めてしまう。子音部分だけはなんとなくそれらしい音が出るので、そこで満足してしまうのである。 舌先を手前に丸めるようにしながら発音するrは、しょせん擬似的なrに過ぎない。発音テクニックとしては、厳密にいうと間違っているのである。 この間違いを正さないと、日本人のrの発音はたぶん永遠によくならない。 では、どうするか。 ヒントはthの発音にある。thとl(エル)の発音に相似性があったことを思い起こしてほしい。もしかしてthとrの発音にも、同じように相似性があるのではないだろうか。だとすれば、そこが突破口となるはずだ。 th発音のポイントは前にも述べたとおり、主に舌の両脇に息を流すよう意識して、ステレオ感覚で音を作ることにある(もちろんこのとき、舌に余計な力が入らないようリラックスしておくことも大切だ)。 実はrの発音も要領はthと同じで、ポイントは舌の両脇にある。 舌の左右と口蓋の間にできる空間をうまく使ってステレオで発音することで、同じ基本フォームからthやlやrが作れるのだ。このとき舌は、息を左右に分ける一種のセパレーターとしての役目を果たす。したがって、舌の両脇の使い方が何より重要になってくる。 従来いわれてきたrの発音フォームといちばん大きく違うのは、舌先を手前に巻き込む必要がない、という点だ。やりたければ多少巻き込んでも構わないが、それは必要条件ではないのである。 その代わりに、舌の両脇、とくに舌の中ほどからやや奥にかけての左右両端を、口蓋に近づけてから離す、という動作を意識しながら、rayと発音してみよう。 この舌の形は、海を泳ぐエイ(ray)にどこか似ていないだろうか。左右のヒレを上の口蓋に近づけては離す動きは、羽ばたくように泳ぐマンタの仕草を連想させる。その際に、息が左右に分かれて押し出され、英語らしいrの音がステレオで響くのだ。横方向の波動である。 これに対し、今まで教わってきたrの出し方は、カメレオンが巻いた舌を伸ばして虫を捕まえるときのように、中央正面を撃ち抜くような動作だった。もっぱら前方向の波動しか意識されていなかったのだ。当然、モードもステレオではなくモノラルである。 この違いさえわかれば、もうrの発音は恐くない。ただし、発声がのど声にならないようにくれぐれも注意。常に発声ポジションを高く保ち、下あごやのどには決して力を入れないことが肝心だ(詳細はこのブログを最初から読んでみてほしい)。うまくこの発声とかみあえば、rの音の海を自由自在に回遊できるようになる。 このrの発音を練習することで、すでに見てきたthやlの発音もより響きが豊かになってくるはずだ。舌の両脇の使い方が以前より上達してくるにつれて、より微妙なニュアンスの差を出せるようになるからだ。 舌の両サイドを使う、という共通ポイントをしっかりと意識することで、これまでもっぱら舌の中央から前へ押し出すことしか教えられてこなかった子音の発音が(rだけでなくthやlその他もそうだ)、劇的に変化するはずである。このテクニックを皆が共有するようになれば、遠からず日本人の英語発音には革命が起きる、と予言しておきたい。 参考までに、they, lay, rayの発音例を挙げておこう。例によって最初はカナ縛り発声+従来教えられてきた発音テクニックによるもの、次がハイポジション発声+新しい発音テクニックによるものである。 音声サンプル 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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thとl(エル)の相似性

thと舌の使い方について前回述べたが、このやり方がほぼそのまま応用できる別の子音がある。日本人が苦手とするl(エル)だ。 これまで説明してきた新しいth発音の舌の形は、実はlを発音するときの舌の形と非常によく似ている。どちらも、舌先をやや丸くすぼめるようにとがらせて軽く突き出し、舌の左右にスペースを作るよう意識する点は同じだ。 thとlでは、舌先を配置する場所がやや異なる。lの場合は、上前歯の付け根、歯茎に近いところに舌先を当てることが多い。発音するときは、舌先をあまり歯に強く押しつけず、むしろやや引き気味にしながら、舌の左右両側に息を通すようにする。その際、舌の上側には息を通さない。こうして作られる有声音がlになる。lの音を十分に響かせたら、最後に舌先を前歯からポンと放してフィニッシュしてもよい。 やってみると、舌先の位置はthの位置からあまり大きく変えないでもlが発音できることがわかるだろう。舌のフォームはほぼthのままでよい。舌先と上前歯の間のスペースをわずかに調節するだけで、thとlを発音し分けることができるのだ。 要するにthとlの一番大きな違いは、舌先と歯の間の空間がブロックされる割合なのである。 lの場合は、この空間が100%ブロックされ、息は舌の左右だけを通っていく。なので、lでは舌の先端が歯に触れた状態をわりとしっかりキープしておく必要がある(ただし舌は力ませないこと)。 これに対し、thでは舌先と歯の間の空間が左右からくさび状に空いていて、そこに息(声)が通る(これは前に指摘していなかった点だが、補足する必要があると思われるので追加しておく)。といっても、舌先の中央付近はほとんど歯との間に空間がないくらいにしておくほうがよい。ここが開きすぎると締まりのないthになってしまうので、なるべく舌先の中央よりも左右の端に近い部分を開けるようにし、全体の開き加減をうまく微調整しよう。絵文字にすると、thの舌先と上前歯の間の空間は >=< 、lの場合は >-< といった感じだろうか。 すでにlの発音がうまくできている人は、lの舌のフォームのまま舌先を上前歯の先端に軽く当てて、舌の両脇から息や声を出せば、容易にきれいなthが発音できるだろう。これはlとthの舌のフォームに互換性があるからだ。lは本来舌の両脇に息を通して音を出す子音なので、これと同じ要領でthを発音してみれば、両者の相似性がいっそうよく理解できるはずだ。 前回thの発音で舌をリラックスさせる方法を示したが、それと同じ要領がlにも当てはまるので、試してみてほしい。ついでに、それと逆の方法で舌を緊張させて発音してみるのもよい経験になる。カナ縛り発声との対比が実感できるからだ。 前回とは逆に、舌を緊張させてカナ縛り声でthやlを発音する要領を以下に示す。 1. 下あごに力を入れて突き出すようにする。 2. 舌をなるべく横に広げてその両脇にスペースがなくなるよう意識し、息を中央からモノラル感覚でリリースする。 3. 舌全体を前に突き出そうとする衝動にまかせ、舌先をなるべく前に出したままにする。 4. その結果、舌の付け根(のどの奥)の左右が緊張し、カナ縛りが完成する。 これに加えて、のどを意識して発声ポジションを低くすれば、もう完ぺきなのど声だ。(皮肉を込めているので誤解なきよう。) 参考までに、thinkとlinkを1.カナ縛り発声と2.脱カナ縛り発声で言うとどう聞こえるか、比べておこう。   音声サンプル ついでながら、「英語で朗読!」サイトに掲載している「赤毛のアン」オーディオブック作成プロジェクトがほぼ完了に近づいたので、興味のある方はそちらもお聴きください。 英語音読 な お、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用 される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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th発音と舌の関係

先日述べたth発音のコツがうまく作用するとしたら、それはなぜだろうか。分析してみると、理由はいくつか考えられる。 1. 舌を噛む力が弛んで下あごが脱力できたこと。 2. 舌先がすぼまって両脇にスペースができ、息が左右にステレオ感覚でリリースされたこと。 3. 舌全体を前に突き出そうとする衝動が抑えられ、逆に舌先だけを軽く出してあとは引き気味にする構えができたこと。 4. その結果、舌の付け根(のどの奥)の左右がリラックスし、カナ縛りが解けたこと。 どれも重要なポイントだが、共通項を探すなら、舌を最大限リラックスさせたまま要所にだけ必要最低限の力を入れる、ということだ。thの場合、要所はやはり舌先だ。舌先はあまり左右に平たく広げず、逆にやや丸くすぼめながら前に出す。このとき舌先を力ませないこと。すぼめた舌先がリラックスできるよう、舌先は突き出したままにせず、むしろthを発音しながら軽く後ろに引くぐらいにするとちょうどよい。引き気味の舌先の両脇あたりを息が前にすり抜けていくようにすると、そのコントラストで子音がより明確になる。音を前に出そうと意識すると一緒に舌先もせり出しがちになるが、これでは力みが入って逆効果となる。 僕の体感では、次のように意識するとうまくいく。すぼめた舌を、中が空洞になった筒であるかのようにイメージするのである。そして、舌先の左右を息が出ていくのと反対に、舌の先端からは逆に空気を吸い込むようにしてみる(もちろん非現実的だが、こうしたイメージは大切なのだ)。こうして吸い込まれた想像上の空気は、舌を内側から満たしながらお腹へとつながっていく感覚だ。こうすると、舌全体が必要なフォームを保ったままリラックスしてくれる。 thに限らず英語を発音するときは、常に上に述べたようなポイントを守るようにするとかなり効果的だ。それさえ意識しておけば、日本語とはまったく異なる舌のデフォルト状態を作り出すことができるので、無理なく英語らしい響きで発音することが可能になるのだ。少なくとも僕はこれを実践して効果を実感している。thの発音は、この英語的なデフォルト状態を確認する上でとても重宝する。日本語をしゃべっているとつい日本語的デフォルト状態(カナ縛り)に戻りやすい。それを解除して英語音声に切り替える上で、th発音の存在は便利きわまりないのだ。 もうひとつ付け加えたいのは、息が上あご(特に口蓋)の左右に沿って流れるようにする、という点だ。下あごでもなく、上あごの中央でもない。あくまで上あごの左右を意識しよう。息の流れが下あごや口の中央に向かうのは、カナ縛り状態がのさばっている証拠なのだ。 ハミングだけやっているぶんには、口の中での息の流れはほとんど気にする必要がなかったが、子音の発音ではこれが無視できなくなる(口から息が出るからね)。気をつけないと、日本語的な子音の作り方(これもカナ縛り)にとらわれて、せっかくハミングで練習した高いポジションでのリラックスした声が生かせなくなってしまうからだ。徹底した舌のリラックスを併用しながら口の中の息の流れをうまく英語的にコントロールすることが、子音発音の最重要課題なのだ。 従来このようなポイントを注意しながらthを発音するよう指導してくれた人は、僕の知るかぎり存在しない。むしろ僕のいうテクニックは、従来の指導法から見ればぶっとんでいるように見える部分も多いと思う。しかし実効性を考えると、今後はたぶん僕の示した方向性が主流となるだろう。そうならなければ、日本人の英語発音はいつまでも袋小路で足踏みを続けるだけなのだ。 英語音読 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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thの発音を支える発声

thが基本単語に多く含まれる、という話は前にもしたが、中でも定冠詞theや、代名詞this, that, these, those, they(その活用形them)など、それなしでは英語が成り立たないというくらい頻出する単語に使われていることには、とっても深い意味があるんじゃないだろうか。 何世紀か前には、youのためぐちバージョンであるthou(その活用形thee)なんてのも頻繁に使われていたようだ(シェークスピアを読めばわかる)。代名詞だけでなく、thinkとかthingとかthereなんかにthが使われているのも象徴的だ。要するに、具体的な事象をアブストラクトな思考に置き換える場合に必要な道具が、thで固められている感じなのだ。うがった見方をするなら、英語で何か考えるにはまずthからスタートせざるを得ないよう仕組まれているのでは? と疑いたくなるほどである。 もちろんその裏には、英語を話す人たちがthの音をこよなく愛している、という事実があると推察されるし、そのことは英語の音全般にも影響を及ぼしているに違いない。だからこそ前にも説明したとおり、正しいthの音をとことん追求しないことには英語音声の真の姿に迫ることはできないのである。th発音のクオリティは、英語らしい音質かどうかを見分けるリトマス試験紙のような役目を果たす、といっても過言ではない。 ところが従来の指導は、thの発音について通り一遍の説明を最初にするだけで、「ほんとうにそれでよいのか? もっといいアプローチや別のとらえ方はないのか?」という大事な掘り下げが、指導する側に欠けていたように思えてならない。日本人のth発音の現状を建設的に批判し改善しようとする試みが、今までどれほどなされてきただろうか? むしろ、thの重要さにまったく目を向けず、ただ発音しにくいやっかいな音だとばかりに、いい加減にスルーしてきた人が教える側にも教わる側にも多かったのではないかと思う。せっかく自分の英語発音を磨く最高の手がかりが日本人の目の前にぶら下がっていたのに、僕たちはずっとそこから目をそむけてきたのだ。これは自分たちの甘えや怠慢以外の何ものでもない、と自戒の意味も込めて思う。 いちばん欠けていたのは、th発音の実践面での研究だろう。もちろん発音の仕組みは理論上は解明されているだろうが、それを誰でも効果的に実現できるようにするテクニックが十分に発達してこなかったのである。 これは一つには、英語的な発声と日本語的なカナ縛り発声(のど声)との違いが十分に解明されていなかった、という事情もある。こうした発声の違いをつかめない人が多かったために、「日本人が英語の発音をうまくできないのは当たり前」、という半ばあきらめに近い心理状態ができてしまい、ちょっと自分の出すthの音が違うように聞こえても許容範囲内ととらえて、突き詰めて考えようという意欲が起きなかったのではないだろうか。 僕が最初に時間をかけて日英の発声の違いについて語ったのは、まずその無力感を克服するためだ。外堀にあたる声の問題をある程度解決してから発音に進む、という手順が必要と考えたからである。そして次に、thをはじめとする子音の発音を通じて、日本人の抱える問題点やそれを解消するテクニックを浮き彫りにしてから、最後に母音に進もうと思っている。通常のアプローチとはだいぶ順序が違うが、それは僕なりの考えがあってのことなのだ。 いきなり子音などの発音から入るのも間違いではないが、発声の方法についても常に頭の片隅に意識しておくべきである。発声と発音のテクニックは別々に練習することもできるが、相互に関連し合う部分も大きいからだ。上あごや頭部だけを使う発声テクニックと、thその他をそれらしく発音するためのテクニックは、ばらばらに適用するだけでは十分な効果は得られない。両方を相乗的に組み合わせて、はじめてより納得のいく結果が生まれるのである。逆に、発声について解けなかった疑問が、thなどの発音テクニックを追求する中で一緒に解決される、という場合もある。両者はいわば車の両輪なのだ。 発声や発音のテクニックは、どちらも体の使い方に関わるものなので、肝心なポイントをイメージで示した後は、各自で実際にトライして自分のものにしていくしかない。そうするうちに、自分の体はこんなこともできたのか、という驚きに満ちた発見があるはずだ。そうしたブレークスルー体験を多く持っている人ほど上達は速い。発見の快感を知るにつけ、次の新しい発見が待ち遠しくなり、積極的に新しい可能性を追い求めるようになるからだ。 僕が苦心の末にたどりついたth発音のコツについてはすでに前回述べたとおりだが(新たに音声サンプルも掲載したので合わせて参照してほしい)、このコツの根底にあるアイデアをさらに発展させると、thだけでなく他の英語発音にも通じるきわめて重要なポイントがいくつか浮上してくる。察しのいい人はすでにインスピレーションを得ているかもしれないが、なるべく誰にでもわかるよう今後さらに補足していく予定だ。なお、これまでもいちおう段階を追って説明してきたつもりなので、興味のある方は最初のエントリーから掲載順に見ていただきたい。 英語音読 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。

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誰も教えてくれなかったth発音のコツ

thを発音するメカニズムは、おそらく現象的には音声学でとっくに解明し尽くされているはずだ。なのに、日本人はなぜこれをうまく発音できないのだろうか? その理由は、現象として発音を記述することと、実際に発音することとはまるっきり別物だからだ。自分自身がどんな意識で唇や舌を動かすか、という主観的な面からの踏み込みがなければ、せっかく解明されているはずの発音メカニズムも正しく作動してくれない。本物のガンダムも取説も持ってるけど操縦はど素人、みたいな感じかな。 要するに、発音にはコツというものがあるのだ。それを学問的観点ではなく実際に発音する人間の視点から補ってやらないと、いつまでたっても間違いは直らないのである。 では、thの発音のコツはどこにあるのだろうか。というか、僕たち日本人はこれまでどこを勘違いしていたのだろうか? 僕たちがthをはっきり発音しようとするとき、たぶん一番意識するのは「舌先と歯の間に息を通す」ことではないだろうか。音声学的にはこの記述に何の問題もないはずだし、みんなそのとおりやってきたと思う。 しかし、実はそこに大きな間違いが潜んでいたのだ。 「舌先と歯の間に息が通る」というのは、thを発音する際に最終的に見られる現象ではあるが、いきなりこの現象を再現しようとするから無理が生じるのだ。 「舌先と歯の間に息が通る」というのはあくまで結果であって、実際にちゃんと発音している人が頭の中でそう意識しているとは限らない。むしろ、まったく違うことを意識しているかもしれないのである。そこまで踏み込んで考えないと、ほんものには到達しない。形ばかり似せても魂が入らないのだ。 同様のことを発声でも指摘したが、覚えておいでだろうか。英米人がのどを響かせているように聞こえるからといって、短絡的に真似してのどを鳴らそうとする人がいるようだが、これは誤りだ。これではかえってのどが力んでしまい、「のど声」という悪い結果を招く。むしろのどは脱力し、意識としては上あごより上に響かせるように考えたほうが正しい結果が出るのだ。 これは一見不条理に思えるが、人間の体をコントロールする上でそうした不条理はつきものだ。ちょっと体のツボに似ていなくもない。足のツボを刺激すると内臓が刺激されるように、声帯とはまったくかけ離れた場所を意識することで、不思議と声帯が整ってうまく響くのである。声帯のツボは、だいたい鼻ぐらいの高さにある(僕が以前「第二の声帯」と呼んだのは、まさにこの声帯のツボのことなのだ)。 それとまったく同じで、thをうまく発音するためのツボは、もしかして舌先や歯とはまったく違う場所にあるのではないか、などと考えてみるのが、実はとっても大切なのだ。音が直接出る場所にこだわりすぎて、結局間違いを修正できずに終わってしまう、というのが英語発音でよく見られる失敗のパターンだからだ。 ま、いろいろやってみた結果、僕の感触ではthのツボはそれほど舌先や歯からかけ離れてはいないようだ。しかし、ある意識転換をしてみるとかなり効果がある、ということはわかった。それは、上下の歯の間に舌先を薄くサンドイッチしてそのすき間から息を通す、という従来の水平的なイメージを、いったん水に流すことである。 そして代わりに、上下の歯に挟まれる舌先をソーセージか角棒のような形にし、その左右に空間を作って息を通す、と考えるのである。つまり、舌は水平にだらんと広げるのではなく、垂直に厚みを作って前歯をやや上下に押し広げるようにする。 こうして舌先の左右をきゅっと絞った感じにしたまま、舌の左右を息が通り抜ける感覚を味わってみてほしい。そして、以前のように舌先をだらんと水平に広げたまま舌の上下に息を通す方法と比較してみよう。this, that, these, those, thanksなどの単語を両方のやり方で発音して比べてみてほしい。どうだろう、新しいやり方のほうがずっと英語らしく聞こえるのではないだろうか? (thの音声サンプル掲載 May 4, 2014) 両者を比べてやってみると、口角の位置や、舌の根元の感触もずいぶん変わることがおわかりだろう。舌先を水平に広げたり垂直に伸ばしたり、というちょっとした意識の差が、こんなにも体の別の部位に影響を及ぼすのである。 この新しいthの感触をぜひくり返し味わっておいてほしい。これは他の子音の発音にも、そしてひいては母音の発音にもブレークスルーをもたらす大事なポイントだからだ。 なお、このブログで公開しているメソッドは僕が苦心してたどりついた知的財産なので、無断借用はしないようにお願いしたい(もちろん個人で発音改善などに利用される分には大いに歓迎するが)。以前僕が別のブログで音読について綴ったことを黙って本に盗用した人がいて、遺憾に思ったのでひと言。 英語音読  

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英語でthが好んで使われるワケ

日本人が特に苦手とする英語の子音といえば、th、f、v、l、rなどがすぐ頭に浮かぶが、中でも特に重要なのがthである。というのは、この音は英語では実にひんぱんに使われるからだ。 thの音を含む単語には、基本中の基本といってもいいようなものがずらりと並んでいる。たとえば中学生が習う基本的な単語には、the、this、that、these、those、they(their/them)、with、thanなど、thが含まれているものがやたらと多い。英語初心者がいきなりこんなへんてこな音に遭遇させられるのだからたまったものではないが、まあそれが現実だから仕方がない。このほか、month、together、father、mother、brother、other、either、both、thing、thank、think、throw、thirsty、thought、through、though、three、thirtieth、thousand、Thursday、birthday、mouth、tooth、earthなど、thを含むものは中学生レベルでも枚挙にいとまがない。 こうした基本的な重要単語にthが数多く使われているのは、いったいなぜだろうか。日本人には想像もできないことだが、おそらく英語を話す人にとってはthの響きがとても心地よいからだ、としか考えられない。でなければ、これほどthを多用するはずがないのだ。それは裏を返せば、正しい英語のthは本来とても心地よい音でなければならない、ということを意味する。正しく発音すれば、thはきわめて美しい音なのだ、きっと。だから、英語を習得しようとする僕たちは、このいやというほど出てくるthがもっと愛すべき音に聞こえるよう、精一杯努力しなければならないのである。そして、今まで習ってきたthの発音のどこが間違っていたかを理解し、正しくthが発音できるようになれば、ほかの音も自然とうまく発音できるようになるに違いない。 さて、thはあまりに使用頻度が高いので、極端にいうと英語という言葉はthがなければなりたたないほどだ。たとえばキング牧師の有名な演説”I Have A Dream”を見てみると、thを含む単語は全1652ワード中216ワード、つまり約13%に達する。オバマ大統領の2013年就任演説の場合は、2135ワード中281ワード(13%)、ケネディ大統領の就任演説は1382ワード中180(13%)、リンカーン大統領のゲティスバーグ演説は268ワード中44(16%)、アメリカ独立宣言は1322ワード中189(14%)などとなっている。つまり、少なくとも8語に1語はthの音が出てくる計算なのだ(国井調べ)。 英語と同様のthの音を持つ言語は、世界的にも少ないといわれている。その意味でもthは英語を特徴づけるユニークな音と考えてよいだろう。 英語を話す国の人々は、物心ついたころから死ぬまでずっとこのthの音とひんぱんに接しているので、thはそれこそ嫌と言うほど何度も発音している。しかも、英語という言語は歴史をたどれば何十世代にもわたって語り伝えられてきているので、thの発音にも年季が入ってる。つまり彼らは、なるべく無駄なエネルギーを使わずしかもきれいにthを発音するやり方を、長い年月をかけて習得し、発展させてきたのだ。 thがそれほど英語に不可欠かつ特徴的な音であるとすれば、その発音は英語の他の子音や母音の発音にも少なからず影響を与えてきたに違いない。そうしたthの発音の特徴を解析すれば、これまで気づかなかった英語の発音全般の特性を解明するカギも見つかるはずだ。 さて、thの発音を練習する準備として、mのハミングで発声を復習しておこう。前にも述べたとおり、決して真正面に矢のように飛び出す鋭いmにはしないこと。むしろ顔の前にある空気を取り込みながらmを創るイメージだ。そしてこのmが、左右に面状に広がっていく。顔の左右に空気の翼を広げ、それをmのハミングで支える感じである。さらに両耳も思い切り広げるように意識して、揚力を付加するとよい。 ジャンプにたとえるなら、板を揃えて弾丸のようにひたすら前に飛び出していくクラシックジャンプではなく、むしろ板をなるべく開き、風を受けて揚力を得るV字ジャンプのような感覚だ。もっというなら、V字よりさらに左右に広く翼を広げて、ムササビか、フライングスーツを着た人のような…、いや、どうせならもっと欲張って、動力を使わなくてもいつまでも滑空できる高性能グライダーのようなイメージを目指したい。同時に、声を出すポジションはなるべく高く保つことも意識しておこう。下あごより低い部分はすべて脱力する。上あごより上の頭蓋骨は、声の翼が生み出す揚力でふわりと持ち上がったまま浮遊するような感覚になる。 mの次は、nでもやっておこう。mと違うのは、舌で口蓋をふさぎながら唇を開くことだけ。その他の発声の要領はほぼmと同じだ。 mもnも、高いポジションで発声していれば口から発せられる声の要素はほとんどない。けれども、決して鼻声ではない。声を呼び込んで左右に翼のように開くことを意識すれば、声は自然と鼻以外の出口も探し出して、伸び伸びと広がってくれる。逆に、声を正面から出そうと力めば力むほど鼻声になる。息のベクトルが前向きではなく、左右の後方を向くように意識することが、うまく声の揚力を得るポイントだ。 これでmとnのハミングがより安定した音になる。子音をクリアに発音するための準備は整った。 次回はthの発音メカニズムに的を絞って話を続ける。 英語音読

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子音のヒミツ - 序論

今回から子音の話に入るが、まず質問。英語の子音をうまく発音する秘訣はなんだろうか? 以下から選んでみてほしい。 1. 息を強く出すこと 2. 腹式呼吸すること 3. 口をはっきり動かすこと 4. f、vは唇をかんで息を出し、thは舌をかんで息を出す。wは唇を丸めるようにする。lは舌を口蓋の前のほうに付ける。rは舌を丸めて口蓋から離す…などなど。 5. のどの奥から声を出すこと 6. 上記のどれでもない 1から5まではこれまでいろんなセンセイ方が説いてこられた通説だが、僕に言わせればどれもまったくの的外れだ。正解は6なのである。 なぜ1~5が全部だめかというと、生粋の日本人がいくらこのとおりやっても、子音は日本語の子音のようにしか聞こえないからだ。それは、こうした指導者の面々が日英の子音の根本的な違いを理解していなかったからに他ならない。 では、何が根本的に違うのか。発声の話の最初のほうで触れた「カナ縛り」を思い出してほしい。日本語は子音と母音を1つの不可分のユニットと考えるので、子音と母音を別々に考える英語とは違う方向に発展してきた。それが顕著に表れているのが発声、あるいは声の響きの作り方という面である。これについてはある程度考察を重ねたのでここでは繰り返さない。要するに、英語を話そうとするときについ日本語の文字や音声が頭に浮かんでしまい、声もそれに引きずられて日本語的なカタカナ声になってしまうのだ。この現象を、僕は「カナ縛り」と名付けている。 実は、「カナ縛り」は声の質や母音の発音だけでなく、子音の発音にも多大な影響を及ぼしている。ところが残念なことに、これまでの発音指導ではほとんどこの点が見過ごされてきた。その結果、日本人は英語の発音が下手だ、という評価が長らく定着しているのはご存じのとおりだ。そろそろ従来の発音指導を打破する時期に来ている、と僕などは思うのだが、いかがだろうか。 さて、日本語のように子音と母音を1つのユニットとしてしか認識しない言語では、子音と母音を区別する言語と比べて子音面でどういう違いが起きるだろうか。結論からいうと、日本語の場合は英語に比べ、子音を作る場所と母音を作る場所が近くなるのである。子音と母音がほぼ同じ場所で同時に形成される、と考えてもよい。 日本語で「これぐらい」と発音してみてほしい。ここに含まれる子音は、英語表記すればk, g, rである。音声学的には、「く」や「ぐ」の子音部分は口蓋の奥のほうに舌がくっついてすぐ離れるときに出る音、おなじく「ら」の子音部分は舌が上の前歯にちょっと触れてすぐ離れたときに出る音とされているはずだ。とすれば、現象的にはk, g, rとなんら変わらないように思える。しかし現実には、「これぐらい」に含まれる子音とk, g, rはとてつもなく違う音である。なぜかというと、「これぐらい」というときの子音はどれも母音とほぼ不可分に同化されているので、k, g, rよりはるかに短時間しか続かないからだ。それと同時に、子音が発音される瞬間の舌の動く方向(ベクトル)も、日本語の場合は口蓋から離れてデフォルトの平坦な位置に戻ろうとする方向に動くのに対し、英語のk, g, rは舌が口蓋に迫っていく瞬間に出る音であり、舌のベクトルがまったく逆になっている。 言い方を変えると、日本語の子音は「触らぬ神にたたりなし」のようにおっかなびっくりに触り逃げしながら出す音であるのに対し、英語の子音は「当たって砕けろ」といわんばかりにコンタクト時間が長いのだ。 このことは、もう1つ大事な違いを生む。すなわち、日本語の子音は舌の本拠である下あごを指向し、英語の子音は舌のコンタクト先(口蓋)が置かれている上あごを指向する、という点である。実際に発音するときの体感から極論すれば、日本語は子音を下あごで発音し、英語は子音を上あごで発音する、といってもよいくらいに顕著な違いがあるのだ。「カナ縛り」が解けないまま英語を発音しようとすると、声の質だけでなく子音にも違和感が出るのはそのためである。 この違いを踏まえて、次回からは日本人の苦手ないくつかの子音について検討してみよう。 英語音読

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浮遊する頭蓋骨

前回までの話を簡単にまとめると、僕がイメージする英語的発声の感覚はこうなる。 目の下から鼻の付け根あたり、あるいは上の前歯の裏側の歯茎やそれに近い硬口蓋の付近に声のゲートを意識し、ここを発声の起点とする。そして、息を出すというよりは、前方からくる風あるいは空気をここから取り込むようにし、取り込んだ空気がこのゲートを通る際に声が生まれる、とイメージする。さらに、左右の頬骨のあたりから後方にかけて翼のように声の響きを広げるようにする。このとき、両耳を立てた状態から水平尾翼のように広げるよう意識すると、声の翼の面積はさらに拡大し、より楽に響きが作れる。また、下あご以下の体の部位は全部リラックスさせたままにする。 極論すると、下あごを取り外した頭蓋骨に翼が生え、これがそよ風を受けて空中を浮遊している、といった状態を作りたいのだ。(これに対し日本語の発声は、頭蓋骨を下あごだけ残して取っ払った骸骨がわめいているような感じかな?)翼の生えた浮遊する頭蓋骨では日本語の発声はできないし、下あごから下しかない骸骨のほうは英語の発声ができない。そのくらい、この二種類の発声は声の出所も体の使い方も違うのだ。日本語は発声も発音ものどと下あご主体で行っているので、まずはそこから発声を切り離し、上あごと頭蓋骨の前寄りに発声の起点を移そう、というのがここまでのポイントである。 ま、所詮はイメージなので、効果を感じるのはもしかしたら僕だけかもしれないけどね。なぜこのようにパーソナルな感覚やイメージをあえて言葉にしようと試みるかというと、やり方を人に伝えたいという思いも確かにあるが、結局は僕自身のためなのだ。発声の過程を整理し、時間をおいた後でもまた同じ発声のやり方を再現できるようにしておきたいのである。 言葉にしようとすると頭が整理され、ポイントがより明確になる。今までは、思いついたイメージをスケッチやイラストにしてメモしていたのだが、言葉にしようと試みるようになってから、気づきや再現性の面でかなり効果が増したように思う。 発声というのは体の状態に左右されやすい。ちょっと時間が経ってしまうと、前にうまくいったときの状態が再現できなくなって、戸惑うことがよくあるのだ。だから気づいたポイントをメモしておいて、迷ったらときどき振り返るようにしている。しばらく経つと、以前せっかく思いついたポイントを、結構忘れていたりするのである。ま、中にはくその役にも立たないイメージも山ほどあったけどね。 さて、ここまではハミングぐらいしか説明してこなかったが、これからは子音と母音の話も交えて、空飛ぶ頭蓋骨の発声がどれほど英語の子音や母音と合理的に結びついているかを検証していきたい。 英語音読

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声の翼を広げる

前回述べた「左右方向への波動」のイメージをさらに発展させると、声の「翼」を広げる、という表現のほうがよりしっくりくるかもしれない。といっても、鳥のように上下に羽ばたく翼というよりは、滑空するトビウオの羽根のような、あるいはグライダーの翼のような感じだ。声を左右に向かって広げ、波動面をなるべく大きく確保するよう意識する。声で空気の翼を形づくるイメージだ。翼の根元は、鼻の付け根から左右の頬骨、そして耳の穴に続く線だろうか。ここに想像上のスリットを設けて、そこから声を引き出し、翼のように左右に広げるさまを思い描いてみよう。 グライダーは飛行機と違って、自分で推進力を作らない。それが英語的発声の大きなポイントでもある。お腹から息をポンプのように送り出して推力を作ろう、などと考えると無理な力が入るだけだ(英語は腹式呼吸でしゃべる、と思い込んでいる皆さん、ゴメンナサイ)。むしろ、そこにある風をうまく利用して増幅しさえすれば、声は伸びやかに滑空してくれる。ただしそのためには、体をうまく使ってしっかりグライダーの骨組みを支えてやる必要があるのだ。 声が出始める場所はこのグライダーの前方だが、決して息を体の中から外に押し出して声を出すのではない。波動砲を先端からズドンと撃つのではなく、むしろ機体の前にある空気をグライダーの先端でとらえて中に取り込むときに空気が声になる、というイメージだ。空気を吸い込むときに声が出る、と考えてもよい。この息の流れが左右の翼を支えて揚力を生む。前からくる風を左右に分けて浮力に変えるようなイメージだ。こう考えれば、お腹やのどの無駄な力みも自然となくなるだろう。 さらに、両耳も翼の一部だと思って左右に広げるように意識するとよい。ただし主翼というよりは、2枚の尾翼といった位置づけだ。スキージャンプのレジェンド・葛西選手が、ジャンプの最中に手のひらをおもいきり開いて翼の先端のように使っているのを思い出して欲しい。僕たちもあんなふうに、両耳まで使って少しでも多く揚力を生み出そうと試みるべきなのだ。耳周りの筋肉の使い方を工夫して、耳の上端が普段より左右に大きく開くようにしてみよう。これは意外と効果があるので、おすすめだ。耳を2枚の尾翼のように水平方向に開いて主翼を補助することで、翼の面積がさらに大きく広がり、揚力が増す。 普段僕たちが日本語でしゃべるときの両耳は、いわば蝶がとまっていて羽根が閉じられたような状態にあり、ここで前から来た波動が立ち消えとなる。これでは声の伸びが失われてしまう。逆に、蝶が羽根を広げるように両耳の先端の距離を離してみると、翼の総面積が広がって、声がより長く滑空できるようになるのだ。 こうしていろいろと工夫しながら声の翼を広げたままの状態を保つことが、すなわち「支え」なのである。このときに使う筋肉は上あごとそれより上の部分だけで、下あご以下の筋肉はまったく力を入れない。のど仏も下がっているはずだ。のど仏が上がっていたら、下あご以下のどこかに無理な力が入っているので、最初の弛緩練習に戻って脱力し直そう。 この一連の流れが、従来の日本語にはない(というかまったく違う)英語的な響きを生むメカニズムだ。あくまでイメージの話だが、面白い効果が得られるので、ぜひ試してみて欲しい。 英語音読

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横方向への波動

前々回述べた、ボワッとした無指向性のmでのハミングが大切、という話からあるイメージが浮かんだので、今日はその話から。 唐突だが、宇宙戦艦ヤマトを頭に描いてみてほしい。この船には波動砲というのが備わっていて、船首に空いた小さな四角い穴からとんでもないエネルギー波が出てくることになっている。前回説明した発声のゲートは、この波動砲を発射する穴のようなものかもしれない。この狭いゲートを息が通るときに振動し、空気が声となって発射される、というイメージだ。ただし僕の理想とする声は、この正面の波動砲だけから出るのではなく、無指向性なのだ。つまり、正面にズドンと打ち放つのではなく、左右の側面にも波動を広げたいのである。正面よりも、むしろ側面に向かうエネルギーのほうが強いくらいがよい。ふつうの宇宙戦艦ヤマトと違って、この船には右舷と左舷にも1列ずつ小さな波動砲の発射口がずらりと並んでいて、発射されると正面だけでなく、左舷と右舷に沿って花火のナイアガラの滝みたいに、横っ飛びにエネルギーが噴出するのだ。あるいは、古代ローマのガレー船を思い描いてもいい。左舷と右舷から何十本もオールが真っ直ぐに突き出され、このオールに沿って声の波動エネルギーが左右に噴出するのである。 要するに、声がただ前方に向かって直線的に飛ぶのではなく、むしろ左右に平面を描きながら広がっていく、というイメージだ。 日本語的な発声は、ただ声を前に飛ばすことしか考えていないので、よくいえばストレートで力強いが、悪くいえば広がりがなく響きに乏しい。しかも発声のポジションが低く、のどを力ませて声を出すので、伸びやかさに欠ける(カナ縛り)。 これに対し英語的な発声では前方を意識するだけでなく、高いポジションから左右方向にも波動エネルギーを発散させているのではないか、というのが僕の仮説だ。 とすれば、英語的な声が滑り出すゲートは正面ゲートだけではなく、これに加えて、水平に切られたスリットのような長い開口部を持つゲートが左右にあるとイメージしてみるのもよいかもしれない。 この左右のスリット状のゲートは、なるべく開口部を狭く保ち、またなるべく高い位置に設けるべきだろう。口内のポジションをイメージするなら、上あごの左右の歯茎に沿った線あたりか、それより多少上ぐらいだろうか。 これを踏まえて、前回のハミングをもう1度さらってみよう。目と鼻の付け根あたりにある正面の狭いゲートを息が通り、そのときに振動して声が出るのだが(もちろんあくまで体感の話)、その際同時に、左右のスリット状のゲートにも同じく息が通るかのようにイメージして(これも体感の話)、横方向への波動を作るよう意識する。こうすることで、指向性のないハミングのmが生まれ、前だけでなく左右にも音が広がる。 この左右方向への波動をコントロールするという考え方は、英語という言語、特に日本人の不得手なlやr、f、v、thといった子音の発音のメカニズムから考えれば、もしかしたら意外にナチュラルで違和感は少ないのではないだろうか(これについてはいずれ詳しく説明する)。 少なくとも、左右方向への波動というパラダイムを意識してみるだけでも、新しい声の手がかりが見つかるかもしれない。 英語音読

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V字ジャンプとクラシックジャンプ

スキージャンプは今でこそV字ジャンプが主流だが、札幌オリンピックの頃は板を揃えて飛ぶのが標準とされていた。最初にV字ジャンプを見たときは、ちょっとした衝撃を受けたことを覚えている。今まで当たり前だと思い込んでいたスタイルが、実はあまり効率のよいものではなかったことに気づかされたからだ。たぶん関係者はそれまで既成概念に縛られていて、新しいスタイルを試すことなど思いも寄らなかったのだろう。もっと飛距離の出るうまいやり方があったのに、ほとんど誰もこれに気づいていなかったのだから、情けない話である。 日本人の声もこれと同じで、本当はもっと楽に出す方法があるのに、のどを締めたカナ縛り発声が絶対的な標準だと勝手に思い込んではいないだろうか。V字ジャンプが支配する時代に、いつまでもかたくなに板を揃えて飛んでいてはまともに世界と競争できっこないが、同様に音声コミュニケーションの世界でも、グローバルな潮流を俯瞰して、優れた点があれば積極的に取り入れてもよいのではないだろうか。 実際、俳優やナレーター、アナウンサーなど声を生業とする人たちの中には、一部に西欧的な発声をマスターして日本語に生かしている人も増えてきたように見受けられる。たとえば歌舞伎の松本幸四郎や市川海老蔵あたりは、ほぼカナ縛りを完全に脱却した西欧的な声質で、もちろん日本語としても明瞭かつ魅力的に聞こえる。おそらくこうした声質がこれからの日本語を支配していくことになるだろう。歌舞伎は日本の伝統に深く根ざしているが、声の文化という点では時代の先端を歩んでいるのかもしれない。伝統芸能といえば、能の世界でも同じような潮流が感じられる。もちろん個人差はあるが、とくに若手の能楽師の中には、相当西洋の発声を研究していると思われる人が見うけられる(ちなみに観世流は宝生流などと比べてかなり西欧的な発声だと以前から言われているようなので、こうした動きは今に始まったことではないのかもしれない)。 このように日本文化を守っている人たちほど西欧的な声を積極的に研究している、というのは、伝統文化のしたたかさを見るようで心強い。僕たちもそうした進取の気性を見習って、もっと声について研究すべきだろう。 英語音読

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ハミングへのジャンプ!

いよいよ声を出す核心の部分になるが、前回からだいぶ間が空いてしまったのは、僕自身にちょっと迷いがあったからだ。これまで述べた準備段階はそれでよいのだが、実際に声を出すときの体感をうまく表現しあぐねたのである。 発声というのはスキージャンプにちょっと似ているところがあって、踏み切りが成否を大きく左右する。踏み切りを失敗すると、後でどうあがいても距離は出ない。 しかしそれ以前に意識してほしいのは、発声のジャンプ台が実は1つではない、という点だ。残念ながらたいていの日本人は、のどに力を入れてカナ縛りに向かうジャンプ台しか目に入らない。だから、せっかく弛緩して準備を整えても、ついこのカナ縛り方向のゲートに入ってしまうので、結局今までと同じ発声を繰り返してしまう。そうならないためには、今まで見えていなかった別方向のゲートを探し出して、そっちへ滑ってみることが大切なのだ。 せっかく下あごや首やのどの筋肉をすべて弛緩させ、上あごと頭部の筋肉で支えを作って発声の滑り出しのポジションを高く持ち上げるところまではきているのだから、あとはいちばん楽に滑れるゲートを見つけ出すだけだ。 僕がよく使うゲートは、位置としては目と鼻の付け根あたりで、顔面から2、3センチほどめり込んだくらいのところにある(もちろん体感の話だけど)。その辺りに息の通路が狭まるゲートを意識し、そこを息が通るときに振動が始まって声になる、という感覚だ。前回「第二の声帯」といったのは、このことを指している。あたかもこの場所が声帯であるかのように、ここから声が滑り出すからだ。 こうして声出しを練習するときは、ハミングから始めるのがよい。ただし、閉じた唇に息をぶつけるようなハミングは逆効果だ。これはまさに、カナ縛りジャンプ台へまっしぐらのルートだからだ。さっき述べたゲートを通った息は、そのあとはあくまで無指向性でなければならない。ハミングのmを自然と雲散霧消させるように意識しよう。mの子音がどこで作られるのか自分でもわからないくらいにボワッとしたmでハミングすることだ。間違っても「ンー」と力んではいけない。ボワッとしたmのあとに、いつでも好きな母音を付け加えられるような、力みのないハミングを目指そう。そして同時に、声の滑り出しのポジションは常にしっかりと意識しておく。 このだらんとしたハミング体感に慣れるため、ひまを見て好きな歌をこのハミングで歌ってみるといいだろう。 実は、声を滑り出させる上できわめて有効なゲートが少なくとももう1つあって、ポジションはさらに頭の後ろのほうで、発声のメカニズムも息の流れもまったく上記とは別ものになるのだが、これはまだ僕自身言葉でうまく説明できないので、今はとりあえずあまり触れないでおく(これを説明しようとして迷ったので、前回からだいぶ間が空いてしまったのだ)。 英語音読

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